4、
俺にはなまえという双子の妹が居た。二卵性だから顔も似ていないし、言わなければ誰も俺と兄妹だなんて気がつかないような双子の妹だ。
彼女と俺は何もかもが違っていたけど、一緒に遊ぶのが好きで、どこへ行くのも一緒だった。童話に感化されて蒼鳥を探すなんてこともしたし、お揃いで買ってもらった自転車でどこまで遠くへ行けるか試したりもした。特別な絆で結ばれた双子という関係が俺はとても好きだった。
しかし、大きくなるにつれて周りは俺達に別々の評価を与え始めた。昔から器用だった俺と、失敗や不注意をしがちななまえは端から見て実に愉快だったらしい。なにも悪くないなまえを蔑んで笑う人が増え、特別なことは何もしていない俺がよく人に慕われるようになった。それが俺達の齟齬の始まりだったんだと思う。
俺は褒められるという自分だけの優越に浸って、なまえの苦しみには一度も歩み寄らなかった。彼女は徐々に人を避け始め、一人でいることを好む内向的な性格に育っていく。彼女にとって、それは当たり前のことだった。
俺は馬鹿だった。俺や両親を避けて自ら嫌われるような行動に出ることは当然だったのに、そのことにすらもう気がつかないほど感覚は麻痺していたんだ。
『お前なんか居ても居なくても』
暗闇に今にも解けてしまいそうな彼女に何度も謝る。あのとき、俺があんな心にもないこと言ってしまったから、きっと今頃はもう彼女にとっての居場所はなくなってしまっただろう。仲直りの機会さえ、彼女から摘み取ってしまった。内向的な彼女のことだから死んでしまいたいとさえ思っているかもしれない。それは偶然にも、今の俺と同じ感情だった。
体が思うように動かなくなって、初めてなまえの気持ちに近づけた気がする。人に失望されたり、残念に思われたりすることがどんなに辛いか今まで考えられなかった。ずっと、なまえは一人でこの苦しみに耐えていたのかと思うと本当にぞっとしてしまう。
きっともうなまえは俺に会いに来ない。両親は「きっとなまえが同意して、俺の病気を治してくれる」と言ったけど、それはいくらなんでも気休めだろう。もし逆の立場だったら俺は絶対に協力なんてしない。そう思えるくらいだから、俺は兄貴として最低だと思う。
もし翼が生えてどこへでも好きなところへ行けるなら、たくさん会いたい人がいるけど、まずはなまえに一言だけでも謝っておきたい。こんな兄貴でごめんって。それから、人との距離の計り方をいろはから教えてあげるんだ。二人で一人の双子だから、俺達は足りないところを補っていかなくちゃいけないんだって。
許してくれないだろうけど、そんな期待を抱くと涙が出た。
◇
目が覚めると病院のベッドでいつも通り横になっていた。光が溢れていて、今日も朝が来たんだと思わせてくれる。目尻がなぜか冷たくて不快感があったため、すぐに寝返りをうって枕で拭った。
それからしばらく、まるで過去の回想のような夢に登場してくれた妹に、心の中で謝り続けた。申し訳ない気持ちでいっぱいで、そうせずにはいられなかった。
「精市」
突然俺を呼ぶ優しい声が聞こえて、少し眠いふりをして声の方へ目線を向ける。そこには父さんと母さん。それに、夢にまで見たなまえが居た。彼女は俺を見て少しおののいたように後ずさりをする。声をかけたのは母さんだったらしい。
「いつまで寝てるの。せっかくなまえが精市の病気を治しに来てくれたのに」
母さんが少し呆れたような口調で言うと、白い綺麗な紙を俺に見せた。光に透けて少し見えにくいが、それは既に書き込みがされていて、署名のところには『幸村なまえ』と書かれている。
状況を上手く読み込むことが出来ない。あんなに酷いことを言ってしまったなまえが、どうして俺を助けようと思ったのだろう。俺は兄としては最低の存在だっただろうに。
「ほら、なまえ。精市に何か言いなさい」
「何も言うことなんてないけど」
「もう。素直に言えないところがなまえらしいわね」
「今日からなまえも入院して検査なんだ。精市の型と適合すれば、年明けにでも手術して治すことが出来るかもしれないぞ」
「なまえ。本当に決断してくれてありがとう」
「別に。死ぬより助けた方がいいかと思っただけ」
「…本当に素直じゃないんだから」
なまえだけは少し赤くなって俯いたが、父さんも母さんもなまえの態度を微笑んでいた。この光景が、まだ俺となまえの間に行き違いがないときと重なって見える。
喜んだりするよりも、突然の出来事に呆気にとられていた。なまえも検査のために入院すると言うことで、手続きのためにその場を後にすることになってからも、俺は自分の中に納得出来ないような何かがある。第一、俺はなまえ本人を目の前にして謝ることも出来なかった。
「精市」
手続きのために出て行ったはずのなまえが、俺の病室に一人で戻って来た。
今、彼女は確かに俺のことを"精市"と呼んだ。なまえは俺に対して名前で呼んでいたんだと改めて思ってしまう。
俺がなまえにどう謝ろうかと口を開閉させていると、なまえはベッド脇の棚を指差した。
「引き出し」
「…引き出し?」
それだけ言うと、なまえは足早にその場を立ち去る。また何も言えなかった。
よく意味が分からないまま、俺は言われた通り近くの引き出しをあける。その中には先程母さんが見せてくれた同意書と同じものが入っていた。ただ違うのは、紙がぐちゃぐちゃにシワを作っていたことであり、所々濡れた場所が乾いているようにも見える。
それを見ると、各チェック項目には答えていないが、最後の署名欄だけにはなまえの文字で名前が書かれていた。太陽の光で照らしてみると、裏に何かが書かれている。
そこには規則正しい文字が数行に渡って書かれていた。
親愛なる貴方へ
まさかこんな形で手紙を書くことになるなんて思っていませんでした。
私は貴方にとって
どういう存在なのでしょう?
もし貴方にも「親愛」という言葉で
形容してもらえたとしたら、
私はすごく嬉しいです。
私は貴方に対して
ずっと憧れにも似た感情を抱いていました。
だから、貴方のことを嫌いになったり、
ましてや恨んだりは一度もしていません。
こんな私でしたが、
貴方を支えられたり、貴方を励ましたり、
貴方の力になっていたとしたら
私はやっぱりすごく嬉しいと思います。
今まで本当にごめんなさい。
私は自分のことが嫌いです。
もうこの世界で生きるのが嫌で
死のうと思って、今日は家を出ました。
貴方にもきっと嫌われているのに
協力なんてしたくない、と
その不条理さを呪いました。
けれど、ここにきて
貴方の泣き顔を見たとき
私はその呪いを捨てることが出来ました。
貴方も私と同じく
死にたいと思っていたのではないですか?
私は今でも自分のことが嫌いです。
本当は貴方にも
「親愛」などと形容される価値もない
人間だと思います。
それでも、貴方と私が重なった今
貴方を好きであるということは
自分自身の肯定であることに気付きました。
親愛なる貴方は
親愛なる私でもあります。
これからをくれて本当にありがとう。
俺がなまえに対して思っていたことがすべてここにあった。彼女の言う通り、俺となまえは兄妹よりも深い絆で結ばれている双子だと思う。そして、俺もまた同様に彼女に対して「親愛」の気持ちを抱いている。
まるで恋文のような文章を抱いて、俺はその紙に新たな染みを作った。
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