3、



 部活が終わった後、俺は丸井先輩の誘いも断って家を目指していた。別に一緒に居たくないとかじゃねえし、メシ行くのはすげー連れて行ってもらいたかったけど、それよりも今日はどうしても見たいドラマがあった。理由、それだけ。


 すっかり真っ暗になっちまった道を急ぎ足で走る。こういうときに限って、首にまとわりついてくるマフラーが不快だった。俺はそれをはぎ取ると、第一ボタンを開けるために首に手を添える。そのときに今日の英語の時間に見た、アイツの首についた痕のことを思い出した。

 みょうじ、アイツ本気で死のうと思ってんのかな。友達も作ってないみたいだし、あんなに仲良かった俺にも頼ってさえ来ない。一人で毎日、何考えて過ごしてんだろ。

 俺は首を横に振ってみょうじの想像をかき消した。そうだ、別に俺はあんな痕に気付いてなんかないんだった。アイツがもし明日死んだとしても、みんなと同じく「なんでだろーな」って適当に言っておけば丸く収まる。

 でも、本当にそれでいいのか……?


 帰り道の途中、歩道橋に差し掛かる。いつもならもう少し国道をまっすぐ行ってから横断歩道を渡るのに、今日の俺は心の内側に広がるモヤモヤを晴らしたくて訓練と称してと階段を選んだ。この気持ちも、テニスのことを考えてればなんとかなるはずだってそう思った。

 だが、階段を上りきった所で、俺はこの道を選んだことを後悔する。人がすれ違うのもすれすれの細い歩道橋のてっぺんで、ソイツは目下の国道を走る車をただ眺めていたからだった。


「みょうじ……」


 電気もないここは、薄暗くて俺が思うよりも不気味な場所だった。いや、コイツがここにいるからかも知れない。みょうじは俺の方をちらりと見たが、さして気にもしないような表情で再び車を眺め始める。まるで、飛び降りるのを躊躇するような、そんな気がした。


「いや、ちょっと待てよ!」


 気がつけば俺は、走ってみょうじの肩をつかんでいた。さすがに俺も今目の前で飛び降り自殺実行されたら困る。それに、絶対コイツのこと今止めないと化けて出てきそうじゃん。結局、俺が家に帰ってもどうなったのか気になって夜も眠れなくなっちまいそうだし。

 俺の制止に、ようやくみょうじは人間らしい顔をした。つまり、驚いていた。


「切原くん」


 英語の授業のときのように、みょうじは驚いてもなお丁寧な発音だった。でも、どうしてか聞き慣れないのはみょうじが昔は俺のことを偉そうに赤也と呼んでいたからだろう。俺だってみょうじと話さなくなってからは苗字で呼ぶようになったけど、むしろそれは別人を呼んでる感覚に近いものがあった。


「お前、こんなところで何してんだよ?」


 俺は震えながらみょうじにそう尋ねた。震えていたのはたぶん、みょうじが俺の苦手なお化けとかに似てたからだ。なんか怖いんだって。

 どうかみょうじの答えが変なものではありませんように、と願いながら彼女の言葉を待つ。みょうじは驚いていた顔を無表情に変えた。


「ああ、死のうかなって」
「おいおいおいおいっ! やっぱりかよっ!」
「でも、勇気が出なかった。今日は切原くんに辞めてって言われたし、大人しく辞めておくよ」
「そうしてくれ、頼むから」


 深くため息が出た。コイツ、なんかずれてんな。昔からだけど。

 俺はみょうじの肩から手を離して、並んで車を眺め始めた。このときにはもうドラマなんかどうでもよくなっていて、コイツがこの場所から離れるまでを見届けないと気が済まなくなっていたんだ。

 一方、死にたがっていたみょうじは平然としていた。泣くわけでもなく、俺に死にたい理由を話すのでもなく、ただ車を眺めて何かを考えているみたいだった。風が吹いてみょうじの髪が俺の肩に触れていくのも押さえたりしないし、直立不動のままで俺の方も見ない。

 何考えてんの?、って聞こうと思った同じタイミングで、みょうじは俺に口を開いた。


「切原くん、私達幼馴染みだよね」
「え? まあ、そうだな」
「じゃあ、私のお願い聞いてくれない?」
「お願いって?」


 俺がふと彼女の方を見ると、目が合った。長いまつげを瞬かせることもなく、みょうじは強い口調で俺に言ったんだ。


「私のこと、殺してくれない?」
「……は?」
「もちろん迷惑かけたりなんてしない。君が私を殺したなんて、誰にも思わせたりしない。だから……」
「冗談じゃねぇよ! 何言ってんの!?」


 面食らってそれ以外何も言えなかった。迷惑かけないから殺して欲しい? 意味わかんねえ。なんだよ、それ。


「君しか頼めないと思って。私、自分で死ぬ勇気ないから。生きていたくないの」
「甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ」
「甘ったれてなんかない。私はずっと友達だった君になら殺されたいの」


 みょうじはそう言って、空を仰ぎ見た。つられて俺も見たが、何てこともない冬の空だった。


「……完全犯罪を企てよう」
「完全犯罪?」
「そう。私を殺すための、完全犯罪」


 俺はそのとき初めて気がついた。みょうじは空が見たくて上を向いたんじゃない。さっきまであんなに普通にしていたのに、目に涙をためていたからだった。


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