09,

 電車は飛び込み事故を防止するために、全線で線路内に人が立ち入れないようになっていた。車は衝突を回避するために、前に飛び出せば自動でブレーキがかかるようになっていると聞く。睡眠薬やその他の自殺で使う道具はそう簡単に手に入らへん。60年で変わったことはたくさんあるけど、自殺しにくい世の中は、逆に志願者を苦しめ続ける世の中に変化した。

 朝がくるまで、病院が見える位置にある公園のベンチに座って過ごした。俺が唯一できるようになったことは缶ジュース一本でいつまででも時間をつぶせるようになったこと。ただそれだけやった。あいつは結局、この手で救ってはいない。

 自殺できる場所が欲しい。思いついたのは、目の前に高くそびえるあの病院しか考えられへんかった。あの屋上からフェンスさえ乗り越えてしまえば飛び降りなんて、簡単やろう。朝日が昇るまで何回も頭の中でシュミレーションを繰り返す。登りくる朝日が今日のはじまりで、人生の終わりの合図やった。


「……いくか」







 思えば、時間を無駄にしてばかりの人生やった。俺は15歳のあの日から、自分のために生きるのをやめて彼女のために60年以上を費やし続けた。でも、そんなことせんと最初からほっとけばよかったんや。喧嘩を後悔することも、延命断つことを拒否し続けることも、60年を2億で売ることもなかった。そうやって人のために、自分を擦り減らしてドブに捨てたんやから。

 なんでこんなことになったんやろう。もうよくわからへん。


 屋上への扉を開けると昨日と同じように、空が赤く染まっていた。朝日の美しさに感動する心が、自分にまだ残ってたんやと知る。そんなもん、早くこっから投げ捨ててしまえばええ。この身体と一緒に。そう思って、屋上から大好きやった中庭を見下ろしたとき、ぐいっと身体を後ろに引かれた。


「財前さんっ!」


 そこに、切なげな表情をした彼女。ではなく、その孫のみょうじさんがおった。


「だめ!ぜったいだめ!」
「うっさいねん、ほっとけや!」
「ほっとけません!」
「何も知らんくせに!俺がどんな思いでこの60年を……!」


 みょうじさんは全部を言いきる前に力強く抱き締めてくれた。俺は必死にもがいて抜け出そうとする。もちろん男の力差やったら絶対に抜けられるはずやった。

 やのに、みょうじさんが俺に、わかったんです!、と意味不明なことを怒鳴るから、何も力が出ず、脱力してしまった。


「わかったんです!あなたがあの指輪の送り主なんでしょう!?」

「え……?」

「昨日の夜、親戚中に尋ねました。そしたら…祖母はあなたが長い間、自分のために眠りについていたことを調べて知っていたんです!あなたがずっと生きながらえさせてくれなかったら、自分が延命措置を切られて安楽死になることも知っていた!」

「だからなんやねん!あいつは、俺の眠りが覚める前に他の奴と……」

「あなたは誤解しています!祖母がどうしてあなた以外の人と結婚したか。それはっ……!」




「それはっ……!あなたを忘れたからじゃなく、自分が生きている間にあなたに会えないと悟ったから!!だから、その希望を子や孫の私に託したんですよ!」



 みょうじさんの目からは大粒の涙が流れ、それを滲む視界で見ていた。必死になって、彼女の60年越しの思いを伝えてくれていた。


「……な…に、それ」

「ずっと祖母は…私や母にその想いを託しながら、あなたが起きるのを待ってたんですよ!」


 そんなん、俺も同じやん。俺もずっと、あいつが起きるのを待ってたのに。

 しわしわになった両手を笑ってやりたかった。また喧嘩もしたかった。せやのに。


 なあ、なんでこんなことになったん、俺ら。



「知らなくてごめんなさい。知っていれば、昨日、あんな風に言わなかったのに」


 ごめんなさい、と何も悪くないのに謝罪を繰り返すみょうじさん。俺はその胸で思いっきり声を上げて泣いた――。





 朝日が俺らを包み込み、世界でいちばん優しい朝が来たと思った。俺は泣き顔でひどい状態のまま、みょうじさんを見る。彼女も顔をぐしゃぐしゃにしていたが、俺を見て、作り笑いではない心からの笑顔でにっこりと笑う。その表情は、もう二度と彼女とかぶることはないやろうと断定できた。

「おはよう、光」



Good night and Good morning.

Thanks for reading to the end.

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