これが運命的な物語なら、結ばれた瞬間に私の病も彼の怪我も癒えてしまうのでしょう。けれど所詮、それは夢物語だけの話です。幸せな本の中だけなのです。

 実際に私の病気の原因は見つかることもなく、身体の細胞を一つずつ蝕んで焼き払い、日に日に病状を悪化させました。遠くに行った彼を想うたびに蠍の火に焼かれるような激しさが私を襲うのです。そうしたジレンマに挫けてしまいそうになって、彼がいなくなった東京の、病院の一室で枕を濡らして過ごしました。

 幸いすることは一つだけ。私が彼の恋人である、という事実だけ。






 11、銀河鉄道の夜






 日が暮れて、病院の美味しくないご飯を食べながらバツ印が並ぶカレンダーを見つめた。今日は八月十五日。手塚くんが言っていた全国大会まであとわずかとさしせまっている。全国大会までにちゃんと腕を治して九州から帰ってくるのだろうか。という疑問は建前で、早く彼に会いたいと願う自分勝手な想いが沸く。

 いつかのある日、テニスコートの近くで本を読んでいたときにした約束のことを私はちゃんと覚えている。


『もうすぐ大会始まるんでしょ? 応援行けたら、行くね』


 手塚くんもきっと覚えているだろうし、だからこそ、この全国大会の前というタイミングで怪我を治しに行ったのだと思う。でも、言い出した私が約束を守れない。今朝の体温は三十七点六度。彼の試合なんて見てしまったら命まで燃え尽きてしまうだろう。

 窓の外にはたくさんの星が見えた。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニのように銀河鉄道に乗ることができたとしたら……。そんな考えが浮かぶほど綺麗な空だった。



 ――本当は気がついているけれど、無視をしていることがある。


「なまえちゃん、今日はちゃんと食べてる?」


 看護師さんが私のベッドのカーテンを開けた拍子に、びっくりして箸を落としてしまう。きっと私の様子を見にきたのだろう。彼女が言うように、ここ最近はあまり食欲が出ないせいでご飯を残してしまいがちだったからだ。


「うん、いつもよりちょっと多く食べられてるみたいね」
「はい。でも、もういいです。ごちそうさま……」
「みょうじ。ちゃんと食べないと体調は回復しないぞ」
「え?」


 聞き慣れた声にカーテンに隠れた部分を覗いた。そこには手塚くんがいた。


「手塚くん……!」
「彼ね、どうしても今日中に話があるからって、さっきなまえちゃんの担当医さんとも話してきたの。食事中だけど面会時間もギリギリだしお話ししてていいわよ」

 ただし手短にね。と付け加えて去って行った看護師さんの背中を目で追う。ベッドの隣においたパイプ椅子に手塚くんを直視できないのは、彼が夢でないことを知るために必死だったからだ。


「いつ九州から帰ってきたの」
「今日だ」
「そう、だったの……」
「顔を見せてくれ」


 うつむきがちだった私にそう言うと、手をやさしく握って指を絡めた。その左手の体温に、怪我が治ったことを悟る。嬉しくて、半分泣きべそをかいていたから、本当は顔なんて見せたくない。けど、私の方が我慢できなくて彼の顔を盗み見るために恐る恐る視線をあげた。

 彼はとっさに私の額に自分のをくっつけて目を閉じる。ごつん、と鈍い痛みが走る頭突きにも似た行為だったが、吐いた息がかかる距離にいることに現実感が増した。


「おかえりなさい」
「ああ。会いたかった」


 心の底からの言葉に聞こえた。ぎゅっとそのまま強く抱き締められると、右の目尻から涙が落ちて肩に吸い込まれて行く。おかえりなさい。もう一度呟いて、彼の匂いを溜め込んだ。


「お前の担当医と話してきて、正式に許可をもらった」
「なんの?」
「全国大会で俺の復帰戦を見せてやる」


 驚いて彼の顔を見た。優しげに笑っている表情の中に、九州に行く前と後との違いを強さの違いを見つけた気がした。


「そんなことできるの、私?」
「みょうじ。お前は俺の恋人だろう。恋人が試合を見に来なくてどうする。違うか?」


 恋人。その響きが彼の口から出たことが何よりも嬉しかった。私は、彼に会えない間、ずっとその言葉にすがりついてきたのだから。


「絶対に行く」


 手塚くんがよりいっそう優しい笑顔になり、私の頭を撫でた。何としてでも彼の勇姿を見届けなくてはならない。たとえ、この身がどうなろうと。


 ――本当は気がついているけれど、無視をしていることがある。それは、私がこの先、もうあまり長くはないと悟っていることだ。


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