蒼鳥カムパネルラ | ナノ

中盤のカラーページではなくコラムのようなページに差し掛かった。芸能人が読者からの質問に答えている、所謂お悩み相談のようなコーナーで、僕はそれを読み始める。

内容は“彼氏がキスしてくれない”という悩みだった。

正直読むのが恥ずかしかった。でも、読み始めてからその内容に気付いてしまったため、仕方なく朗読して聞かせる。なまえはというと、そんな僕を露知らず真剣にその読者の悩みについて考えているようで、時折唸っていた。


なまえは、キスしたことあるんだろうか。その唸る唇を見て、すぐに僕は目を離した。

結局『可愛くせがんでみれば』という質問の答えを読み切る。照れを隠してすぐ次のページに移ろうとすると、なまえは僕の名前を小さな声で呼んだ。それは呟きに近かった。



「…周助は…」
「うん?なんだい?」
「…キスしたことある?」



なまえはいつも僕の方を向いて話すのに、その時は初めて僕の方を見なかった。それでよかった。もし、この赤い顔が見られでもしたらひどい。



「ないよ」
「本当?」
「本当。毎日テニスばっかりで、恋愛はしてこなかったから」
「そっか…」



彼女の納得のいく回答だっただろうか。本当のことだったけど、それが気になった。

急に態度をよそよそしくさせるなまえを見て、今度は僕から質問を投げかけてみる。さっき彼女が僕にしたのと、同じ質問。



「…なまえは…キスしたことある?」
「えっ、ないよ!こんな私のこと…好きになってくれる人なんていないし…」



なまえは自分を卑下した。雑誌に置いていた指が微かに当たって、僕の胸を跳ねさせる。

『ここに居るよ。君のことを好きな男が』。そう言いたいけど、言葉は呑み込んでおく。

諦めの笑顔を振りまいて、痛々しく笑う彼女に胸が痛んだ。こんな、とは目のことを言っているのだろう。



「なまえは、可愛いよ」
「そんなこと言うのは、周助が初めてだよ」
「そんなことないと思うけど」
「仮にそうだとしても、きっと私には恋人は出来ないよ。顔も見えない相手と付き合えないもん、迷惑かけちゃうわけだし…。だから、きっと一生キスなんて出来ないよ」
「だったら…」
「…」
「今、してみる?僕と」



半分冗談。でも、半分は本気。冗談めかして言ったのは、なまえの反応が見たかったから。

なまえは笑わない。その代わり、さっき触れた僕の指を一本だけ握った。視界の隅で、レースのカーテンが揺れたのを捉える。



「別にいいよ、周助がいいなら」



初めて、本当に初めて、理性の意味がわかった気がした。ふわりと入る風に揺れる髪も、赤くなる顔も愛しく思える。この触れる指先を奪って手を繋げたらいいのに。

僕の反応に委ねたということは、僕もまた試されているのだろうか。けれど、なまえの口調は僕のような冗談っぽさは微塵もなかった。きっと本気だろう。指に込めた力が増した気がした。



「本当に…?」
「……きっと…今しないと、一生出来ない気がするの…」



これ以上、彼女の意思を聞くことはいけないと思った。

僕は、そっとなまえに掴まれていない方の手を彼女の肩に置く。びくりと反応したが、今更僕も引き下がれない。なまえもどうやらそうらしい。と、思ったのは、僕の手を彼女から繋いだからだった。



「するよ、」
「うん…」



伏せられた長い睫毛が閉じられるのを見て、僕は自分の唇をなまえのそれに近付ける。

ベッドのスプリングが少しだけ鳴ったのを最後に何も音のしない部屋の中、僕らは初めてキスをした。それは、一瞬にも永遠にも思えるような、不思議なキスだった。






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