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「あっ、ジャッカル先輩!卒論はもう終わったんスか?」
「まだまだ…。ゼミの先生が厳しくてな」
「ひえー!俺あの先生選んでなくてよかったー!」



談話室で赤也はそう言うと椅子に踏ん反り返った。まるで自分が厄を免れた言い草のようで俺は少しイラッとしてしまう。

でも、まあ。厳しい先生だからこそ、やりがいがあるっつーか…と考えたときに、自分がマゾなタイプなのかもしれないと中学の頃から押し付けられていた雑用などを思い出して嫌になって来た。
あれから数年経ち、大学に入学してもそれは変わらず、とくに何事もなく学生生活も終わろうとしている。就職はとある企業に決まっていたため、後は卒論をじっくりこなせばいいだけだった。


久しぶりに赤也に会ったために談話室でこうして一緒に座っていると、急に赤也が窓の外を眺めながら小さく声を漏らす。そして、大きく手を振りだした。誰かと思って視線の先を見れば、女子が2人。

1人は見たことがあった。確か俺の1つ下の同じゼミの女子だったはずだ。彼女もいずれ、こんな卒論地獄の目にあうのだろうと思うといたたまれない気分になる。



「ちょっと行って来てもいいっスか?」
「ああ」
「どうもっス。すぐ戻るんで!」



赤也は歩きにくそうなサルエルパンツを引きずって、彼女らの方に行ってしまう。
5分経っても戻って来なかったら帰ろうと思っていたが、案外早く戻って来た。しかも、その2人も連れて。



「同じゼミのアキちゃんと…こっちがみょうじなまえちゃん!」
「こんにちはー!」
「こんにちは」
「ああ。4年のジャッカル。赤也とは中学からの付き合いで…」
「へえ、そうなんですかー!」



元気に俺に相槌を打ってくれる方は、俺の知らないアキっていう子。服がすげー派手。

ゼミが同じであるみょうじなまえって子は対照的に露出の少ないカジュアル目な服装で俺に挨拶をしたきり何も話さなかった。2人は談話室の椅子に適当に座る。隣にはみょうじさんが座った。

赤也が自分のゼミの課題の話をアキって子に話し始めたため、俺達は出会って数秒でかやの外になってしまう。仕方なく、俺は隣の席のみょうじさんに初めて話しかけてみることにした。



「あー…ゼミ一緒だよな?卒論のテーマとか。もう決めたか?」
「あ、いえ。まだ詳しくは考えてないんですけど…ブラジルの子ども達についてにしようかなって」
「えっ、そうなのか?俺の母さん、ブラジル人だぜ」
「先生から聞いてます。ブラジルとのハーフの方がいらっしゃるって。ジャッカルさんのことだったんですね」



みょうじさんははにかみながら俺に言う。俺はそのとき、純粋にみょうじさんが可愛いと思った。

…という下心は少し置いておいて、今自分が置かれている状況も考慮してみょうじさんの卒論を支援したいと思った。俺みたいなのが手助けできるかどうかわかんねーけど、いないよりはマシかもしれない。



「なんかあったら直接母さんにも聞けるし、相談乗るぜ」
「いいんですか!すごく嬉しい!実は結構不安で…」
「わかる。あの先生厳しいもんな」
「はい!…あの…」
「ん?」



みょうじさんは自分のバッグからケータイを取り出す。何をするかと思えば、俺にまた微笑んだ。



「よかったらアドレス、交換しませんか?」
「えっ!」
「あ。嫌ならいいんですけど…!」



そう言って慌ててケータイを直そうとするみょうじさんを必死で引き止めた。

自慢じゃないが、俺はこの4年間で女の子にアドレス聞かれたことなんて数えるほどしかない。そして、大方が幸村や仁王を紹介しろという内容だ。そのため、彼女のいきなりの提案にかなりびっくりしてしまった。



「いや!むしろこっちからお願いしたい」
「そうですか?」
「ああ」



俺はズボンのポケットからケータイを取り出して、赤外線の部分を彼女に教えた。赤也がこっちをちらっと見てるのもお構いなしだ。
だいたい、付き合いたいから交換してるわけじゃない。みょうじさんは可愛いから、たぶん俺じゃなくともきっとモテるだろうし。


送られて来たみょうじさんの電話帳を見て、名前の最後にヒヨコの絵文字が入ってるのが可愛くて笑えた。
そしたら、俺のアドレスを受け取ったみょうじさんがそれを知ってむくれる。



「そんなに笑うなら、ジャッカルさんのアドレス帳にもヒヨコ入れときます」
「おい!」
「これで、おそろいですね!」
「どんなだよ」



みょうじさんのむくれていた顔が弾けるように笑みに変わった時、俺の心の中は平穏になっていく気がした。



今思えば、この時から俺はこの笑顔に救われていたのかもしれない。


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