甘く溺れるように
どうして私を、とそいつは言った。その後に続く言葉はなかった。
どうして私を選んだのか。どうして私を、傍に置くのか。どうせそんなところだろうと思う。
お互いの間に生まれた不自然な沈黙は、おれに答えを求めていた。
葉巻に火をつけ、理由なんざどうだっていいだろう、と吐き捨てると、彼女はやはり、何も言わずに目を伏せた。
そいつは珍しく、居眠りをしていた。どうやらおれの仕事が終わるのを待つうちに、うっかり意識を手放してしまったらしかった。
無防備な寝顔は年齢の割にどこかあどけなく、危うい脆さを思わせた。ふれたら壊れてしまいそうだとか、そんな月並みな台詞を並べるつもりは毛頭ない。
手放す気がない以上、壊すことも、傷つけることも、承知している。承知した上で、手元に置いている。
ゆっくりと立ち上がると、椅子は軋んだ音を立てた。こつり、踏み出した足音はやけに響いた。そのすべてが彼女に警告を発していた。
(起きろ、そして、逃げてしまえ)
一定の間隔で響いた音は、水槽の中で反響した。彼女は眠っている。
「このおれの目の前で、居眠りするとはなァ……」
落とした言葉は、幾ばくかの揶揄を含んでいた。
見下ろしたルカは普段と違い、おびえた顔も、寂しげな顔もしていなかった。微かな寝息をたてて、静かに眠っていた。軽くうつむいたその頬にかかっていた髪を、すくい上げて耳にかけてやる。
少し、痩せただろうか。
海の色をしたその瞳は、今は閉じられていた。その瞳が自分を映すことがないのだと思うと、僅かに安堵した。
どうして、私を。
ルカの瞳は、いつもそれを問いかける。責める響きはない。ただ困惑して、問うている。たとえどんな理由を言ったとして、納得などしないくせに。
それは相手がおれであるからなのか、どんな男に対してもそうなのか。しかし元より、愛してるだの何だのとそんな答えで満足し、このおれを信じるような女なら、ハナから手元に置こうなどと考えはしなかったろう。
思って、くつりと喉の奥で嗤った。
「我ながら、随分と……悪趣味な野郎じゃねェか。なァ?ルカ……」
信じないのはおれも同じ。こいつが逃げようとする素振りすらみせないことに、疑念を抱き続けている。
傍に置く理由に、どうして、など、愚問だ。ただ血迷ったとしか思えねェ。
ルカの手元から書類を拾い上げ、ローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろした。ぎしりと深く腰を沈め、足を組む。
「……くだらねェことを訊くんじゃねェ、」
彼は呟いて目を伏せ、静かに葉巻の煙を吐き出した。
甘く溺れるように殺される(愚かだと罵れよ、)
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