you must remember december | ナノ
みょうじなまえ編、三
「なまえ!」
終礼が終わってすぐ一際澄んだ声で私の名前を呼んだのは、一ヶ月前に友人になった白河ナオだった。彼女とはつい先日からお互いのことを名前で呼ぶことを決め、私もそれを実行している。親以外の他者から自分の名前を呼ばれているうちに私は自分がなまえという名前だったと改めて実感し、そして自分の名前が好きになる。ナオにそう言うと、彼女もそうだと笑ってくれた。お互い名前で呼び合うことは結束を深める証になっているのだと私達は理解していた。
私は声のする方向を振り向き、家で練習したぎこちない笑顔で彼女に答える。ナオは生まれながらの天真爛漫な笑顔で、私の傍に駆け寄って来た。五月の大型連休を終えた日の、二年四組の教室でのことだった。
「ナオ。今から部活?」
「ううん、今日は休みなの。さっき蔵からメールがきてた」
「へえ、そうなんだ」
私の素っ気ない態度にも屈せず、ナオは突然私の両手を取り自分のもとに引き寄せた。私はそんな彼女の行動に女でありながらドキドキしてしまう。こんなに可愛い子が私を友達だと思ってくれているのかと思うと、私は世界で一番幸せのような気さえしてしまう。だが、これこそが至って普通の友達関係なのだ。
「ねえ、なまえ。よかったら一緒に帰らない?帰りにアポロに寄ってプリクラ撮ろうよ」
プリクラ。私は今まで既知していた羨ましいその単語を友人である彼女から聞かされて、嬉しくないわけがなかった。ナオの言うアポロとは学校からほど近いところにある商業ビルのことで、私はそこに今まで行ったことがない。なにしろ最近まで一人だったのだ。そんな人の賑わうところに一人で行っても、楽しいことなどない。
私はそこにプリクラの機械があることを知らなかったので、ナオはそこに既に何度も行ったことがあるのだろうと察した。途端、私の頭には白石くんの顔が浮かぶ。彼氏彼女の関係なら、プリクラを撮ることなど当たり前の行為なのだろう。あるいは部活のメンバーでそこに行くことも常習的にあるのかもしれない。
私は恥じを忍んでナオに『そこへは行ったことがない』と話した。するとナオは持っていた私の手をブンブンと嬉しそうに振り上げるのである。
「なら尚更、なまえと行きたいな!」
「どうして?」
「私はなまえにいろんなこと教えたい。同じようになまえにも私の知らないことをたくさん教えて欲しい。例えばそれはなまえ好きな作家だったり、昨日の晩ご飯だったり、靴のサイズだったり、なんでもいいの。私達はいろんなことを共有して笑い合ったり、お互いの感情を分かち合いたい」
ナオはそう言って笑う。私とは手を繋いだままだ。
「それにね。なまえがプリクラを見返す度に『初めてのプリクラはナオと一緒だったな』って思って欲しいの。そういうの、嫌だったりした?」
「ううん、全然。むしろ、」
「うん」
「嬉しい」
ナオは照れ笑いを浮かべる私を強く抱きしめる。周りの子達が変な目で見るのもおかまいなくだ。私はナオが抱きしめる腕が苦しくて藻掻いているものの、この時間が一生続いて欲しいと思った。ナオは耳元で『青春だー!』と叫ぶ。私はこれが青春なのかと身を持って知る。私は彼女の背中を二回ほど軽く叩いて、仕方ないとでも言うようにナオを笑った。
「いや、青春やなー!ホンマ」
そんな声が聞こえて私達は離れる。声の主は忍足くんで、その隣には白石くんがいた。彼らは今年同じクラスで、ニ組の終礼後すぐこの四組に来たそうだ。もちろん、ナオを迎えに来たのだろう。
「へへへー、いいでしょー?」
「めっちゃ羨ましいわ。よし、忍足!俺らもいっちょ青春するか!んーっ、エクスタシィー!」
「最後のつけんな、キショく悪い!っちゅーか、可愛え女の子やったら大歓迎やけど、ヤロー同士はきついやろ!」
「なんでや?別に俺は本気やで」
「誤解されるやろが!」
ナオもクラスに残っていた人達も、二人のやり取りを笑っている。その間にも、人気者のナオには別れの挨拶が飛び交っていた。私も、心優しい人からはナオのおこぼれをもらうように挨拶を受け取ることができるため、ナオ効果は本当にすごいと尊敬してしまう。
「まあ、でもせっかく遊びに行こうっちゅー話なら、俺らも混ぜてーや」
忍足くんがそう言うと、ナオは低くブーイングの声を漏らす。私は水を差さず、黙ってことの行く末だけを見守ることにした。
「いいけど、プリクラは駄目。なまえと私で撮る約束なんだから」
「安心せえ。プリクラは俺らでもあんま興味あらへんから。どうせゲーセン行っても忍足にレーシングゲームせがまれてたぶん忙しいし」
「白石!あれ絶対やろな!」
「わかったて」
キラキラと輝く瞳の忍足くんとは対照的に、白石くんが面倒くさそうに言う。けれど、それは本心からじゃなくて、きっと二人の間に見えない信頼関係があるのだと思った。私もそれをナオと築けるだろうか。いや、築いていくのだ。私達はまだ友達になって一ヶ月しか経っていない。
そんなことを思いつつふとナオを見てみると、ナオは何か閃いたような表情で小さく声を漏らした。どうやら何か思いついたらしく、私達は彼女の言葉を待つ。
「じゃあ、それは四人でやろう!ね、なまえも!」
突然自分の身にも降り掛かってきた提案に私はたじろぐ。そんなことをやったこともない私はどうすればいいかわからないし、つまらない操作ミスを理由で負けるのも悔しいような気がする。面白味のない奴だとも思われたくない。私はナオとプリクラが撮れればそれでいいのにと心の中でつぶやいた。
しかし、白石くんも忍足くんもすぐ乗り気になった。私が上手い打開策を思いつく前に三人は話を進めて行く。
「お、その案乗ったで!ほな、負けた奴がやまちゃんのたこ焼きおごりな?」
「あそこのたこ焼き、マジで美味いからなあ。こら、負けられへんで」
「望むとこよ!」
「えっと…」
どうやら拒否権がないと悟った時には既に遅かった。三人に連れられて、私は大人しく教室を出る。頭では財布の中の残金を思い起こしながら、たこ焼きを奢るだけの金額はあっただろうかと不安に駆られた。そして、どうしてこんな状況に自分が置かれたのかを考え、ナオのたまに見せる破天荒ぶりも友人として許容せねばならないのだと心に誓う。
私にはナオを恨む気持ちが一つも生まれてくることはなかった。それはきっと、この状況が苦々しくも友人関係を築いていく上ではきっと楽しいものなのだと思うからだろう。ナオがいたからここに私は居場所をもらえているのだと、自分の心境の変化を肯定的に捉えて納得することでこの状況を収める。
「ごめんな、急に」
下足に履き替えたあと、隣に来た白石くんが私に小声で謝罪をした。私はその理由が無理矢理レーシングゲームに参加することになったことに対してだと思ったが、そうではなかった。
「ナオ、たまに無茶言うときもあるけど。堪忍したってな」
「そんな。私はナオに感謝してるくらいだから」
「ならええけど」
白石くんは、私達の少し前を忍足くんと歩いているナオに目線を向ける。
「あいつ、マネージャーなりたての頃は結構女子の先輩にいじめられてたりしたらしくてな。せやから、自分のこともほっとかれへんかったんやと思うで」
「そう…」
「今でこそあんな無茶苦茶な性格になったけど、無理矢理みょうじさんを誘ってるのはそういう理由もあんねん。やから、これからもナオと仲良くしたって欲しい」
白石くんは落ち着いたトーンで私にそう言う。まるで父親のような暖かな目線を彼女に向けている。私はその行動になぜかすごくモヤモヤした。それはナオが昔いじめられていたことに憤慨したからという理由ではない。きっと、私はどうしようもないくらい白石くんが羨ましいことに気がついてしまったのだ。
つまり、私は自分よりもナオのことをずっと知っていて当たり前の相手に、明瞭な嫉妬心を抱いている。それが彼氏であろうが関係がないとでも言うように。
私はそれを表に出さないように押さえつけながら、白石くんにぎこちない笑みを浮かべた。
こんな笑みで、自分はナオとの初めてのプリクラをきちんと撮れるのか心配になった。しかし、いざ撮ってみると、自分の中にあるそうした黒く濁った人間は映っていないことに安堵する。きっと私の思い過ごしだ。そう思っておくことにしよう。
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