4、
『私のこと、殺してくれない?』
厄介なことになった。いつの間にか俺は犯罪を背負わされることになっているらしい。いや、そもそも頼まれていやいや相手を殺すとなれば、俺が犯罪に問われることなんてないじゃね? っつーか、問われてたまるかそんなもん。
帰ってからもみょうじのせいですげー憂鬱な気分だった。あの後、みょうじはすぐにどっか行っちまうし、断る隙もなかった今の状況に途方に暮れてしまう。まるで有無も言わさず、俺の意志も聞かず、無理矢理殺すことを決定付けられた気がした。
「なあ、母さん」
部活のせいで家族よりも遅い夕食を一人でとりながら、近くでドラマを見ていた母さんに呼びかけた。母さんはみょうじのこともよく知ってるし、今の俺が思い付く限りで一番相談出来そうな相手だった。
「なに? ご飯、美味しい?」
「めちゃくちゃうまい。……じゃなくて」
「なによ? 今、ドラマいい所なのよ」
食べながらテレビを見てた俺でも、ドラマが今日のクライマックスなことは分かってる。けど、それよりどうしても俺はみょうじのことを母さんに話したかった。
「今日、みょうじと話したよ」
俺がそう言うと、母さんは初めて俺の方を見た。
「みょうじって、なまえちゃん? 元気なの?」
「まあ、元気だな。なんか悩んでるみたいだったけど」
「そう……」
母さんはテレビの音量を一気に下げて、ソファーからテーブルの方に移り、俺の前に座った。それだけで重苦しくのしかかる空気に、触れてはいけない話題を出してしまったときのようなマズさを感じる。俺と向き合う形になった母さんは複雑な表情をしていて、今までにそんな顔を見たことがなかった俺は箸を持つ手も固まっていた。
「なまえちゃん、何か言ってた?」
「……よくわかんねえけど」
「赤也。アンタはアンタにしか出来ないことがあるけど、なまえちゃんには優しくしてあげてね」
俺にしか出来ないこと。それってつまり、俺がみょうじを殺すことだったりすんのか?
俺はみょうじの話題を口にしながら、アイツから話されたことを何一つ母さんには言えなかった。そりゃそうだ。俺でさえ「死にたい」なんて思ったこともないのに、俺と同じ年の女子から「殺して欲しい」と頼まれたなんて何からどう話せばいいのかわかんねえ。それに、その原因も俺にはよくわかってない。
ただ、母さんはみょうじの悩んでることに何か検討がついてるみたいだった。
「なまえちゃん、再婚したお父さんと暮らしてるはずなんだけど、そのお父さんが難しい人でね。なまえちゃんのお母さんが亡くなってから、何度か様子を見に行ったけど会わせてもらえなかった。そのうちに引っ越ししちゃってもうどこに住んでるかもわからないの。仲良くしてたらいいんだけど」
「そっか……」
「私はもともと、あの結婚には反対だったのよ」
独り言のように呟いた母さんはそれ以上俺に何も言うことはなく、再びテレビに視線を合わせてしまう。俺もそれ以上のことは聞き出さなかった。
「ごちそうさま」
夕飯はもう少し残っていたけど、俺はもう手をつける気にならなくて箸を置いた。そして、そのまま母さんの前を通って自分の部屋に引っ込むことにする。
俺はアイツが引っ越ししたことも知らなかったし、母さんがそんなにアイツのことを気にかけてるなんて知らなかった。たった一人の幼馴染みなのに俺は自分のことに精一杯で、アイツの変化も全部見過ごして来たらしい。今日の授業のときと一緒だ。俺はアイツの心の変化を、ずっと見殺しにしていた。
みょうじの母さんが再婚したのは、俺達が小学校三年のときだった。俺はその当時に一度だけアイツの新しい父さんに会ったことがある。あれは確か、俺とアイツが公園で一緒に遊んでいたときだった。
『あ、お父さんだ』
アイツの視線の先には、見るからにチャラそうな男が立っていた。みょうじの本当の親父はアイツが生まれてからすぐに亡くなったみたいだから、みょうじは「お父さん」という言葉を大事に使って喜んでるみたいだった。俺だって、幸せそうなみょうじが見れてそのとき一緒になって嬉しかった。アイツが父親に駆け寄って行くのを見ながら、無条件に抱き締められるんだろうなあと思った。
『このクソガキが』
しかし、男はみょうじの頭をはたくと連れて帰らずに足蹴にしてその場を後にした。俺にも聞こえるくらいの罵声だった。
あのとき、俺は大人が怖くなった。俺の知ってる大人とか親とかいう意味が大きく違う気がしたからだ。大人っていうのは、子どもを無条件で甘やかしてくれる存在だろ。たまに俺の自分の親父に起こられて叩かれることくらいあったけど、最後は絶対に甘い言葉でフォローをくれるもんだ。だけど、目の当たりにしたアイツの父親は、明らかにアイツに暴力を奮った。
俺は情けないことに微塵も動けなくて、静かに泣き始めるみょうじに駆け寄ってやることもできなかった。それでもみょうじは泣きながら俺に言ったんだ。
『お父さん、家では優しいんだよ。本当だよ。もうすぐお姉ちゃんになるからしっかりしなさいって怒ってただけなんだ』
姉ちゃん? あいつ、弟か妹なんて居たっけ?
――自室のベッドに寝転がって、俺はみょうじに関する昔話を思い返していた。ようやく引っ張り出してきたアイツの父親に関する記憶を、俺は丁寧に紐解いていく。『もうすぐ姉ちゃんになる』ってアイツは嬉しそうに言った。けど、結局それ以降話すことがなくなって俺にはアイツに兄弟がいたかなんて全然わからない。
とにかく、アイツが自分の家のことで悩んでるって可能性は大きいだろう。今の俺にはそれだけしかアイツの動機に近付くことは出来なかった。
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