その後、しばらく夢を見ていました。芝生の上に寝転んでいる夢です。ああ、死んだとはこういうことなのだろうと思いました。身体が軽くて今にも羽ばたいて行けそうなのに、それはひどく面倒なことに思えるのです。
輝かしくて直視できないばかりの光が顔中に降り注いできます。それを遮るために手で影を作りましたが、光を受け損ねて両目に落としてしまい、小さな声が漏れました。
9、芝生
「まぶしい」
そう呟いた声は一瞬のうちに空気と溶けてなくなった。
どうやら病院にいるらしい。よく見知った天井は、病棟の一室であることを教えてくれていた。また入院だろうか。あれ。でも、何してたんだっけ。ひたすら脳を動かして記憶が途切れる前のことを思い出そうとする。脳裏に一瞬だけ芝生が見えたが、たぶんそれは夢だろう。
傍らに誰かがいる気配がしてそちらを向くと、見知った看護師さんがカーテンを閉める姿が見えた。横顔だけだったが、優しさが陽の光のようににじみ出ていて、聖母みたいに見えた。
「あら、気がついた? 学校で何があったの?」
「……覚えてないみたい」
「そう。忘れたほうがいいわ、きっと」
切り捨てるように言った看護師さんの言葉で、私は思い出そうとするのをやめた。嫌なことがあったに違いないからそんなふうに言うのだ。なら、思い出さないほうがいい。
先生を呼んでくるわね、と言って外に出て行こうとするのを、その寸前で引き止めて尋ねる。
「あの。私、また入院ですか?」
看護師さんはじっと私を見て悲しげに微笑んだ。先生から直接お話があるから。それだけ言ってスライドのドアを開放させる。
すると、その先に背の高い見知ったクラスメイトが立っていた。私の心臓はまた彼の顔を見るたびに少しずつ狂い始めてしまう。
「あら、待ってくれていたの」
「はい」
「入っていいわよ。ちょうど気がついたばかりなの」
そうして病室に入る彼の一歩一歩が近付くたびに、心臓の鼓動があわせて高鳴っていく。私は潜水士にでもなったようにとっさに布団の中に潜り込んだ。顔を見たらまた入院が長引くのではないか。という心配はなきにしもあらずだったが、それよりも彼の顔を見るのがどうしても恥ずかしいような気持ちが膨らんで、震えていたのだ。
「みょうじ」
布団の中で目を開けた。真っ暗の視界。狭くて、自分の息が熱くて湿度が増す。まるで体育倉庫のようだと思ったところで、自分の身に起こった出来事をようやく思い出した。
そうだ、私は。手塚くんと仲が良いことを疎まれて、同級生たちに体育倉庫に閉じ込められた。あのじめじめした場所で熱を出して。それで、倒れて、それから――。
「みょうじ」
彼は私の名前を呼ぶ。まかり通りはしない震えた寝たふりを繰り返す。
「……みょうじ」
三度目の口調はそれまでとはどこか違った。その声に油断して、身体中にきつく入れていた力を抜く。いつのまにか震えが止まっている。声には出さないが、ぱさついた唇で返事をする余裕すらあった。
呼吸を置いて、一旦しんと静まりかえった病室に彼は再び口を開いた。
「付き合わないか、俺たち」
世界中の何もかもが一瞬だけ止まったように錯覚した。彼の言葉を一文字ずつ分解しても理解できるものは何一つない。コーヒーカップの底に残った砂糖のように、言葉は飽和して上手く部屋に溶けきらないらしい。だから耳に残って、どうしようもない。
きっと彼はことの経緯を何もかも知って、自分のせいだと責任を感じているのだ。そういう性格だということはなんとなくわかっていたし、普段は鈍いくせに変なところだけ鋭いのも充分に知っている。そんな責任を感じて私と付き合うことを選択する必要なんてないのに。内心嬉しいと思っている自分がなんだかすごく嫌な人間に思えて息を止めた。
「お前を守りたいんだ、俺は――」
何かを言わない限り、この話は永遠に続くだろうと察した。だから、私は仕方なく、深海のような布団の中で声を漏らす。
「……返事はできません」
それはくぐもっていたが、彼の耳には絶対に届いただろう。見てもいないのに想像できたのだ。落胆する彼の顔が――。
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