act.09 shock
しばらくテニスができなくなった。医者によると全治二週間程度らしく、かといってそんなに大事に至るもんでもないらしい。場所が場所だけにヒヤヒヤさせられたが、右肘の包帯がなまえを守ることができた勲章のように思える。さいわい、なまえには何の怪我もなくネクタイ一本がだめになっただけだと聞いて安心した。しかし、心の傷を思うと、なんでもっと早く行ってやれなかったんだろうと悔やむ。
ボディーガードらしいことはこの事件一回きりだったけど、俺がいた意味もあったか、なんて思ってうれしくなった。けれど、一つ、俺となまえの関係に変わったこともある。それは、なまえがいっさい、俺に話しかけることがなくなったということだった。
「宍戸さん、無理しちゃだめです! 自宅で休んでください!」
「そんなこと言うなよ。つれねーな」
「心配なんですよ」
怪我をしてからはじめて部室に来たのに、長太郎は相変わらず眉を下げて困った顔をしている。練習には参加できないって連絡済みだっつーのに、部室に来ただけでここまで言われたらたまったもんじゃない。それに今日はいつにも増して泣きそうな顔だ。
「俺のせいで宍戸さんに怪我を負わせて……。俺も一緒に行けば変わってたかもしれないのに」
「大丈夫だよ、心配すんな。お前のせいじゃねぇ」
俺は長太郎にそう言うと、部室のソファに座って求人情報誌をめくった。もう一度、もっとちゃんとしたバイトをしようと思ったからだ。相変わらず高校生不可の文字が踊るものの、ちらほらとよさそうなバイトもある。なまえに話しかけられなくなった今、ボディーガードをする前の生活が戻りつつあった。これでいい。ちょっと遠回りしただけだ。
「にしても、みょうじ先輩もひどいです。助けてもらったのに話さないなんて」
「やっとわかったんだよ。夢から覚めた気分だろ」
「俺はひそかに、宍戸さんとみょうじ先輩のこと、応援してたのになー」
「やめろよ」
「でも。サンタマリアは処女受胎。相手なんかいらない、ってことなのかな」
「……」
長太郎の言いたいことはつまり、なまえが一人を好んでいるんじゃないかという危惧だった。けれど俺は密かに、それが違うとわかっている。そうじゃない、あいつは寂しがりやで、傲慢でもなくて、人一倍、優しいって俺だけは知ってる。
ポケットに入れていたはずのケータイを教室に置き忘れたことを思い出した。俺は重い腰を上げ、求人情報誌をその辺に放る。
「俺、忘れもんしたみたいだから取ってくるわ」
「あ、はい! お気をつけて!」
「はは。もう襲われたりしねーよ」
部室のドアノブを握る。すると、そこにいたのは跡部だった。
「よう。来てたのか」
「ああ。部活は見学だけどよ」
「どこに行くんだ?」
「教室。忘れもんした」
「じゃあ、ちょうどいいな」
ちょうどいい。その意味が分からず、首をひねる。しかし、跡部は理由も言わずに部室に入って長太郎と談笑し始めた。俺はその姿にさらに首をひねり、とりあえず教室まで歩く。するとすぐ、下足室のところで何人もの女子が溜まってうわさ話をしているのが見えた。
「ねえ、聞いた?」
「聞いた、聞いた」
「あの二人、前から怪しかったもんね。納得」
なんのことを言っているかしらねえが、邪魔だ。女子の間を縫うようにしてよけて通る。すると、一人が言った言葉に、俺の足は止まった。
「まさか跡部様とみょうじさんが、結婚するなんて」
まるで、体が硬直したように動くのをやめた。結婚する。それは知っていたが、なんで学校で広まってるんだ。
「跡部様が認めたんでしょう?」
「みょうじさんはダンマリ。よくわかんない」
「たぶん、いじめ防止よ。公然の仲にして、みょうじさんを守ってるの」
「きゃー、かっこいい!」
無意識に、ロッカーを殴った。
「……」
「……うるせぇ」
腹の底から出た声に女子が逃げていく。跡部が広めた、いじめ防止、なまえを守る。……結局、おいしいところは全部、跡部が持っていく。俺は一生、あいつに勝てっこない。
何かほかのことを考えようとした。けどすぐに無理だった。教室に行くまで、みんなその話題で持ち切りだったからだ。ボディガードなんて雇わず、いじめ防止ならはじめっからそうすればよかったのに。クソ、イライラする。
教室のドアを荒々しく開け放った。そこには、初めて話したときのようになまえがいた。
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