神様の部屋 | ナノ



9、

夏の大会は、当然のごとく我が立海大の勝利に終わった。そのため、しばらく会えず仕舞いだったみょうじの家に、俺は気分も揚々伺うことが出来た。
彼女はきっと俺の勝利のニュースを喜んでくれるだろう。それとも、もう既に彼女の方から小説に関するいいニュースを話すかもしれない。

鍵がかかっていないため、もう何度目からかインターフォンを押すこともなく出入りするようになっていた。が、この日に限って、鍵がかかっている。どこか出かけているのかもしれないが、一応念のためにインターフォンのボタンを押してみた。久しぶりの音だった。

しばらく立っても出ないため、もう一度押してみる。すると、今度はすぐに受話器を上げる音がした。



「みょうじか?柳だが」
「…って」
「なに?」
「帰って!」



投げるように回線を切られた音がした。俺はもう一度チャイムを押してみる。一体どうしたと言うのだ。あんなに取り乱して。

インターフォンには出ないが、何か大きな物音がした。そしてドア越しに大声で『帰って』と言う叫び声。俺はドアノブをガタガタと動かして何度か叩いてみたが、彼女の叫び声が増すだけだった。俺には意味が分からない。何か俺の知らないところであったのだろうか。

なぜ俺は、彼女を支えられない?



「みょうじ!」



叫び声は、何も届かない。彼女に何があったのかさえ、俺には分からなかった。











2学期が始まると、みょうじはついに出席の点で留年になった。本人からの返答もないため、担任は決断に苦しんだらしい。
彼女は学校を辞めたいと思っているのに。今でも毎朝学校に『退学届』を持って来ているのだろうか。俺は知らない。


担任にしつこくみょうじの様子を聞かれたが、俺が聞きたいくらいだった。
全国大会の間、彼女の身に何かが起こったことは確実だったが、俺にはそれを知ることすら出来ない。拒否されたのだ。俺は自分の中の自分が卑屈になっていくような気がする。小説の中に生きているような感覚で、毎日を生きていた。


そんな俺を見かねたのか、精市に出かけようと誘われた。特に出かけたいわけでもなかったが、ここで嫌な顔をしたくなかった。ようは作り笑顔を浮かべたのだ。あのとき、精市に聞かれてもよくわからなかった作り笑顔を。その日は一日その張り付いた笑顔で終えたような気がする。



「蓮二」
「なんだ」
「みょうじさんと、何かあったんだろ」



直球に精市は聞いた。ストリートテニス場で、打ち合いをしている時だった。
俺はみょうじの名前に動揺してポイントを落としてしまう。それでなくても、精市に勝つのは難しいのに動揺させるとは卑怯だ。



「わからないんだ」
「わからない?」
「俺はこの夏、ずっとみょうじに惹かれ、みょうじを見て来たと思っていた。それでも、まだ彼女について知らないことの方が多かった」



言葉は連なるように出た。ボールをバウンドさせながら、思い出を回想してゆく。

わからないこと。そうだ、まず俺はみょうじがどんな小説を書いたのか知らない。彼女がなぜ自分を亡霊と称したのか分からない。あの寝室の隣の部屋だって、何があるのか分からない。それから、彼女の両親も。あの大量の本も。コーヒーカップがない理由も。なにも、俺は知らない。



「彼女はまだ、作り笑いを浮かべていたかい?」



精市は俺のいたコートに駆け寄って肩を叩いてくれた。



「彼女は蓮二のこと、嫌ってはなかったと思うよ。始めから」



その慰めだけが、今の俺の支えだった。

何も知らないで好きになってしまった自分と、必ず結ばれると信じていた自分を呪った。こんなことになるなら、放っておけばよかったのに。みょうじの支えになれると思って自惚れてしまったんだ。

泣きはしないものの、深く傷ついていた。精市の言葉が、その傷口に染みるようだ。



「すまない」
「いいんだ。今日は蓮二にそれが言いたかっただけだから」



俺は精市に薄く笑顔を向けた。そして、前を見据える。

と、この場所よりずっと向こうに懐かしい彼女が歩いていくのを見つけた。距離もあり一瞬しか見えなかったため、本物かどうか定かではないが、俺には彼女であると瞬時に分かる。



「みょうじ…?」
「え?」
「すまない、精市。俺は…」



精市が俺の背中を押した。



「行け」



精市はそれだけ言うと、俺に手を振った。


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