蒼鳥カムパネルラ | ナノ

いつもはすぐになまえの部屋に行くが、今日は初めて一回の応接間に通された。なまえの母親らしき人はおらず、父親と思われる男性と2人だけの部屋。それにしては、広すぎる部屋で落ち着かなかった。

彼は僕に『なまえの父親だ』と言った。なまえの両親はずっと春を置いて海外に暮らしていたと聞いたのに、どうしてここに居るんだろう。それに、あんなに焦ってなまえを迎えるなんて尋常じゃない。僕はその訳を聞かなくちゃならないと思った。説教くらいなら全然屈しない。

しかし、男性は諭すように僕に語りかけてきた。



「なまえの目のことは、知っているかい?」
「…はい」
「そう。じゃあ、あの子の目が手術をしなければ失明するということも知っているかい?」
「…はい」
「そう…」



なまえのお父さんは手を組んで、ため息にも似た相槌を打った。そうか、そうか、と何度もつぶやく彼を見る。

やや沈黙のあと、また彼は口を開いた。



「私達は、いつか一緒に暮らそうと思っていたんだ。なまえの目の手術費が溜まったら日本で一緒に暮らそう、と。それがなまえにとっていいと思っていたからね」
「…」
「だが、少し妻と相違があって、別れることになった。そして今日、最後に家族として過ごそうと此処に来たら、なまえは居なかった」
「…」
「ただでさえ、目が悪いのにこんな夜だろう。心配したよ。君は、それを少し分かってほしい」
「すみません」
「いや、怒るつもりはないんだけどね」



彼の口調は、怒っていないという言葉通り僕が思っていたより穏やかだった。何が言いたいんだろう。僕にはわからない。



「結果、こうなったが、僕はこれでよかったと思う。なまえと今まで仲良くしてくれてありがとう」
「…」
「なまえの親権は妻が一応持つことになったが、なまえの目の病気は2人で治そうと言うことになった。アメリカでね」
「…え?」
「なまえを連れて行く。向こうにいい医師がいて、失明する前に一刻も早く診てもらおうと妻と話し合って決めたんだ」



なまえが、アメリカに行く。さっきまであんなに近くに居たなまえが。

なまえの病気が治ることは良いことだ。けれど、僕の傍から居なくなる。あの笑顔も、声も。青い鳥の話だって、なまえが眠ってしまったから途中で終わっているんだ。これからやりたい事や、一緒に行きたいところだって、たくさん。

目の前が白くなって、後の話は何も聞こえなかった。なまえの目が治ることが、なまえのために一番いいに決まっている。それでも、傍に居て欲しいと思うことは欲張りなことだろうか。


なまえに最後に会わせてほしいと言ったが、悲しくなるだろうからこのまま別れた方がいいと、取り合ってさえくれなかった。きっと、口ではああ言ったが会わせたくないんだろうと思う。やり場のない憤りと葛藤が支配して、気がおかしくなりそうだった。

なまえをあの部屋へ閉じ込めたのか、僕が靴を履いた頃、ちょうど母親も玄関に立った。なまえの面影がある人だった。2人は僕に頭を下げる。さようなら、と。せめてその言葉はなまえの口から聞きたかった。

こんなことになるなら、あのまま、家に帰らず2人で居ればよかったのに。なまえの手を引いて、僕だけのものにしてしまえばよかった。さっきまでなまえの手を握っていたこの手を離さずに。


門を出る前に振り返った。なまえが僕に手を振っていた窓は雨戸がしてあって、窓の形さえ今は見えない。なまえはあの籠の中で、泣いているんだろうか。何もできない僕たちは、やっぱりまだ子どもだ。なまえを外に出す術を、もう持っていない。何も出来なくて。歯がゆくて。虚しい。

姉さんが言っていた『大きな壁』とはこのことだったのだろうか。そうだとしたら、僕は教えられていたのに何も対策できなかった。超えられることも、沿って歩くことも出来そうにはない。



南の空に、うお座が光る。紐を付けた2匹が、僕には羨ましくて泣いた。






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