神様の部屋 | ナノ
5、
借りた小説は前編後編とも読み終わり、また俺は特有のふわふわしたような気持ちになっていた。
しかし、考えることは、殺意を持った日差しのことや文学少年の憂鬱などではない。この本の持ち主であるみょうじのこと、ただそれだけだ。
「やあ、蓮二。何してるの?」
「精市か」
「あ。もしかしてその本って…前に蓮二が探してるって言ってた本じゃない?手に入ったんだね」
「ああ、よく覚えているな」
「何度も言うからだよ」
俺の細かいところまで覚えてくれていた精市が心からの笑みを見せる。
その笑みはみょうじを想起させた。精市もたまには乾いた偽りの笑みを見せることがあって、その顔はみょうじの先日の顔に似ている気がしたからだ。
「なあ、精市。データ収集のための参考に、今からいくつか質問してみてもいいか」
「うん、なに?心理テストみたいだね」
「そのようなものだ」
「じゃあ、直感で答えることにするよ」
それまで立っていた精市が前の椅子を拝借し、俺に向かい合うように座って背筋を整えた。
まるで、俺が面接官のようだ。精市はたまに、大事な場面でも悪戯っぽいことをする節がある。
俺はそれらしくノートを取り出して精市に見えないように何かを書き込むフリをした。本当は精市のデータが欲しいのではなくみょうじの参考にしようとしているのに、そんな格好のつかないことはチームメイトには言えなかった。
精市の目を見据えて俺は尋ねる。
「お前が嫌いな相手に笑みを向ける理由は何だろう」
「うわ、なにその質問。まるで俺が性悪みたいじゃない」
「それは誤解だ。だが、俺にはどうしても分からない。嫌悪していれば顔に出るし、隠すにしても腹の底で思っている感情と別の表情をする必要がどこにある、という意味だ」
「なんだか痛いところを突かれてるみたいで、耳が痛いな」
精市が大笑いで表情筋を崩す。
そう、これが心からの笑みだろう。だが、みょうじは違う。俺を嫌っていることを隠してまで、俺に笑うんだ。
俺は静かにノートを閉じて机の中に放り込んだ。少し精市の笑みのせいで自分が悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。そもそもこのなかなか食えない男のデータをみょうじに応用しようとしていた俺も俺であったのかも知れない。
精市は俺を慰めるように、『ごめんごめん』と笑った。
「まあ、でも。嫌いな相手だからこそ、本質を悟られたくないからかもしれない。それで、相手に自分を介入されたくないから、笑って『これ以上俺に踏み入るな』っていうサインを笑顔で出してるのかもしれないね」
「笑えば余計に介入されるだろう」
「ちょっと違うな。相手と事を荒げないために、作り笑いはするものだろ。蓮二には経験ない?」
言われて思い返してみた。先生や目上の人には、俺だってたまに作り笑いはする。けど、それはなんのためか、俺は今までに深く考えたことがなかった。ましてや、人を軽蔑したりしたことがあまりないのかもしれない。
「面倒事を避けて生きてるんだよ、みんな」
「…」
「心理テストは一問だけかい?」
しっくりこない俺を諭すように、精市は言う。俺はもう一つ思いついた質問を遠慮がちにかけてみることにした。
「…では…嫌われている方は、どう接すればいいだろう」
「どうって?」
「構わないようにした方がいいのだろうか」
「うーん…。嫌っている方としては、構われたくないのが普通だね」
「やはりそうだろうな」
「でも、嫌っている方は、ある意味でずるいんだよ。自分の感情をぶつけずにいるんだから。だから、もし嫌ってる人と仲良くなりたいのなら、ぶつかってみてもいいんじゃないかな?それで怒られたり嫌がられれば、それまでだけど」
俺の質問に『その人と仲良くなるには』という意味は込められていなかったのに、精市には見破られているようだった。
そして、そこまで答えるとうんっと背伸びをするために立ち上がって、椅子を元の位置に戻す。どうやら、もうすぐ休み時間が終わる。
「ここまで答えたんだから、俺も一つ聞いてもいいよね?」
「なんだ?」
「蓮二にそんな想いを抱かせてるのは、どこのどいつなわけ?」
まったく、奴には敵わない。俺はいたずらっ子のような精市に対して、不適に笑って言い放った。
「俺は、自分のデータは取らせたりしない」
「ケチ」
「なんとでも言え」
「はは。でも、応援するよ。仲良くなれたらいいね」
「…ああ、ありがとう」
精市が傍からいなくなっても、この優しい気持ちはなくならなかった。精市に感謝しなくてはならない。
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