you must remember december | ナノ



みょうじなまえ編、七



 ナオからの連絡に私は一貫して無視を続けていた。私はあれ以来、人との距離のはかり方がよく分からなくなってしまったのだ。あんなにも仲良くしていたナオと急にどう接すればいいか分からなくなってしまったし、以前通り二学期から一人でいる方法ももう分からない。私はナオの言う通り、私には他の人を知る必要があるのだと思う。それでも私はそれを拒んだのだ。
 原因は一方的に私にある。ナオが悲しい顔をしたのは私のせいだ。私がもっと社交的な性格だったら、あんなことは起こらなかったのかもしれない。悔やまれるが、あの時はそれ以外の道がないように感じた。

 嫌なくらい清々しい音が、風に乗って私の耳に届く。部屋の窓辺に置いてあった携帯からだ。きっとナオから私に向けて何かを発信しているのだろう。私はそれを聞いて無視しようと思った。私はもう彼女に近付いてはいけないのだと思う。その権利はもう無くなってしまった。
 私は目を閉じてベッドに寝転がる。そしてその音を聞こえないものとして意識を別のところに集中させることにした。体を支えるために一定のところで反発が起きるベッド。残暑で照りつけているはずなのに、部屋に入るなり不思議に変化する涼しい風。こうして横たわる体はひどく重く、私は自然に目を閉じる。携帯電話以外のことであれば何を考えてもよかったのに、いつの間にか私は自分を空想の中に置いていた。
 夜は眠ることを拒むのに、そのときはなぜかすんなりと眠りに入ることが出来たように思う。気がつけば夢を見ていた。





  ヒグラシが遠くで鳴いている森の中で私は目を開ける。目前には生い茂る葉たち。日や風のせいで、私の白い皮膚に万華鏡のように様々な影を落としている。細かな枝を伸ばすその木が私に告げていることは『ナオを捜せ』ということだった。
 そうだ、私はナオを捜さねばならない。そのためにこの森へ来たのだ。
 私は何かに追われるように彼女を捜し始める。誰に追われているのか、なぜ彼女を見つけなければならないのかもわからない。理由はとっくに忘れてしまったが、私はナオを見つけるという行為を行わねばならないのだ。
 木々の隙間から光が射していて、私を照らす。夏の日差しだ。日射病になりそうなくらい、ひどく熱くなってくる。私は懸命に森を捜索し続ける。細かい枝が、私の肌を裂く。
 突然人気を感じて、私は振り返った。そこにはナオではなく、色素の薄い白石くんがこちらを見ている。また、私の背後にはいつしか忍足くんがいて、まるで二人は私を囲むようにこちらを見ていた。彼らは口々に言う。



「なんでナオを捜してるん?」



 私は首を振る。わからないのだ。私がナオに固執して探している理由が。私は一瞬、ナオの笑顔を思い出す。夏の日差しのように眩しく、私を照らす笑顔だ。私はふと思いついて、その笑顔を見たいからだと口にする。



「みょうじさんのせいやで」



 彼らは私に言った。



「みょうじさんが、ナオを傷つけた」



 その通りだ、と私は思う。だからうまくナオの笑顔を見つけることが出来ない。
 声にならない声をまた出そうとする。掠れたうなり声だけを私はあげる。



「ナオも同じように、この森におるよ。でも、どうやってみょうじさんにナオが見つけられる?」
「…」



 確証がない私は彼らの質問に口をつぐむしかない。私のせいで傷ついたナオを、私がこの手で捜すのだ。それはナオをまた傷つけることになるかもしれない。そうとわかって、ナオも私に見つけられまいと隠れているのかもしれない。あるいは、彼らが嘘を吐いている可能性もある。ナオはもうこの森にいないのかもしれない。
 私は言葉に困った。何も言わずにただ俯いて黙っていた。もはやこれは、私の十八番なのだ。言葉に困って、何も言わずに俯いている。誰にも見つけられないように体を縮こませて、無視されて嘆くだけの生き物だ。
 いつの間にか空が回転している。ヒグラシ達も鳴くのをやめており、あの暖かな日差しも何もない夜になっている。二人はもう目の前にはいない。私は途端心細くなって、震える。孤独とはこういうことだと理解する。森は闇のように深く、私を迷わせる。



『ねえ、ナオは見つかった?』



 私の背中に声をかけたのは、私によく似た一人の女の子だった。私を見て不気味に微笑んでいる彼女は楽しげでもあり、悲しげでもある。私は彼女の質問には答えずに、彼女の存在について問うた。だが、彼女もまたその質問に答えることはない。



『他なんてどうでもいいじゃない?ナオと二人で、ずっと友達。それがあなたの幸せ』
「…そうよ」
『ナオを独り占めして、ナオにあなたはすべての選択を任せればいい。依存して、あなたはナオがいなければ生きていけなくなるの』
「それでいいの、それが私の望んでいること」



 本当にそれでいいのだろうか。私は自分で彼女を肯定しながら、頭では全く別のことを考えている。
 彼女の瞳に私が映っている。辺りは暗いはずなのに、その姿は確かに見えた。



『じゃあ、私と一緒に捜しましょう?ナオもきっとこの先で、あなたのことを捜しているわ』



 彼女は私に右手を差し出した。何も考えずにその手を取ればいい。
 なのに、私はその手を取ることが恐かった。この手を取れば、私はナオ以外の人とは上手く話すことが出来なくなってしまうと思った。それでいいとも思う。しかし、それでは駄目だとも思う。
 もう一度彼女の目を見た。私は彼女の差し出した手の指先に触れる。その一瞬、彼女の瞳に映る自分が、あの黒い独占欲の固まりの人間に姿を変えた。そのとき、私はすべてを悟った。
 何度か見たあの黒い人間は私だったのだ。私の心が生み出した、ナオを占有するために意固地になる人間。ナオを世界中のすべてから奪い去りたいと願う浅ましい人間。それが今の私だ。
 私は私の手から離れる。そして、しっかりと彼女を見据えた。



「…一緒には行けない」
『…どうして…?』
「私はこれ以上、あなたと一緒にはいられない」



 目の前の私は差し出していた手を戻す。悲しげな顔をして、そう、と吐息を零すように言う。私はそれを悲しいとは思わない。思ってはいけないことだ。
 彼女は私の横をすれ違い、そのまま暗くて深い森の奥へと消えた。私は森を抜けるために、まっすぐ走り始める。ナオがこの先に待っているのだ。枝が私に傷を作り、暗闇が私を惑わせる。それでも私は走り続ける。
 やがて声が聞こえてきた。ナオの声だ。ナオが私を呼んでいる。私はその方向に向かって足を速めた。









「なまえ」



 耳元でナオの声がする。私はゆっくりと目を開ける。目前に広がる景色は自分の部屋で、隣にはいつも通り柔らかく微笑んでいたナオがいた。どうやら今までの森の中での出来事は夢だったらしい。



「ナオ?…どうして」
「なまえが心配で…。部屋にあげてもらったの。うなされてたみたいだったから起こしちゃった。ごめんね」



 ナオは詫びる。私は自分の頬に暖かなものを感じた。ナオの顔を見た安堵から、私は泣いてしまっていたのだ。夢の中で見つけられなかったが、私は今ようやくナオを見つけることが出来た。私は私に勝てたのだ。



「なまえ」



 そして同じようにナオも泣き始めた。私は彼女が泣いている理由がよく分からなかったけれど、それは私のために流してくれているものなのだと感じる。体を起こした私を、ナオは暖かく抱きしめてくれた。



「ごめんね、なまえ」
「…ナオは悪くないよ」
「私はなまえと離れたいんじゃない。私と同じような気持ちを理解して欲しくて謙也のことを提案してしまったの。本当にごめんね…」
「ううん」



 うわずった声で彼女が言う。大丈夫だ。そのくらい、私にもちゃんと分かっている。ただ、あの時は少し考える余裕がなかったのだ。私もまた一方的な感情で、彼女を傷つけてしまった。



「私達が一年生だったとき、先輩に嫌な噂を立てられたせいで私は自分の居場所がなくなりそうだった」



 ナオは私を抱きしめたまま、涙声で話をし始めた。それは私が聞いていたものとは少し違っていた。
 こんなにも人に愛されるナオが、去年までは自分の居場所がなくなりそうだったと言う。にわかには信じられないが私は黙って彼女の話を聞き続けることにした。



「委員会でも私は上級生からプリントがもらえなかったり、同級生の女の子にも誤解されて委員会が大嫌いになっていたの。出席番号でたまたま同じ委員会になっただけの蔵にも、そのときたくさん迷惑かけた」
「うん…」
「それでもなまえが…一人だけプリントのない私に見せてくれたり、無言で私を支えてくれた。私にはそれがとても心強かった…」



 なまえは覚えていないかもしれない、とナオは言う。しかし、私はそのことを覚えていた。なぜ彼女だけ持っていないのかそのときは不思議に思っていたが、今その答えが出たように思う。私は口下手で話すのが苦手だったし、見返りを求めて彼女の世話をしていたわけではない。世界から切り離されていた私だったからこそ、彼女の噂を知らずに彼女を助けていた。それが功を奏して、知らないうちに彼女を支えていたのだ。



「誤解が解けて先輩からの意地悪が終わったあと、気がかりなのはなまえのことだった。なまえが一人で全部頑張っていたこと、ずっと見てたよ。だから今度は、私が恩返ししたい。なまえは一人がいいかもしれないけど、私は毎日が楽しいことに改めて気がついたから、なまえにもそれを知って欲しいの」
「ナオ」



 嬉しかった。そんなに前から、私はナオに認められていたんだ。あんなにがむしゃらに頑張っていたことは、決して無駄なことじゃなかった。ナオが見てくれていた。ナオだけが、私を見ていたんだ。



「ナオ、私…頑張ってみるよ」
「うん…」
「私にはナオがいるもん。もう一人じゃないんだね」
「そうだよ」



 ナオは私から離れて真っ赤な鼻をすすった。そして笑う。私も笑う。きっとお互いひどい顔をしているだろう。でもナオが笑ってくれるなら、それもいいかもしれない。

 私はもう一人じゃない。でも、もうナオだけに依存したりはしない。私は今の自分を変えなくちゃいけないんだ。ナオのためじゃなく、自分のために。


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