7、



 しばらく俺は自分なりに完全犯罪について考えた。それはみょうじに対して行うという意味じゃない。みょうじの望み通りにしてやった後、どうやってアイツの親父をこの手にかけるかということだ。

 格闘ゲームの中の登場人物みたいな、誰もを圧倒するような力が欲しい。そしたらきっと、アイツが悲しまなくてもいい世界がもっと簡単に作り出せるはずなんだ。なのに俺は俺が思うよりもずっと非力だから、誰にもバレないような方法でこの暴力を行使しなくちゃいけない。暴力を正当に使うのはなんでこんなに難しいんだろう。
 昔から俺は考えていた。暴力では何も生まれないとか言うのは所詮、綺麗事なんだ。だから悪い奴らが厚かましく生きることができていつまでも消えない。そんなんだったら、正義の方も時には暴力を使うべきだろう。俺はそんなに変なこと考えてると思うかよ、なぁみょうじ?

 斜め前にはいつも通り澄ました顔のアイツが座っていた。






 みょうじと図書館で話した日から一週間ほど経った。俺は前と同様に手紙で呼び出され、旧校舎の地理学資料室に来ている。ずっと誰も触っていないような埃っぽい資材が乱雑に置かれており、まるで随分前に泥棒に入られた現場がそのままになっているような部屋だった。ここがもうすぐ、みょうじの死に場所になる。
 俺が適当にその辺の資料を見ていると、遅れること数分でみょうじが来た。俺は手についた埃を払ってその辺の棚へ見ていた資料を放り投げる。投げたせいで立った埃にみょうじは眉をしかめていた。


「今日は現場視察と、計画内容を話そうと思って」
「視察か。どう? 来る途中に人には会わなかっただろ?」
「うん。なかなかいい場所だね」


 みょうじはその狭い部屋の奥、俺の背よりも少し高い位置にある錆びた金属製のフックに触れたり、その周りに何があるかを物色したりしていた。俺はその様子をただ黙って見て、その反応を伺う。秘密基地にみょうじを連れて来たような気分だ。

 みょうじはしばらくすると頷いて、俺の方に振り返った。満面の笑みで親指まで立てている彼女が、昔の楽しかったときのなまえと重なって見えた。


「なかなかいいよ。このフックに私の体重が耐えきれるかが問題だけど」


 俺はみょうじが触れたのと同様にそのフックに触れようとしたが静止された。万が一、指紋が調べられたときに俺の指紋がここにあるのはマズいと言う。完全犯罪の法則、ってやつだな。


「私の計画は簡単。切原くんに背後から背負うようにして首を絞めてもらってから、ここのフックにロープを下げて欲しい。つまり簡単に言えば、自殺に見せかけて欲しいってこと」


 改めて計画を聞いて、その真実味に背筋がゾクゾクした。やっぱり俺がやるんだよな、それ。
 みょうじは首につく痕が自殺か他殺かを見極める手がかりになると言う。「上から引っ張られるようにして締め上げれば後で吊るしたときと痕が一致する」という知識を披露してくれたが、正直気味が悪すぎて聞きたくない。要は、俺の役目はコイツを自殺に見せかけて殺すことだけだ。

 確かに自殺に見せかければ簡単に処理は終わるかもしれない。みょうじはもともと友達がいないし、変な詮索をするよりも原因を「孤立」と位置づければそう片付けてしまえる。学校側も他殺より自殺の方がダメージも受けずに済むだろうからそれを望むだろう。悲しい話だけど。

 だけど、俺はなぜかこの計画が完璧に近づけば近づくほどモヤモヤが隠せなくなってきた。

 動機も、コイツの願いを叶えるっていう決意も、その後のこともある程度俺には覚悟出来ている。けれど、俺がこの犯行に及ぶには俺自身でもよく分からない心残りのようなものが浮かんでしまう。みょうじは相変わらず俺に計画の全貌を話していたけれど、俺はそれを聞き流しながらその根源を辿っていた。その未練は確実に俺の心の中にあるはずなのに、そいつが何者であるかさえはっきりとした正体が分からない。


「……っていう計画なんだけど、聞いてる?」
「え? いや、まあ。聞いてるけど一応」
「しっかりしてよね、実行犯」


 みょうじが俺の肩を叩いた。その一瞬の暖かさを、俺はなぜか思うよりも早く捕まえてしまう。小さな手だった。

 ずっと昔はコイツの手を何も考えずに握ってめちゃくちゃ遊んだんだ。馬鹿みたいに朝から晩まで、ずっと。でも、いつからか俺は自分がコイツのことを好きだったことも忘れて、コイツの変化まで見殺しにしていた。そして、気付けなかったせめてもの罪滅ぼしで俺がこの手の熱を奪う約束までしたんだ。でも――。


 そのとき俺は、自分の中の未練に手が届いた気がした。ああ、そうか。俺は未だにコイツのこと好きなんだ。


「なあ。俺さ、ある程度お前を殺す覚悟は出来てんだよ。これでも」
「……」
「でもさ、俺はお前を殺したくないと言うよりも、ただ純粋にお前に会えなくなるのが寂しいんだよ。なまえ」


 みょうじなまえは目を見開いていた。いつも人間味のないような無表情か作った笑顔のくせに、驚く顔は作れないから昔と変わらねぇんだな。

 しかし、そんな顔はほんの一瞬だけで、すぐに手を振りほどかれた。そして、泣きそうな顔と怒ったような顔が混じった変な顔で俺を睨みつけ始める。敵意に満ちた顔だった。


「何が分かるの。今まで気付かなかったじゃない……」


 その言葉は震えていて脆かったが、俺の心に深く刺さって傷を広げていく言葉に違いなかった。俺はなまえの心の闇を受け入れるためにじっと幼馴染みを見つめる。


「もう遅いよ。私は生きていたくないの」
「気付くのが遅くて悪かったとは思ってる……。でも、結局お前をそうしたのはなまえの父さんのせいだろ」
「分かったようなこと言わないでよ!」


 途端に大声を上げて、さっきまで俺が掴んでいた手で俺の頬を殴ろうとする。俺はすんでの所で彼女の手を掴み平手を阻止して引き寄せたが、俺の腕の中でなまえは必死に藻掻いていた。


「お父さんは悪くない! もうやめて! 私にはお父さんしか家族はいないの!」


 ここまで父親を盲信してるなまえに俺は言葉がなくなった。大人しく腕の中から解放すると、なまえは自分の頭を抱えて埃の被った床に涙をぼろぼろと零している。

 俺じゃ、何も変えられない。なまえの言う通り、俺は変化に気付くのが遅かった。


 なまえは泣き顔のまま、俺の横を通り過ぎて鍵をかけていた扉に手をかけた。そして俺の方を向かないまま言う。


「明日の昼休み。ここで私を殺して」


 一人になった資料室で俺はなす術もなく、ただ床についた涙の痕を眺めていた。これは俺がアイツを泣かせた紛れもない証拠なんだ。


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