07,



新入社員研修のため短期間一人暮らしをしているなまえのアパートの前にたどり着いたのはもう12時前だった。

この時間であっても必ず居るとは言いがたい。
なまえだって付き合いもあるだろうし、同僚とどこか飲みに出かけているかもしれない。けど、そんなこと考えられないくらい俺は今からのことで頭がいっぱいだった。

なまえにはっきり言わなくちゃいけない。俺の気持ちを。
今までみんなに後押しされてばかりの俺だったけど、これからはそんな自分からもう卒業して自分のことは自分で決めていかなくちゃいけない。いつまでも頼ってばっかりじゃいけないんだ。


まだなまえの部屋の明かりはついていた。俺は少しだけ安堵し、深く呼吸してから呼び鈴に触れる。
このまま押すのなんか簡単だが、俺は1つサプライズを思いついて出した手をポケットにしまった。そして、その中から自分の携帯を取り出し、今もヒヨコマークがついたままのなまえの電話帳を検索する。そして、彼女へ発話ボタンを押した。



『…もしもし…』



何回かコールのあと、どこか鼻声のなまえが電話に出る。俺はとりあえず出てくれたことに安心しつつ、なまえの部屋の前、アパートの廊下の手すりにもたれた。
月がちょうど綺麗に見えていて、俺はまるでそれに話しかけるかのように穏やかな口調で語りかけ始める。



「なまえ?…俺だけど」
『ジャッカルくん…』
「今日も仕事疲れたか?こんな時間に電話しちまってごめんな」
『…ううん』



俺は口下手のせいで用件があるとき以外はあまり電話したりしなかった。なまえもそれを知っていて俺の言う用件を待っているらしい。
俺は一度、息を長く吸って倍以上の時間かけて吐き出した。そして自分の思いを言葉にするために口を開く。



「なあ、なまえ。俺、いろいろ考えたよ。なまえに”一緒に行けない”って言われてから。それって実質ふられたってことになんのかなとか、なまえとはもう終わりなのかなって。ネガティブになって結構酒も飲んだり…仲間にもとやかく言われたりしてさ」



なまえは何も言わない。俺は話を続ける。



「今もこれからも俺はなまえに”一緒に来て欲しい”なんて言わない。お前が選んだことを笑顔で見送ってやるのが俺だ。でも…でもな」
『…』
「俺はなまえを幸せにしたいって思いながらこの2年一緒にいたし、これからもその役目は俺でありたいと思う。ただ黙って笑って見送るなんて本当はしたくないんだ」
『ジャッカルくん…』
「距離的に遠く離れることになるかもしれねーけど、俺では支えられないだろうか?やっぱり、近くに居ないと支えられないか?」



俺はそれまで見上げていた月に祈りながら、なまえの返答を待った。
なまえはしばらく黙って言葉を選んでいるらしく、また時折不規則に息を吸う呼吸の音も聞こえる。それは少し普通の吐息ではなくて、俺はすぐになまえが泣いているんだなと察することができた。
この手で早くなまえを抱きしめたい。

何分かして、ようやくなまえは口を開いた。



『…今、ジャッカルくんが傍に居てくれないことさえ寂しいから。もっと遠くへ行っちゃったら耐えられないかもしれない』



それは逆を返せば、俺のことが好きで傍に居て欲しいという言葉に聞こえた。恋愛において肉食系の俺らしい考えで薄く笑ってしまう。

俺はもたれていた手すりから背を離してなまえの部屋の前に立つ。



「今も傍に居る」
『え?』
「なあ。鍵、開けてくれよ」



俺はそう言うとともに電話を切った。

しばらくして恐る恐る開いたドアがじれったくて、俺は自分の手で引き寄せるように大きくドアを開けて愛しい彼女をようやく抱きしめられた。なまえはあっけにとられていたものの、すぐに泣き顔になって俺の腕の中でわんわん泣き始める。

俺は腕に込める力をよりいっそう強くしてなまえを慰めるように、また傍にいることを分からせるために腕の力を強めた。







どのくらい泣いていたのか分からないが随分立った頃、なまえは急に俺の顔を見ていつも通りの笑顔で笑った。
俺はその顔を見たとき、やっぱりひどく安心してなまえこそが俺の彼女にふさわしいって心から思う。この笑顔に会えてよかった。



「ジャッカルくん…私、今なら思うよ。私達は大丈夫だって」
「なまえ…」
「きっとジャッカルくんが遠くに行っても、きっとこうして何度も会えるよね!」
「ああ」



なまえが照れたように笑うから、もう一つ笑顔にさせたくて俺は携帯を入れていた反対側のポケットから小さな箱を取り出す。俗に言う給料3ヶ月分とか言うアレ。
もしあのとき『一緒に行く』となまえが返事をしてくれていればすぐ渡していただろうが、今このタイミングの方がなんとなく格好がついたように思える。

そんなに大層なものじゃないが、なまえに似合うと思ったピンクゴールドの指輪。それをなまえの左の薬指に震える手つきではめてやれば、彼女はおかしそうに笑って一粒涙を零した。



「笑うなよ」
「だって、ジャッカルくんの指が震えてるんだもん」
「悪かったな」



俺が照れ隠しのように笑うと、なまえは俺の頬に軽くキスをする。そしてはめられた指輪を嬉しそうに眺めていた。



「なまえ。…俺と結婚してくれないか」

「はい。お願いします」



そして俺達は部屋で一足早い誓いのキスをする。


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