蒼鳥カムパネルラ | ナノ

あの後、何を話したか覚えていない。とりあえず、雑誌はもうやめようということになって、閉じてそのまま帰った気がする。

なまえとのキスは、触れるだけの優しいものだった。もっとよく覚えておけばよかったと後悔したくなるくらい何も覚えていなくて、家に帰ってから一人で苦笑してしまう。ただ、この事実だけは本当のことだった。


このことがきっかけでなまえと気まずくなるのは嫌だった。けれど、その解決策さえ分からない。

そう思っていると、自分の部屋のドアがノックされた。



「周助。みょうじさんって方から電話よ」
「え?あ…ありがとう」



部屋に電話の子機を持ってきて、姉さんは僕に手渡した。みょうじ、という知人はなまえ一人だけだった。

少し話すのが怖かった僕は、緊張しながら短く、はい、と答える。声は震えていただろう。なまえに、もう来なくていい、と言われたり、嫌いだと言われるのが怖かった。



『もしもし。周助ですか?』
「なまえ…どうしたの?」
『お礼が言いたくて。あのね…その…今日はありがとう…』
「え?」



電話口から聞こえたのは紛れもなく感謝の言葉だった。なまえが僕に礼を言うなんて。あんなことをして、帰ってきた僕は当然嫌われていると思っていたから正直驚いた。変な汗をぬぐって、なまえの言葉の続きに耳を傾ける。



『私、本当に一生恋なんて出来ないって思って、その…キスも出来ないって思ってたから…舞い上がっちゃって…なんかあのときは何も言えなくてごめんね…上手く言えないけど…』
「そんなの…僕こそ、一方的だったんじゃないかって…気になってたところで…」
『ううん!本当に嬉しかったの。…私、夢だったから』
「夢?」
『恋するのが』



なまえがそう零した後、雑音が混じる通信音以外に音はなくなった。そのせいで、僕の心臓が痛いくらい脈打つ音がしている。

それって、"夢だった"と過去形にするっていうことは。自惚れに似た気持ちが強く僕の心を押した。ドキドキで死ぬんじゃないかって、思うくらいに胸が痛む。


その過去形に、僕はかけてみてもいいんだろうか。



「なまえ…まだ、夢はある?」
『…え』
「どこかへ行きたいとか、何かが見たいとか、さ」



やや間があって、なまえが大きく息を吸い込む。そして、躊躇うように言った。



『…星…』
「星…?」
『星が見たい。好きな人…周助と』



同情なんかじゃない。そんなの、とっくにかなぐり捨てている。単純の思うのは、僕がなまえを好きということだけ。

僕らはたった15歳だけど、この想いだけはお互い同じくらい強いと思えた。なまえもきっと僕と同じ気持ちを抱いている。呼ばれた僕の名前から、その想いを受け取ることが出来る。


いずれ、なまえは僕の顔も見れなくなるかもしれない。本も、星も、自分の顔さえ、見えなくなるかもしれない。その彼女が自ら外へ星を見に行きたいとせがむんだ。籠から飛び立つ鍵は僕の手にあるように思える。


見えなくなったって忘れるわけではないから。なまえには、僕の顔を覚えていて欲しい。少しでも光のあるうちに。



「なまえ、好きだよ」



電話の向こうで、なまえは声を殺して泣いているみたいだった。つられて僕も泣きそうで、少しだけ鼻の奥がツンとした。


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