act.01 introduction


 短期・即金・高収入というワードに引かれて、つい手に取ってしまったアルバイト情報誌。なのに、部室のソファに寝そべりながら目を凝らしているだけで頭が痛くなってきそうだった。惹かれる条件に限って、どれもこれも学生不可との文字が口裏でも合わせたみたいに並んでやがる。まったく、激ダサだぜ。

 すっかり髪の短さにも慣れた頭をガシガシを掻きながら、言葉にならない失望の声を上げた。すぐ傍の窓から半身を乗り出していた長太郎が話しかけてくる。


「宍戸さん、どうかしたんですか?」


 だが、俺は黙っていた。たしか、長太郎の父さんは弁護士で、金に関しては余裕があるはずだ。シューズだってラケットだって俺が苦労して買った新作をいとも簡単に買って来たりする。宍戸さんに憧れて!……とか言うけど、正直、上手く笑ってやれない。

 いや、それは長太郎だけの話じゃなくてこの氷帝学園っつーところの場所柄がそうなんだ。誰も金に困ってたりしない。会社での親の立場が、そっくりそのまま生徒の地位になる。社交場みたいな独特の雰囲気があるんだ。両親が普通の教師である俺は、最上級生になった今でもその空気についていけてない。


「あっ、みょうじ先輩だ!」


 帰る人と反対方向に進んでるから、忘れ物ですかね。と、長太郎はまるでラッキーなものを見たときのようにそう言った。みょうじなまえ。話したこともないが、そいつは同じクラスの女子だった。たしか有名財閥の娘。バイトなんて一度だって考えたこともないだろう。


「宍戸さん、知ってます? 俺たち2年がみょうじ先輩のこと、なんて呼んでるか」
「知らねぇ」
「聖母。もしくはサンタマリア、って。ぴったりですよね」


 聖母、サンタマリア。なるほど。神々しくて、慈悲深そう。

 あの名高いみょうじ財閥の一人娘は、俺にとって同じクラスメイトのはずなのに生きる世界を間違えたような錯覚に陥る要因の一つだった。再び学生不可の文字を恨めしく眺めながら、頭にみょうじの顔を思い浮かべてみる。透き通る肌に、少し伏し目がちないつもの顔は、まさに金持ちの聖母マリアだ。


「ああいう奴って、金に困ったことねぇんだろうな」
「えっ、何か言いました?」
「……別に」


 寝返りを打ってそっぽを向く。すると持っていたアルバイト情報誌が誰かの手によってするりと奪われた。


「おい、宍戸。てめぇ、バイトでも探してんのか?」
「!?……跡部」
「フンッ」


 跡部はペラペラと冊子をつまらなさそうに眺める。そういえばここにも金に困ってない奴がいた。きっとみょうじと同じくらい、もしかするとそれ以上かもしれない。そんな跡部に俺は見栄を張って、どうでもいい言い訳を口走っていた。


「いや、それは、その……。ほらよ、新しいラケットでも買おっかなーと思ってだな」
「へえ。つーか、ほとんどのバイトが学生不可じゃねぇか」


 跡部はそう言うと、部室の隅に置かれたゴミ箱めがけて求人誌を放り捨てる。普通、人の私物をやすやすと捨てる奴がいるか。


「それより。そんなに金に困ってんのかよ」
「まあ、お前よりは……」


 起き上がり、ソファに座る。なんだか親に怒られてる小さな子どもみたいで気恥ずかしくなった。窓の外を見ていた長太郎も俺の隣に座って、跡部の言葉を聞いている。


「仕方ねぇな。俺様がいいアルバイトを紹介してやる」
「え?」
「ちょっと来い」


 跡部は俺の腕を強引に掴むと、部室の外へと引っ張り出す。背後で長太郎が手を振っているのが見えた。








 無理矢理連れて来られたのはなんと、俺の教室だった。とは言え、放課後だから誰もいないはずなのだが、物好きな奴が窓側の席で居残りをしている。

 そいつは夕日を浴びて神々しく……まるで聖母マリアみたいな顔をしていた。


「おい、跡部。バイトの紹介のはずなのになんで教室なんだよ、突然」
「宍戸。お前、あいつのボディーガードやれ」
「は?」


 聞き間違いかもしれない。そう思って頭の中で言葉を執拗に噛み砕く。『お前、あいつのボディーガード、やれ?』――ダメだ、まったくわかんねぇ。


「あいつって……」
「だから、お前がみょうじなまえのボディーガードやれって」


 ぐちゃぐちゃになった頭を抱えている俺の視線の先には、伏し目がちに読書をする聖母・サンタマリアが、相変わらずそこにいた。


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