飛廉 | ナノ



「ただいま、若」



久しぶりに若と食べるご飯だ。自分で作ったもののやっぱりおいしい。



「大体…1年も何してやがったんだ?」
「えー?お金貯めたのと、親と晴れて縁を切ってきた」
「…本当か?」
「だって遠いんだもん。新幹線でちょっと東京、なーんて言ってるけど、うちの家の近くに新幹線走ってないから。それに今まで住んでた分の家賃も払いたかったし、お金貯めなきゃねえ」
「いや、そこじゃないだろ」
「じゃあ、どこですか」
「縁切った、ってとこ」



ああ、そこかー、なんて。本当はわかりきっていたんだけど。

まず保険証を取りに帰るというのは、ついでだ。私はもともと縁を切り、母に承諾を得ての家出にするつもりで若の家を出た。

確かに母は怒ったけど、私は突き放した。彼女にはもう私に悲しみや怒りを爆発する必要はない。私は誰が何と言おうと出ていくのだから。
若にもう一度会うんだから。


知り合いの知り合いの、そのまた知り合いの弁護士に相談した。法的には親子の縁を切るのは難しいらしかった。その話は親と子の絆が深いことを示していて、私にはうらやましかった。
いつか私も子どもを持つことができれば、その子と絆を作りたい。それができなければ、私ではない違う誰かとの絆を深めたい。

たとえば、若とか。


それからは前と同じ家具付きのアパートに住み、バイトに明け暮れてた。家賃代と新幹線代、それから東京に着いてしばらく仕事を探すまで暮らせるお金と、耳を治すためのお金。綺麗なお金の意味も、少し理解できるくらいになった。



「…耳は?」
「右の聴力も弱ってはいるけど、ちゃんと聞こえるよ。私、まだ若としょーもない話したいしさ」



食べ終わった食器を片づけて、冷蔵庫からプリンを取り出して、足で扉を閉めた。



「さくら」
「ん?」
「…本屋に行かないか?」



私は春物のコートしか持ってないのに、二つ返事で承諾した。











若に無理やり巻かれたマフラーに、顔をうずめるとかすかに若の匂いがして照れくさくなった。

本屋はもう閉まっていた。オレンジの街灯に照らされて輝く桜を、ただ私達は眺めた。


なぜか妙に不安になった。これからのこと、耳のこと、自分のこと。
1年前、同じように桜を見た頃は、どうでもよかったことなのに。いつ死んでもいいとか、全部消えてしまえ、だとか。

でも、この左手を握る彼が居てはもう駄目なんだ。私が昔の私でなくなり、何もかもをこの手が引きとめる。

桜吹雪を舞わせる飛簾に吹かれて自分が少しずつ解けだしていく。



「まだ、7分咲きくらいだな」
「…」
「満開になったら、また見に来るか」
「うん」
「来年も、その次も、次も、ずっとだ」
「ははは。なんか若、子どもみたい」
「笑うな。これは告白だ」
「え?」



耳を疑った。これ告白なのか。もっとロマンチックな、直線的な言い方を期待してたのに。そして、私から言おうと思っていたのに。若なんかに先を越された。

彼が首の後ろを掻く。少し紅い顔が見えて、私まで柄にもなく紅くなった。



「なんていうか、その…。さくら」
「はい」
「お前が今まで辛かった分、俺が幸せにしてやる」
「…」
「だから、もうお前は何も探さなくていい」



今なら思う。

身近な誰かが急にいなくなるとしたら、私はその誰かを探すだろう。私はもう、日常や生活を放り出してでさえ、会いたい人に会いに行くことが出来る。そしてまた、私を探して見つけ出してくれる人が居る。

1年前始めた旅に今、答えが出た。



「ありがとう」



だからこそ、今はもう何も探さなくていい。私は私の両手に全てを持っているんだから。



私の頭についた桜の花びらを取るふりをして、彼は私の左耳に初めてのキスをした。





end.


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