Act.07 無駄にしないで-Nio side-


「『同情で付き合ってるなら、傷つかないうちにやめろ』」


 俺だって報われない恋はしたくない。なまえがあの日そう言ったように。だから、俺がなまえを好きだという想いはいつか届くものだと信じていた。

 俺は待っていた。なまえがいつか俺を見てくれることを。


「って、なまえに言ったんでしょ?」
「……」







 ある時期。幸村に欠席や部活の休みが目立つ時期があった。俺達レギュラーには体調がすぐれないといっていたが、会う度によく笑い、前よりも表情が豊かになっているとさえ感じる。みんな中等部時代の幸村の入院のこともあって心配そうにしていたが、俺は疑っていた。

 ーー嘘なんじゃないかと。

 だから、ただの興味本位で跡をつけた。この疑いを気のせいだと思うための行動だった。


「精市くん」
「やあ、行こうか」


 幸村は学校から少し離れたところまで電車を乗り継ぎ、駅前で女と落ち合い、そのままホテルへ一直線。はじめは幸村の彼女かと思い、体調不良は嘘だったが多めに見てやろうと思った。

 踵を返し帰ろうとしたとき、その女の薬指にはめられた大きな指輪がやけに目に付いた。それが妙に引っかかって、その真実に触れたくて、俺は何度か跡をつけてしまった。


「次は? いつ会えるの?」
「週末に彼が出張から帰ってくるから、また連絡するね」
「わかった」


 彼女がそう言い、幸村と別れた。俯いた幸村は、それまで浮かべていた優しい顔ではなくなっていた。

 相手は既婚者で不倫しているんだとその日俺は悟った。真実に触れた俺は、今まで執着して触れたかったくせにそれを後悔した。

 幸村と目が合った気がした。



 次の日から、俺は冷静にいようと努めた。

 この重さを誰かと共有してしまいたいとは思ったが、もちろん言いふらすつもりはない。朝練に普通に幸村はいたし、俺はできるだけ幸村を意識しなかった。

 その日の昼休み、なまえは今までにないくらい大きな怪我をしてきた。

 なんでなまえは暴力なんか奮う奴を好きなんじゃろう、と何度も思った。でも、俺には彼女の相談役に徹する毎日で、なまえが別れを決心したら告白しようと決めていた。


 来たばかりなのになまえはすぐ教室を出てきた。

 帰るんか、そうきくと頷く。


「帰るんもサボるんも一緒じゃろ」


 俺は、なまえを誘い昨日の幸村の話を少し聞いてもらおうと思った。

 運がいいことになまえと幸村と接点はないし、殴られても人を好きでいられる理解できないなまえなら、理解できない幸村の気持ちや考えていることがわかるんじゃないかと思ったからだ。







「報われない恋はやめるんじゃな」


 そう言うと電話口で幸村は笑った。ぶっ飛んだ思考の持ち主が言った、そのままのことを言っただけなのに。


「仁王に質問があるんだけど、いいかな?」
「なんじゃ」
「君はみょうじなまえのこと好きなの?」


 俺は驚いて声も出なかった。所詮、どこで見ていたか、どうして知っているのか、とかそんな質問だと思っていた。

 それに、幸村の口からなまえの名前が出るとは思っていなかった。知っていても不思議ではないが、接点がなさすぎる。

 俺が黙っていると幸村は楽しそうに続けた。


「その無言は肯定でいいんだね?」
「……それがなんじゃ」
「でも、それは無理だよ。みょうじなまえと君は付き合えない。俺が付き合うから」


 それはもう決定事項を離すような口ぶりだった。


「あ、安心して。俺は別に彼女のこと、好きじゃないから。俺が好きなのはこの間仁王が尾行してたときに見た人だけだよ。ただ、みょうじなまえが俺のことを好きになる自信はあるけど」
「意味が、わからん」
「だろうね。でも、俺の計画はもう始まってるんだ。もうこの関係を壊す覚悟もできてる。俺の目的はね、愛する彼女をめちゃくちゃに傷つけること。それに一番重要なカギがみょうじなまえなだけ」


 息をのんで幸村の言う話に耳を傾けているしかなかった。とんでもないことをしようとしているに違いはないが、理解できないことが大半だった。

 どうして好きなのに壊すのか。どうしてそこになまえが絡んでくるのか。


「俺が、彼女と付き合えば、君は報われないね。どうする? 諦める?」
「俺は……」
「別にいいよ、答えなくてもわかってるから。わざわざ忠告ありがと。あ、お礼にいいこと教えてあげるよ」
「……」
「実はさ」


 俺は、幸村のその言葉を聞いて、知ってしまった自分を呪った。







 なまえから逃げるようにして屋上にのぼったのに、案外簡単に見つかってしまった。


「お前さん、俺がよくここにいるってわかったのう」
「まあ、付き合い長いし」
「……それなのに、俺の本当の気持ちはわからんのか」


 髪を整えながら近付くなまえに、俺は真実を口に出来ない。言えば苦しむのはまぎれもなくなまえだ。


「それで、話は? わざわざ追いかけるほどのことなんか?」


 早く、何事もなく終わらせたくて、つい腹の立つ口調で話してしまう。

 なまえが急に俺の腕を掴んで言う。


「私に隠し事あるでしょ? それに、昨日の、どういう意味よ?」


 俺はなるべく無表情で言う。


「別に何も隠してなんかないぜよ。俺はなまえなんかでええんかって意味で」
「嘘つかないで」


 コート上の詐欺師と呼ばれる俺でも、からかう嘘と、吐かなければならない嘘があるのに。

 何も知らずに利用されて悲しむのはお前なんじゃ。


「……お前らも嘘ついてるじゃろうが。本当に付き合ってもないくせに」


 なまえの力が一瞬強くなる。


「それがなによ」
「同情で付き合って、ごっこ遊びのつもりか? 報われない恋はしないのに、報われない恋の応援はするんじゃな」


 こんなこと言うつもりじゃないのに、口をついて出るのは酷い言葉だった。

 明らかに動揺するなまえの腕を掴み、諭す。


「なまえ、1回しか言わん。幸村と付き合うのはやめろ」
「え?」
「幸村と同情で付き合ってるなら、お前が傷つかんうちにやめろ」
「なんで」


 頼むから、幸村を好きになんかなるな。


「アイツはいずれ、お前を苦しめる。そうなったら……俺は、見ておれん……」


 俺の初恋を無駄にしないでほしい。







 俺がなまえに幸村との付き合いをやめろと言った次の日、幸村は機嫌が悪かった。

 丸井と赤也は練習量の多さに音をあげて、真田も参謀も息切れしながら幸村に練習内容の改善を提案した。が、幸村はすべて無視をして声を荒げる。その中でも、一番の矛先になっているのが俺だった。


「どうしたの、仁王。その程度?」
「……」


 八つ当たりともいえる幸村の発言に言い返せない俺はもくもくと練習をこなしていった。




 練習もやっと終わりみんなシャワーを浴び帰宅する中、幸村は俺を呼びとめる。


「悪いけど、話があるから残ってくれない?」
「ああ、わかった」


 予想はついていた。どうせ俺がなまえに付き合いをやめろと言ったことを、幸村が知ったんだろう。言うなとも口止めしなかったし、しかたない。


 俺たちは無言のまま、部室から誰もいなくなるのを待った。







「『同情で付き合ってるなら、傷つかないうちにやめろ』」
「……」
「って、なまえに言ったんでしょ?」


 顔だけ見れば怒っているようには見えない。だからこそ、何を考えているのかわからない。幸村はいつだってそうだ。誰にも悟らせないようにふるまう。


「なまえは、仁王、お前のじゃない。俺の可愛い駒だよ」
「ええ加減にせえ! お前さんが傷つけたいのは、なまえじゃないじゃろ!」
「まあ、それはそうだけど。それは課程問題だよ。結局あの人が一番傷ついて、俺に許してと懇願する。そしたら、懲りて向こうと別れて、俺を選んでくれるかもしれない。この計画の後のことは、別にいいよ。傷心のなまえなんて付き合いやすそうじゃん。そのときはあげる」
「お前!」
「どうせDVしてた男と別れたら付き合おうとか思ってたんだろ? それと同じじゃないか。傷ついたなまえにつけ入る機会がちょっと遅れただけ。まあ、あの男も俺がなまえに近付くためだったけどさあ。あんな怪我するまでしなくてもいいのにね、笑っちゃった」


 俺は幸村に掴みかかり、殴った。

 どうしてなまえが幸村のために、身も心も傷つかなくてはならないのか。なまえだけじゃない。俺だって。

 幸村はよろけながら立って、俯きながら言う。


「この計画で誰も幸せになれない。お前も、なまえも、彼女も、俺も」


 幸村はそう言い残し、部室を後にした。


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