Act.02 その男、破天荒につき


 結局仁王の話なのか、そうではないのかわからないまま電車に揺られている。

 さすがにこの時間の車内は人が少ない。お年寄りや主婦の人ばっかりで、学校の制服の私は明らかに浮いていた。

 仁王と年上の女の人。うん、ぴったりな組み合わせ。それとも違うのかな。よくわかんない。

 私はこのまま帰るのをやめて、適当に遊べそうな場所のある駅で降りた。『寄り道するんじゃなかよ』といつもの抑揚であいつは言ったけど、そんな言うことを聞くほど私はいい子じゃない。


 繁華街の中。ふらふらと歩いて、キャッチやら、ビラ配りやらをかわしていく。


 行くあてはないけど、適当に好きなブランドの服でも見て帰ろうとしたとき、細い路地から見慣れた制服を着た男の子と、ワンピースを着た大人っぽい女の人が出てきた。どういう関係か、なんて見ただけでわかる。手をつないでるし。


『別の男と婚約中の女に、ハマってるらしい』


 さっき聞いたばかりの仁王の話が頭に浮かぶ。もしかして。

 じっと凝視していると、男の子が急に振り返って目が合った。女の人の顔は相変わらず見えない。私はとっさに目を反らして、不自然に伏せた。何も見てないっていう精いっぱいのアピール。

 でも、じぃっとこっちを見ている粘っこい視線はいつまでも私を離してくれなかった。どうしよう。道を変えてもいいけど、この次で曲がれば知らない道だ。

 目を伏せたまま、いろいろなことを考えながら何メートルかを歩いた。ちょっと速足で。そして曲がるかどうか思案しているうちに、視線の先に制定の革靴が視界に入ってきた。


「やあ、こんにちは。みょうじさん、だよね?」
「ゆ、幸村くん……?」


 目の前にいたその人のことを、立海大付属高校の中で知らない人はいないだろう。

 常勝立海大のテニス部、その頂点に君臨する、幸村精市。成績も常に上位で、ファンクラブがあるという噂にもうなずけるほどの整った顔をしている。

 その幸村くんが、どうして。

 私の頭には相変わらず仁王の話が支配していた。でも、まさか幸村くんがその人だなんてありえないんじゃないかという思いもまだ少し残っていて、そいつを色濃くしようと必死に頭が否定していた。


「みょうじさん、さっきの見たよね?」
「え?」
「嘘つかなくていいよ。目が合ったでしょ?」


 いつも通りの中性的な顔立ちで笑う顔は怖いくらい綺麗に見えた。

 面倒くさいことになった、と咄嗟に思ったが、嘘をつくともっと面倒かもしれない。


「み、見たよ。女の人と居る所」


 私は正直に話した。幸村くんはやっぱりと困った顔で笑った。


「で、でも、誰にも言わないよ! ほら、私だって今学校さぼってるし。それ言われると困るし……」


 しどろもどろになっている私に、幸村くんは唸る。さぼっていることを言われても、たいして私は困らないが、今はこう言うより他にない。対価交換にしてチャラにしてしまおう。


「でも、さすがにホテル街から出てくるところ見られて、誰かに話されるとまずいよね。みょうじさん、友達多いだろうし、その友達は噂回すの得意そうな人が多いから。ちょっと心配かな」
「ホテル……?」
「うん。この路地まっすぐ行ったらホテル街だよ。知らなかった?」
「知らない……」
「じゃあ、俺、墓穴掘っちゃったね? みょうじさん1人だったから、彼氏と待ち合わせかなって思ったんだけど。あ、よかったらお茶でもしながら話の続きしようよ」


そう言って、私の返事すら聞かず、幸村くんは私の手を引いた。


「え、ちょっと」
「もちろん、口止め料として俺の奢りだからさ」


 はじめて話したけど、この人、めちゃくちゃ破天荒だ。







 気温はすでに初夏のよう。歩いているだけで少し汗ばんでくる。適当に歩いて、たまたまあったのがマックだったので、2人でジュースを飲みながらポテトをつまむことになった。

 私、何してるんだろう……?


「みょうじさん、今『私、何してるんだろう』って思ってるでしょ?」


 そして、なんでこの人は心が読めるのか。


「まあ、見られたのは運がなかったけど、俺、実は前からみょうじさんと話したいなって思ってたから、ある意味ではラッキーかな」
「なんで?」
「まったく媚びずに、仁王と仲良くしてるから。面白いなって」
「あ、そう……」


 そういえば仁王もテニス部のレギュラーで女の子にきゃーきゃー言われてるなあ、と思い出す。いい奴ではあるけど、水を掴むような奴だからどこが人気のかまったくわかんない。悪ぶってそうだし、変な方言で、ロン毛だからか。でも銀髪だぞ。

 それにしても幸村くんは、その綺麗な顔とは裏腹に腹黒そうだった。なんだか悪い魔法が使えそうに見える。綺麗な指だし、まつ毛も長い。あの女の人も、幸村くんの魔法にかかっているのかもしれないなと思った。

 とりあえず私は面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。私には魔法は効かないのだ。


「ねえ、幸村くん」
「なに?」
「私、別にさっきのこと本当に誰にも言わないから。安心していいよ」
「……」
「女の人の顔も見てないし、ホテル街から出てきたって、ホテルから出てきたとこ見てたわけでもないし。まして、幸村くんのファンの女の子とかに面倒くさくからまれたくないし」


 実際に、幸村くんのファンは各クラス何人かいるが、総じて全員うるさい。『幸村くんに関しては私面倒くさいです!』と顔に書いてある。あるいは唯一神として崇拝しているみたいだ。

 でもそれだけ、魔法にかかっている女の子は多いのだろう。そして、もし今日の話なんかをすれば、きっと私を面倒ごとに巻き込んでくるだろうし。そんなの願い下げだ。

 そうやって面倒ごとを想起している途中で目の前の幸村くんをぱっと見たら、彼の顔はキョトンとしていて、それからすぐに笑い始めた。


「あははっ! みょうじさん、やっぱ変だね!」
「いや、別に。普通だと思うけど」
「君は今日のことを逆手にとって利用したり、俺をパシリに出来るいい機会だ、とか思わないの?」
「まったく思わないです」
「ははは! そっか、ありがとう。安心したよ」


 パシリって。うちの学校の頂点に立つほどの幸村くんをパシリにするなんて、恐すぎるでしょ、その状況。


「みょうじさんのこと信じるよ。でも、俺に何か出来ることがあったら遠慮なく言ってね?」
「ああ、教科書忘れたときとかはよろしく」
「毎日全教科持ってくるよ」


 私たちはごく普通に笑い合った。なんだ、この人普通に面白いじゃん。


「それよりさあ、みょうじさん。その顔はどうしたの?」


 幸村くんは軽く私の頬に触れた。私は、目を伏せて笑う。


「あー。これは、ちょっと」
「さっき俺言ったよね? 何かあったら遠慮なく言って、って」
「まあ、そうだけど」


 こんなの個人的な悩みだし言うか言わないか迷ったけれど、結局迫力に負けてポツリポツリとすべてを話し始めた。

 彼のこと、今日のこと、別れてくれないこと、もう暴力は何度目かわからないこと。私の話を聞き終わると、彼は私に提案をした。


「それ、俺がなんとか別れさせてあげるよ」
「は?」
「その人、俺知ってるよ。テニス部の先輩だったから。まあ、その人ずっとレギュラー落ちだったし、試合もしたことないけど。ケータイ貸して?」
「いいけど……何すんの?」
「俺がみょうじさんの彼氏だって言えば、簡単に引くと思うよ。随分“世話”になったから、ね?」


 世話って。頭がよくついて行かないまま、『まあ、別れられるならいっか』と軽い気持ちで鞄からケータイを取り出した。

 幸村くんは私に、彼に電話をかけるように言う。


「通話になったら貸して?」
「うん。でも、本当に大丈夫?」
「俺を信じてよ」
「……わかった」


 私は着信履歴から発信ボタンを押す。コール音が不安を掻き立てる。


『……あ? んだよ、ボケ。忙しいときにかけてくんじゃねえよ』


  私は聞き慣れた声にため息が出そうになる。これが彼の『もしもし』です。デフォルトです。いつも通りです。

 私は言われた通り、幸村くんに電話を渡す。


「あ、もしもし? 先輩、お久しぶりです。幸村精市です。覚えてます、よね?」

「ああ、よかったー。覚えてましたか。あ、それで、さっそくなんですけど。今日から俺達付き合うことになったんで、別れてくれませんか?」

「先輩にはもったいないと思うんで。まあ、ダメなら今ちょうど警察の前なんで、2人でDV被害についての相談行きますけど」

「あ、そうですか。じゃあ、またいつか」


 内心、心臓がバクバクしながらやり取りを聞く。

 もちろんここは、警察署の前じゃない。私が右手でつまんでいるポテトがその証拠である。

 でも、普通にそんな嘘をつく幸村くんは、詐欺師と呼ばれる仁王よりもはるかに詐欺師のような、絶対敵にしたくない相手だと思った。

 幸村くんが電話を切って、にこやかに笑いながら、私に携帯を返す。


「別れてくれるってさ」
「す、すごいね」
「お安い御用だよ」


 たった30秒くらいでこんなに簡単に別れられるのか。今まで受けてた暴力っていったい……。


「早く俺と知り合えば、こんな怪我しなかったのにね」
「逆を言うと今日会ってなければ、まだ地獄だったね」
「それはそうだ!じゃあ、よかった、よかった!」
「はは。でも、本当にありがとう」
「どういたしまして」


 私は、すがすがしい気持ちで奴の連絡先を抹消することができた。


「さて、そろそろ出ようか」







 幸村くんは帰り、私の家まで送ってくれた。今まで知らなかったが、最寄駅が隣だったらしい。世間はこんなに狭いのに、今日まで話したことがなかったんだから不思議だ。


「ねえ」
「ん、なに?」


 幸村くんに質問があるものの、突っ込んでいいのかわからず、躊躇する。魔法使いの幸村くんは、私の考えがわかったのか『なんでもきいてよ』と笑顔で言った。本当に、なんでもお見通しなのかな。


「昼間の女の人のこと、どのくらい好き?」
「どのくらいか。うーん」


 同じ革靴で、同じ歩幅でゆっくりと歩く。私にペースを合わせてくれている彼は優しい。


「きっと、俺は」
「うん」
「誰にも負けない、な」


 その一言になぜか胸が締め付けられる思いがした。


『俺の友達には好きな女がおる。けど、その女には彼氏がおる』

『それも、婚約して、同棲しとる奴が』


 仁王の話を思い出す。きっと、仁王の話の友達は幸村くん。私は確信が持てた。


「俺は本気だよ。全力で愛してる」
「そっか」
「向こうには彼氏がいるんだ。俺じゃなくて、別の。でも、たとえ向こうが俺と遊びでも」
「うん」
「俺が好きだから、それでいいんだ」


『私は、報われない恋愛はしない』


 あんな答えしか出来なかった自分を恥ずかしく思った。同時に幸村くんを否定したようで、罪悪感が生まれた。全力を捧げても、報われないと知ってても、幸村くんは彼女を愛してるんだ。


「うらやましいよ」
「どうして?」
「私さ、アイツに声かけられてなんとなく付き合ってたから。あとで好きになればいいや、みたいな。でも、それで酷い目にあったし、結局好きにならなかった。私、今まで一度も誰かを好きになったことなんてないの」


 いつもの友達や仁王にさえ言ったことがないことを今日会ったばかりの幸村くんには言えた。秘密の共有のような。お互いのトップシークレットを教え合う……と言ってもレベルが違うけど。


「初恋もまだだけど。次はいい恋愛がしたいな」
「できるよ、きっと。みょうじさんなら」


 その言葉がたとえ慰めでも、今の私にとっては、それは救いの言葉のような気がした。


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