Act.05 肝心なことは教えない
次の日、事態は思ったよりも穏やかだった。靴とか隠されていてもおかしくないかなとか思ってたけど。もっと幸村精市ファンは怖いかと思っていたが意外と私は受け入れてもらっているらしい。ありがたいことだ。
「あ、なまえ。おはよう」
「おはよう、精市。みんなも」
朝練終りと思われるテニス部レギュラー御一行様がいた。
あたりは黄色い歓声で沸いている。私は履き替えた上履きのつま先をトントンと打ってから、精市に近付いた。
「なまえ、一緒に教室行こう」
「うん。でも、ちょっと待って」
私はくるりと振り返り仁王を見る。彼は首をかしげる。
「どうかしたんか?」
私は、昨日のことを、昨日の仁王の言葉の真意を確かめると決めていた。
『それでええんじゃな』
あの意味。結局、一晩中ずっと考えてもわからなかった。
「話、あるんだけど」
「ふーん、何の話なんか楽しみじゃな」
「教室で話す」
とにかく私は周りの目もあるし、この場面で気丈に精市の彼女を演じなければならない。仁王に聞くのは今じゃなくていい。
「わかった」
仁王は私から目を反らす。
「じゃあ、行こうかなまえ。みんなは、また部活でね」
私は精市とともに一足早く教室へ向かった。
◇
私は頬杖をついて仁王が来るのを待っていた。
でも、おかしい。別々に来たって言ってもほんの数分前の話だ。なのになかなか教室に現れない。丸井も。どうしたんだろう。早く聞いてすっきりしてしまいたいのに。私は教室の入り口を睨むみたいに見続けていた。
「よーっす」
見慣れた丸井の赤い髪が視界に入って、後続は仁王かと思いきや、彼の姿はなかった。
不思議に思っていると、そのま丸井は自分の席を超えて、私の近くに寄ってきた。
「仁王は?」
「それが、サボるってよ」
「は?」
「どこかは知らねえけど……。なんか急に、行かねえ、って」
私は席を立った。仁王は絶対なにかを隠している、そう確信した。
「ごめん、丸井。私もサボるわ」
◇
「……やっと見つけた」
「お前さん、俺がよくここにおるってわかったのう」
「まあ、付き合い長いし」
仁王がよくサボる場所といえば、屋上か保健室くらいでしょ。と付け加える。私は髪を整えながら近付いた。仁王は何か言ったけど、風で聞こえなかった。
「それで、話は? わざわざ追いかけるほどのことなんか?」
仁王の髪の毛が猫の尻尾のように見える。それが私にイライラを与える原因になった。追いかける、って。アンタが逃げるからでしょ。
私は返事をせずに仁王の腕を掴んだ。これで逃げることは出来まい。残念でした。
「私に隠し事あるでしょ? それに、昨日の、どういう意味よ」
仁王は得意のポーカーフェイスを崩さない。
「別に何も隠してなんかないぜよ。俺はなまえなんかでええんかって意味で……」
「嘘つかないで」
髪が揺れる。私なんかでええんか、ってそれはそれで腹立つんだけど。
「……お前らも嘘ついてるじゃろうが」
「え?」
「本当に付き合ってもないくせに」
とっさに仁王の腕を掴む力が強くなった。
そうだ、仁王は精市に映子さんが居るって知ってるんだ。わかりきってたことじゃないか。これくらいでひるむな、私。
「それがなによ」
「同情で付き合って、ごっこ遊びのつもりか? 報われない恋はしないのに、報われない恋の応援はするんじゃな」
仁王の言葉は私に純粋にダメージを与えた。
私は、精市に同情してるのかな。仁王の言ったことはもっともなことなのかもしれない。ただ見たってだけで。私、どういうつもりでこの立場にいるの?
私は。
仁王から手を離す。正直、今自分がどう思っているのか、どう考えればいいかがよくわからない。
「なまえ」
「私は、ただ」
精市の力になりたくて。報われてほしくて。
ーーでも、本当に私がいたからって精市は報われるの?
今度は仁王が私の腕を掴んだ。驚いて顔をあげると、いつもの無表情が崩れた仁王が立っていた。その顔はすごく悲しそうでもあり、怒ってるようにも見えて、正直どう形容すればいいかわからない。
「なまえ、1回しか言わん。幸村と付き合うのはやめろ」
「え?」
「幸村と同情で付き合ってるなら、お前が傷つかんうちにやめろ」
「なんで」
「アイツはいずれ、お前を苦しめる。そうなったら」
腕が解放される。
「俺は、見ておれん……」
うつむいた仁王は、どんな表情だったのだろう。
◇
仁王はあのあと早退してしまった。私もよくわからない感情のまま、学校に残っている。
友達に精市との進展具合を聞かれたけど、それどころじゃない。付き合うの、やめろって言ったって。
「なまえ、どうかした? 今日はなんか変だよ」
「え? ああ、ううん。なんでも」
「そう?」
お昼を一緒に食べながら、精市は映子さんの話をしている。私は、ちっとも頭にはいらないままそれを聞き続ける。
どうして私が精市と仮にも付き合ってると、傷つくのだろう。私が精市のこと好きでもないのに。
「ねぇ、なまえ」
「え? な、なに?」
「仁王と何かあったんでしょ?」
精市はなんでも見透かしたように笑った。私は驚きのあまり言葉を失くす。
「やっぱり。朝、何か話してたもんね?」
「うん……」
「何の話したか、教えてよ。表向きでも、なまえの彼氏は俺だろ?」
「そうだね」
私は、精市に仁王との今日の出来事を話した。付き合うな、と言われたことも。
「へぇ。そんなことが」
「どうしてそんなこと言うのかわかんなくて。アイツ結局帰っちゃうし」
精市はなにやらにこにこしながら、返事を考えているようだった。
昨日からお気に入りになったアップルサイダーに口をつける。
「それって、仁王がなまえのこと好きなんじゃない?」
「ぶっ」
「あははは!もう、汚いなあ」
「精市が突拍子もないこと言うからじゃん!」
むせたせいで咳をしながら精市が出したティッシュで手を拭く。
仁王が、私を好き?いやいや、意味不明だから。
「でもさあ、今はなまえは俺のものだし。手を出したら噛むよって伝えておかなきゃね」
「何それ。映子さんがいるでしょ」
極論を言うと、あの日私に見られず、別の子に見られていれば、今の私のポジションはその子だったはずだ。そんな表向きのニセ彼女のために、精市が噛み付く必要はないでしょ。
「あれ? 言ってなかったっけ? この相談役の彼女はなまえ以外に考えてなかったよ。そりゃ、映子のことが一番好きだけど、このポジションはなまえ以外はありえないから。そんな子を守るのは当然だろ」
「へ? 初耳なんですけど」
「確かに仁王と対等に話してて興味を持ったっていうのもあるけど、ずっと可愛いなって思ってたよ。この恋が報われないとき、本気で付き合ってもいいのはなまえだって思えるし」
「……そりゃ、随分私は都合いい位置にされてるんだね」
「いつかなまえも俺のこと好きになるかもしれないじゃないか。その可能性はゼロなわけ?」
「さあ」
「否定はしないんだね」
どこまで本気かわからない精市を横目に見ながら、否定が出来なかった私は随分もう精市に入れ込んでいるらしい。不覚にも『ずっと可愛いなって思ってたよ』ていうのはドキッとしてしまった。
でも、こんなことをこんな顔で言われて意識しない女の子がいるならちょっと会ってみたい。それくらい精市の笑顔は完璧だ。
「で、映子の話の続きなんだけど」
仁王、私、偽物だったとしても、やっぱり別れないよ。精市のすぐそばで、報われるハッピーエンドを迎える彼を見届けることにするよ。
たとえそれが、アンタの言うように、間違った道を歩くことになったとしても。
私は再開した映子さんの話を聞きながら、仁王に心の中でつぶやいた。
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