you must remember december | ナノ



千歳千里編、八



 私は千歳くんの部屋でコタツに入りながら呑気にみかんを食べている。そこはまるで極楽のような心地だ。それは、足元が暖かいことや口内に広がる甘みだけではない。これから何日か誰にも虐げられることのない休息の時間が続くという安堵もある。傍らには彼がくれた鍵についているキーホルダーと同じキャラクターのぬいぐるみが大中小と並んでおり、私は心が穏やかになるのがよくわかる。彼の部屋はなんというか和むのだ。男の子の部屋ではないようだとも思う。
 千歳くんは鼻歌を歌いながらテレビを見ていた。その曲は最近流行っている曲だと言うが、私は流行に疎いために知らない。なんだかとてつもなく言いにくい歌手名だったのですぐに失念してしまう。私は人の名前を覚えるのが苦手なのだ。



「千歳くんって寒がり?」
「そやねえ…。どっちかと言うと、寒いのは嫌いやね。熊本はもうちっと暖かよ。一度来てみんね?」
「ぜひ行きたいな」
「よか所ばい」



 そう言うと満足したように笑ってコタツに潜る。よくもまあ、そんな大きな体をこの小さなコタツに潜らせることができるものだと私は思う。

 休息の時間と言う理由は、今日から来週の月曜日まで学校はないことによる。カレンダーを見ながら数えてみると、なんと五連休だった。というのも、それは私達が自主的に作り出した休息の期間である。
 私達は修学旅行に参加しなかった。今頃同級生達は関東のどこかに居るということしか私は知らない。班分けの時間に私は返事もせずに本を読んでおり、ジャンケンに負けた班に罰ゲームのように入れられた。誰にも歓迎されていないことは知っている。だから、私は最初からこの旅行に参加するつもりはなかった。行ったところで楽しくないことは目に見えているし、私が参加してもみんなの嫌がらせにしかならないのだ。私は最後のみかんの一房を頬張りながら、今朝、鼻をつまんで教師に電話したことを思い出して可笑しくなった。仮病とは見抜かれなかったらしい。
 私が修学旅行に参加しないことは、千歳くんだけにあらかじめ伝えた。すると、彼はいとも簡単に『じゃあ、俺も辞める』と言ったのだ。まるで当たり前のことを言うような、迷いのない選択だった。私は当然反対したけれど、彼が聞き入れることは結局なかったらしい。私達は修学旅行で仲間との親交を深めることよりも、いつもは見られない昼間のテレビを視聴することを選んだだけの話だった。



「それにしても…。君は体が大きいから、コタツにそうやって潜られると足が当たるんだけど」
「なんね?出て行けってことばい?」
「そうじゃないけど」
「そぎゃん意地悪なこと言われても、俺がここから出ることはなかよ?」



 彼はもぞもぞと身動ぎをする。その度に私の足に、彼の体の一部が触れる。私はいたたまれなくなって、足を退かす。
 一応ここは私の隠れ家だが、彼の家である。主は彼だ。私は主の邪魔になってはいけない。私はより一層小さくなって、今まで入っていた足を少し外に出した。



「なまえちゃん」



 彼が私をちゃん付けで呼ぶ。甘えたいのだな、と私はとっさに思う。



「こっち来んね?」
「え」



 私は自分の心臓の高鳴りを覚える。掻き乱されるような感覚だ。少し触れるだけでも意味が分からなくなるくらい同様してしまうのに。
 また、私は彼が言う"こっち"の意味がよくわからなかった。私達は四角形の机で隣接している辺に居る。彼は横に寝転がっており、私はさっき座り直したせいできっちり正座をしている。『こっちに来い』ということは、彼の横になっている体の傍に来いと言うことであり、そこに私の入り込む隙間などないように見えた。それに私の今居る場所が、実はテレビが一番見やすい場所なのだ。ここを動き、千歳くんの傍に寄るということは、間違いなく今よりもテレビが見えにくくなる。

 私は千歳くんが私用にと買ってくれた専用のマグカップに口を付ける。中身は日本茶であるが、味は随分濃い。今日は彼に淹れるのを任せてしまったため、茶葉を入れすぎたのだと悟った。私は急須の蓋を開けながら、彼に丁重に断りの言葉を放った。



「お断りします」
「…なんでこっち来んと?」
「狭そう」
「なら座るばい!」



 千歳くんは傍に乱雑に放ってあった紺色のカーディガンを手に取って、コタツに足だけを入れるように座り直した。そして暖かい体を冷まさないようにニットに腕を通している。
 私はようやく足を伸ばすことを許されたわけだが、正座のせいでしびれていた足のせいで、一瞬電気の走ったような痛みを覚えた。こうなったのも千歳くんのせいだ、と私は彼を黙って睨む。



「ほら、座ったと。だからこっち来んね!」
「いや」
「なんね。なーんもせんばい?」
「あやしい」
「あやしいことなんてなかよ」



 千歳くんは憤慨したように言う。まるで大きな体をした、小さな子どものようだ。私は、彼の前にあった揃いのマグカップにお茶を足す。これを飲んで、どうか落ち着いて欲しい。



「…なまえがこっちに来んのはわかっとったばい」
「そうですか」
「なら、こっちから行くまでやけん」
「え?」



 千歳くんは私がお茶を入れたカップを私のカップにかち合わせ、そしてコタツから出る。そして私の背後に回り、狭い四角形の机の同じ辺に無理矢理その大きな体をねじ込ませた。そして、あっという間に私は彼のひざの上で羽交い締めにされながら、昼のおどろおどろしいドラマを堪能することになってしまったのだ。



「なまえちゃん、ぬくぬくやねえ。俺は幸せばい」
「ああ、そう…」
「俺には見えるばい。このまま仲良く昼寝する姿が」
「透視能力使わないの!」
「透視じゃなかよ。才気煥発ったい」
「…凡人はそれを透視と呼ぶのよ」



 彼は私の肩に頭を置く。ふわふわの髪が私の頬を撫でている。付け足しておかなくてはならないのだが、私達は決して恋人という関係ではない。あくまでこれは友達の範疇内なのだ。私はそう自分に摺り込ませておかなくては、やっていられない。そして、私はこの背中に貼り付く人間カイロを無視してお茶をすすることで、気も紛らわせておかなくてはならない。でないと、心臓は爆発してしまいそうだ。



「腹減ったねえ」
「何か食べる?みかん」
「剥いて」
「はいはい」
「そんで食べさして」
「…千歳くんは、どれだけ甘えたなんですかね」
「なまえちゃんだけったい」



 ドラマが佳境に入っている。いつも思うが、こういう昼のドラマとはどうしてこうも主人公を不幸に陥れたいのだろうか。もちろん需要があるからだろうが、それを喜ぶ者がいるということもまたおぞましい。私は本日二つ目のみかんを剥きながらそう考える。

 しかし、剥き終わった頃には思いがけないことに彼は私の背中に貼り付いたまま眠っていたのだ。私はそんなにドラマに集中していた覚えはないぞ、と心の中で言ってみる。
 彼の寝顔はなんだか腹の立つような、安心するような顔だった。私は剥いたばかりの食い手のいないみかんを勝手に食べてやることにする。あくびが出てきた。どうやら彼の透視は本物になりそうである。
 私は彼をゆっくりと横たわらせて、みかんを食べてから眠る。そのときにはもうドラマは終わっているだろう。安心して、彼の隣で眠っていられるのだ。そう考えると私は幸せの意味を知ったような気がする。


 ナオはこんな私を見てなんと思うだろう。祝福か、妬みか。それはまるで、昼のドラマの登場人物の心境のようでもある。


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