5、



 翌日、返却されていた俺の英語のノートに一枚の白い封筒が挟まっていた。差出人が書かれていなかったが、封筒と同じく白い便箋に「六時に図書室で待っています」と告白めいた言葉が書かれていて一人で赤面してしまう。やべー、昨日みょうじと変な話してたから気持ちが和むっていうか、一気に脱力したって言うか。とにかくめちゃくちゃ嬉しい。可愛い子だったらどうしよう。付き合うか、俺?

 そう思って便箋を裏返してみたら右端に小さい字で「みょうじなまえ」と書かれていて俺は撃沈した。絶対これって、告白とかじゃなくて昨日の話の続きだよな。間違いなく。

 まあ、俺の方も昨日の夜に母さんと話したことや思い出したこともあったし、アイツの考えてること少しくらいは理解できるかもしれない。そして、どうにか説得してこの変な計画をやめさせてやる。


「でも、普通は封筒に名前書くだろ」


 俺は斜め前の席に座る幼馴染みに小さくそう悪態をついた。






 部活が終わった後、俺はみょうじに呼び出された通りに図書館に来ていた。図書館の電気は既に真っ暗で、その古いドアには「閉館しました」のカードがぶら下がっている。普段図書館を全く利用しない俺は閉館時間をちゃんと把握していなかったが、この時期の六時ではもう閉まっている時間帯らしい。

 アイツ、本当にこんなとこに来るのかよ。俺はみょうじを疑いつつ、携帯で時間を確認してみる。時刻はちょうど一分足されて、六時ちょうどになった所だった。
 俺は図書館のドアにもたれて、みょうじが来るであろう通路の方を眺め始める。走ってくるような足音もしないし、まさか騙されたんじゃ…。そう考えたとき、突然俺がもたれていたドアが開いた。



「切原くん」
「うわっ! ……って、お前かよ」
「来てくれてありがとう」


 びっくりして振り返れば、開いたドアの向こう真っ暗な中でみょうじが薄く不気味に微笑んでいた。コイツなりの精一杯の笑顔なんだろうけど、それがめちゃくちゃ怖い。だいたい中に居るなら手紙にそう書いとけよ。

 みょうじは俺を灯りもない図書館の中に招き入れてくれた。中は廊下よりも暗く、古い紙の変な匂いが鼻につく。俺が生唾を飲み込んでいれば、みょうじは俺の背後でしっかりと図書室に内側から鍵をかけて俺の逃げ場を失くした。



「めちゃくちゃ、不気味だな……」
「そう? 私は落ち着くけど」
「いやいや、これは怖いだろ」


 みょうじは俺の話を聞かずに横を通り過ぎて窓際へ移動する。奥に進むのには勇気がいったが、そこは周りよりも外の街灯のおかげで少し明るく見えて、俺は安心しつつ足早にみょうじの後を追った。まるで光を求める虫みたいだ。

 窓枠の少し下、ちょうど腰の位置に木で出来た本棚が置かれており、みょうじはそこに座って俺を待っていた。傍には何冊もの本が高く積まれていたため、俺はそれらを挟んでみょうじの隣に同じように腰掛ける。ふと置かれていた本を見ると、一番上の本は真っ黒なハードカバーに浮き出るような白い文字で「迷宮入り事件」とか「完全犯罪」とか物騒な言葉が並んでいる。背表紙を見ても全ての本が俺をぞっとさせるようなタイトルばかりで、ここに積まれている本が完全犯罪のためにみょうじが集めた本だと理解するのに時間はいらなかった。


「昨日の話の続きがしたくて」


 みょうじは本を見た俺に静かな口調で言う。


「本気なのかよ。俺がお前を殺すって」
「ここに来てくれたということは切原くんがそれを承諾してくれたからだと思ったけど、違った?」
「ちげーよ。俺はなんとかお前に説得しようと思って来ただけだ。第一、理由もわからないんじゃ……」
「理由なんて君に関係ない」


 睨みつけるように言い放った言葉は鋭く、俺は思わずその視線に動機の追及ができなくなってしまう。みょうじは窓にもたれて、一番上に積んでいた本を手に取りパラパラとページをめくり始めた。


「完全犯罪の法則が書かれてる」
「完全犯罪の法則?」
「"あらゆる予測をあらかじめ行い、備える。いくら机の上で何十年と練った計画でさえ、予知していなかった目撃者や事柄によって計画は簡単に崩壊する。そのため、より鮮やかな犯行に及ぶには予知出来ない事柄が少ない方が有利である"」


 すらすらと読み上げる内容は俺には意味不明だった。みょうじはそれだけ読むと満足したように本を閉じ、再び俺に刺すような視線を向けた。


「この計画の理由を切原くんが知っていたところで、もし取り調べられたときに口が滑る可能性もある。つまり、疑われる要素になるだけ。なら何も知らずに私を殺してくれた方がいいに決まってる」


 みょうじの長いまつげが伏せられた。俺はコイツの言葉に少し納得してしまう。うっかり言っちゃいけねぇこともしゃべっちまう俺には、その理由を知っていることが疑われる原因になりうる……ということをみょうじは予測しているらしい。

 俺はみょうじから視線を離し、窓の外を見た。図書館は三階にあるだけあって、意外とネオンが綺麗に見える。けれど、黒い空に反射して見えた俺の顔は、自分がいつか犯さなければならない犯罪に怯えてるように見えた。ゲームで人を叩きのめすのとはわけが違う。これは立派な犯罪なんだ。


「なんで俺なんだよ……。昨日あそこに来たからか?」
「違う。この法則を元に、私と話をしていても怪しまれない幼馴染みの君が一番適してるというだけ」
「それが、お前が俺に殺されてもいい理由?」


 みょうじは頷く。しばらく俺は無言のままこの計画について考えていた。つまり、たまたま幼馴染みだった俺なら殺してもらう計画が立てやすいし疑われにくいだろうという理由だけで、死ぬ動機も明かされないままコイツを殺さなくちゃいけないっていうわけらしい。そんなのめちゃくちゃじゃん。
 みょうじは外の明かりを頼りに熱心に本を読んでいた。そして時々、ぶつぶつと計画についての独り言を呟いている。その様子に俺はコイツが本気なんだと悟る。


 俺はこの断りたくても断りきれない状況にこう思うことにした。「かつての幼馴染みが人に言えないような悩みを背負って生きることに疲れてる。死ぬことでもしみょうじが楽になるとしたら、もしかしてその方がコイツにとってはいいことなのかもしれない」って。
 しかも、今のところコイツが言うに、実行役の適任者は俺だ。コイツが苦しまなくてもいい世界を作ることが出来るのは俺しかいないって言うなら、俺がずっと見殺しにしてきた幼馴染みのために出来ることは一つだけなのかもしれない。


「……その計画は? 決めてんだろーな」


 俺の掠れた声にみょうじはこっちを見て途端に薄い笑みを作った。俺は続けて「俺に迷惑かけないような計画じゃないと、絶対にやらない」と続けると、みょうじは声に出して笑い始める。そして、うんうんと頷いて本を置いていた席に座った。


「いい考えはあるけどまだ完全とは言えない。今はともかく、この校内で昼休みの時点で誰もいない場所を探してる」
「誰もいない場所?」
「それを見つけるのが一番難しい。目撃証言を失くし、遺留品を残さないことが完全犯罪の手助けになると思うんだけど、どこかある? そういう場所」


 俺はすぐに閃いた。人の出入りがほとんどなく、遺留品も残りようがないほどごちゃごちゃした場所で、まさに犯行現場にうってつけの所。先生にもバレずに女の子と会う場所だって、仁王先輩が今日言っていたばっかりだった。


「……旧校舎の、地理学資料室」


 資料室とは名前だけで、ほとんど物置状態のそこの鍵は壊れていて二十四時間空いてるが内鍵なら閉められる。俺がそう付け足すと、みょうじは再び笑った。


「いいね、上手く行きそう」


 みょうじは本を閉じて棚から降りると、何冊かを鞄に突っ込み残りを下の棚に直した。俺も今日はこのへんで計画の話は終わりになるのだろうと察して、座っていた棚から足を床につけた。


「じゃあそういうことで。私はもう少し計画を練ってから、日程はまた今日みたいに手紙を書くよ」
「……ああ」
「あ、そうだ。私からの手紙は今後も家と学校以外の場所で処分することにしておいてね。残ると厄介だから、帰りにコンビニでも寄って肉まんの包み紙と一緒に捨てるのがいいかも」


 俺はみょうじがなぜ肉まんを選んだのか笑いながら「だったら帰りに一緒に食おうぜ」と誘ってみる。俺的には結構誘うのに勇気を使った方だった。幼馴染みとは言え女子だし、昔は好きだった相手だし。
 けれど、一緒にいるのを見られたら死んだ後に俺が怪しまれるという完結かつ完全犯罪の法則にのっとった反論をすぐに返されたので心が折れそうになった。

 みょうじに言われるがまま、俺は先に図書室から出ることになった。俺は窓辺に佇んでいるみょうじに軽く手を振る。こうしてコイツに手を振るなんて何年ぶりだろう。それこそ、最後に一緒に遊んだとき以来かもしれない。


「あ、そうだ。お前にさ、弟か妹って居たっけ?」


 「遊んだとき」で思い出した質問を名残惜しむようにみょうじに尋ねてみた。するとみょうじはそれまで計画が上手くいきそうなことににこやかな顔をしていたが、途端に険しい表情に逆戻りになってしまう。俺は昨日の母さんとの話同様、地雷を踏んだ気分になった。


「……死んだよ、とっくの昔に」


 逆光だったアイツの首のまっすぐな痕が、俺の目にはしっかりと焼き付いた。


[back]
[top]