神様の部屋 | ナノ



7、

みょうじのいない教室はいつも通り静かだった。ただ、進路希望調査票はとっくに提出期限を過ぎ、テストも終えた。夏休みにも入った。ただ彼女がいない教室の、彼女の机だけが、時が止まっているかのように変わらない。寂しそうに座られるのを待っていた。

しばらく彼女の部屋にも行っていないし、小説を読む時間も格段に以前よりは減っていた。夏の大会が忙しく、精市が部長として再び檄を飛ばすのに集中しなければついていけないからだ。だから、俺の中でその存在は少しずつ忘れ去られていった。





再び思い出したのは、8月中旬の盆の時期だった。その時にどうしても息抜きとして、彼女の部屋に置いていった『神様の部屋』が読みたくなってしまったのだ。
俺は身支度を整え、彼女の部屋に久しぶりに出向くことにする。じりじりと痛むような日差しが憎い。

久しぶりにインターフォンを押した指は、前回よりも格段に日焼けをしていた。そして、初めて俺を玄関まで出迎えてくれた彼女もまた、意外なことに日焼けをしていたのだった。



「久しぶり、だな」
「うん。もう来ないかと思った」



涼しい声で言う彼女に玄関で目当ての本を渡される。久しぶりに見る表紙に、胸が躍った。



「読んだか?」



首を横に振ったのを見て、俺はなんとなく彼女の頭を撫でた。別に構わない。やはり押しつけはいけなかった。


さらに増えた廊下の本を崩さぬように通って、リビングに招かれる。以前はホットコーヒーだったのに、彼女はそれに氷を入れて出してくれた。マグカップだったが。
そうした久しぶりに嗅ぐ匂いに、俺は感動していた。肺いっぱいに溜め込むように深呼吸を繰り返す。彼女が笑っていた。


俺たちはしばらく談笑をしていた。彼女とこうしてくだらない話をしたのは初めてだったが、時折彼女が質問したり、学校の様子を聞いたりして、話は弾む。彼女の表情も、どこか晴れやかだった。



「そういえば、随分日焼けをしているが、最近どこかへ行ったのか?」
「ううん。暑いから出歩くのは朝だけにしてるんだけど、それでもいつも行くようなところにしかいかないよ」
「いつも行くところとは?」
「…買い物とか」
「そうか。…そう言えば、随分前、俺がここに初めて来た日の朝、どこに行ってたんだ?」
「……学校」
「学校?」
「そうだ、見て欲しい物がある」



含みのある言い方で彼女の答えを不審に思ったが、みょうじはそれを吹き飛ばすような笑みを浮かべて近くの鞄から封筒を取り出した。そして、その中身を出す。中には白い紙切れが一枚。『退学届』。

俺は驚いた。普通なら、笑ってみせるような物ではない。なのに、みょうじはこれを笑って俺に見せたのだから。それから、キッチンのコルクボードに赤いピンで留められた白紙のままの進路希望調査票も持ってくる。例のあの2つしか選択肢のない紙切れ。



「学校辞めるのか?」
「本当は4月の末くらいから、ずっと辞めたいと思ってる。いつも出しに行こうとして、毎朝一応は家を出るんだけど、意気地がないから出せないの。私なんて、いてもいなくても同じだから、出さなくてもいいかなって思って結局」
「そんなことは」
「他人と少し違うなって思ってるの。同じように人間として生きてるけど、私は人の皮を被った違う生き物なんじゃないかって怖くなるときもある」



思春期みたいだね、と笑う。
そしてマグカップを揺らしていた。中の氷がいい音を立てる。



「こんな進路なんて無意味だと思うの。私は決められた道は行きたくない。だから、辞めたい」
「どんな道に進みたいんだ?」
「それが…非常に言いにくいんだけど…」



席を立って彼女が俺の腕を引いた。



「もう一つ、見て欲しい物があるの」







そのまま手を引かれて廊下に出て、彼女の寝室に入った。寝室は、他よりも割と片付いている。ベッドも淡い赤のカバーがしかれて、女子らしい部屋だと思った。彼女は見せたいもの、を机の引き出しを開けて取り出す。

そのときに、ちらりとスタンドに立てられた家族写真が目についた。小さな女の子を抱える男性。母親らしき女性はいない。だが、その女の子が、みょうじなのだろう。



「これ」



家族写真に集中していたため、彼女への反応が一瞬遅れた。俺は差し出された紙の束を受け取り、眺める。原稿用紙だった。そして、真ん中には「亡霊」と書かれている。パラパラとめくってみたが、中はびっしりと美しい文字が並び、何十枚にも連なっていた。



「これは…」
「私が書いた小説」
「すごいな。読んでもいいか?」
「まだ途中。だから、駄目」



彼女が取り上げて机にしまった。いたずらに笑う様が、天使のように見えた。



「これが出来たら、送ってみるんだ。腕試し」
「応援している…と言いたいところだが、あらすじだけでも教えてくれないか」
「駄目。でも、この亡霊は私のこと」
「亡霊が?なぜ?」
「私はもう、死んだも当然だから」


話が分からず、頭にクエスチョンを浮かべた。本当に彼女はデータが取りにくい。

彼女が亡霊なら、なぜ彼女は死んだのか。また、それならそれで俺にその亡霊をよみがえらせる能力は備わっているのだろうか。


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