6、



 アイツにはやっぱり弟か妹がいた。が、とっくの昔に亡くなってしまったらしい。

 俺はまた新たな事実を手にして、パズルのピースを当てはめていくようにアイツの過去について推測していた。俺がアイツに兄弟がいるかどうかすら忘れていたということは、少なくとも俺はアイツの兄弟に会ったことはないし、そんな報告も受けていないということになる。それに加えて、みょうじの母親も死んでる。一体、アイツの家はどうなってんだよ。

 みょうじに死にたい理由を聞かされていない俺は、アイツを殺すことを一応承諾しておきながら未だに納得いかない部分が多々あった。ただ単にアイツは母さんの後追い自殺を希望してるわけではない気がするし、そんな状態でアイツを殺すことは俺には出来そうもない。聞いても答えてくれないなら、俺が腑に落ちるまで自力で調べるしかないだろう。


 今のところ重要な手がかりであるみょうじの親父についての情報が欲しいと思った俺は、校門の傍でみょうじを待つことにした。でも、ただみょうじに真実を尋ねて情報を得ようなんてことは思ってない。っつーか、そんなことしたってまた「君には関係ない」とか「法則」がどうとか言われるに決まってる。
 そこで思いついた単純な計画がアイツを尾行することだった。ストーカーとかじゃなくて、アイツの家も知らないんじゃ親父を知ることなんて出来ないと思ったからだ。


「来た……」


 十分後、みょうじは校門から手を摩擦しながら出て来た。俺は十分距離を取ってみょうじの後をつけ始める。とにかく今は解決の糸口であるみょうじの親父について調べるためだと、自分のストーカー行為を正当化するより他にない。




 みょうじは徒歩通学らしく、ずんずんと住宅地の中を進んで行った。だんだん俺は自分がしてることがストーカーじみていることに気が引けてきて、罪悪感と使命感の間で揺れ始めている。
 こんなことしたって何か情報を得られるとは限らない。けど、やらなければ俺はアイツの苦しみの実態が何か知ることなくアイツを殺すことになる。どちらが正しいのか分からなくなってきて俺はかなり混乱していた。

 そう感じてからしばらくした頃、みょうじはT字路を左折した先にある古いマンションに入った。俺は足を止めて、その建物と昔アイツが住んでいた家を記憶の中で比べる。


「ここに住んでんのか、アイツ……」


 俺の知ってるアイツの家は異常にでかかった。日当りのいい大きな部屋がみょうじには割り振られていて、アイツの母さんはしきりに掃除が大変だと呟いていた気がする。だが、それが今では色あせているような冷たいマンションに住んでいるというのがどうもアイツのイメージと結びつけにくかった。
 コンクリートの階段が三つあり、各階の左右に一部屋ずつある古い団地のような構造だった。みょうじはその中の一番右端の階段から三階右の部屋に入ったのを俺は下で見届ける。

 本当に気分が滅入ってきそうなほど暗いマンションだった。俺はみょうじの部屋の前まで行ってみようとさっそく足を進めたが、郵便受けはやたらとチラシが堪っていたりして不快だったし、その上を大量の蜘蛛の巣がのさばっている。今回は三階まで上る階段にも訓練と割り切ることができそうもない。ただ一段一段ゴミが堪っている階段を踏みしめながら上った。部屋は空き部屋が多いのか、表札に誰の名前のない部屋が多かった。

 だが、二階まで来たとき、それまでしんと静まり返っていた辺りに物音が混じり始めた。俺はその音にじっくり耳を澄ませながら、三階のアイツの部屋を目指す。だんだんその音が、物音ではなく怒声や罵声に聞こえて来た頃、俺は自分が考えていた最悪な状況が形にされたようでゾッとした。


「遅ぇんだよ、このクソガキが!」


 この声を俺はしっかり覚えてる。ようやくたどり着いた部屋の前に立って、俺はこのドア一枚向こうの出来事をその声から察するより他になかった。


「誰に養ってもらってると思ってるんだ、クソガキ!」


 大人の男の声と何かがぶつかるような音が聞こえてくる。俺は頭に血が上りそうになるのを必死で押さえて、部屋の前で自分を葛藤していた。

 もう全部分かったよ。アイツがこの世から消えてなくなりたい理由が。


『お父さん、家では優しいんだよ』


 昔のアイツの言葉が、今は無情に思い出された。
 けれど、このまま踏み込むような真似したとして、一体俺に何ができるだろう。今までアイツの変化に気付いても無視していた俺が今さらここで踏み込んでアイツの親父を殴ったからって、アイツは嬉しいのか。喜ぶのかよ? 俺が今ここでアイツの親父を殴りたいと思うのは、俺自身の欲求を満たすだけの自己満足でしかねぇじゃん。

 今まで見殺しにしていた俺に今さら出来ることは、望み通り完全犯罪にしてアイツを殺すことだけなのかもしれない。だけど――。


 俺は部屋のチャイムを押して一つ上の階に急いでのぼる。そこから静かに部屋の様子をうかがっていると、しばらくして男がドアから面倒くさそうに顔を出した。ひょろっとした冴えないおっさんの面影は、昔公園で見たチャラさが微かに残っている。俺は自分がソイツをぶん殴りたくなるのを押さえて、その顔をしっかりと頭に叩き込んだ。


「ちっ、イタズラかよ」


 その場につばを吐き捨てた男が再び部屋に戻っていくのを見届けてから、俺は結局アイツの部屋に入ることなく下まで一気に階段を降りた。

 俺がアイツの親父の顔を確認した理由は一つだけ。俺はアイツの親父を――。


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