飛廉 | ナノ



朝食は我ながら完璧だ。
若の顔的に日本食を好みそうという勝手な推測で勝手に米まで炊いて、味噌汁まで作ってしまった。


あれから眠かったはずなのに、私は眠れなかった。枕の高さや見慣れぬ天井が気になるなんて、今まで1度もなかったのに。


どうせ眠れないなら若がいつ起きてもいいようにと朝食を用意しようと、暖かな布団から抜け出した。

まだ9時過ぎだ。昨日横になったのが4時過ぎだから、彼はまだ起きないだろう。仕事だから起こして、とも言われていない。
私は何か手持無沙汰な気分になった。だからと言って、ルールの2番を実行する気にもなれないが。

とりあえず味見を兼ねて、一人、朝食をとることにしてみる。適当にお椀にご飯を盛って、適当にお味噌汁を入れて、適当に卵焼きを切る。
卵焼きは甘い方がよかったかな。わからなかったから無難にそのへんの調味料で作ったんだけど。



「なんだ…お前、早いな」
「あ、おはようございます!そちらこそ、お早いですね!」



箸で捕まえた卵焼きを頬張ろうとした瞬間、ドアを開けて目をこすりながら彼が入ってきた。



「うまそうだな…」
「うましですよ!起きたなら待ってます!」
「…卵焼き…甘いのか?」
「いや、無難に塩と粉末の…なんかその辺の…」
「ああ、わかった。…先に顔を洗ってくる。ちょっと待ってろ」



彼はそう言って洗面所に向かっていく。私は卵焼きを戻して、彼の分を用意するために席を立った。

なんだかひどく日常的だ。ずっとこの生活をしていたような、そんな気分になる。ただ、卵焼きの好みを知らないことが、この生活を昨日からのものだと思わせる要因なだけで。



「おい、さくら。そこのタオルこっちに寄こせ」
「え、どこですか」
「その椅子にかかってる青いタオルだ」
「ああ、これか。投げますよー」



それ以外は、ほんとに、ひどく日常的だ。















どこに行ったかは知らないが、午後になると彼は出かけた。夜まで帰らないそうだ。そう言えば、何の仕事をしているのか私は知らない。そう思うと、この生活はやっぱり非日常的なんだな、と感じた。

私はリビングのソファに横になりながら、ぼんやりと彼のことを改めて考える。
さくら、私の名前。今まで、呼んでくれた人の顔が、私には思い出せないや。


若と居ること、それは私にとって楽しい。
朝食のときも『うまい』と一言だけ言って、そのままがっついて食べていた。見ていて楽しかった。昨日のドリンクバーより、楽しかった。

でも、彼はおかしい。身知らぬ人を泊めてはいけないと、学校で習わなかったのだろうか。
もし、私が家財道具をもって逃げ出したりしたらどうする気だろう。まあ、やらないし、できっこないけど。



「早く帰って来ないかな」



出かけるにしてもお金がない。道もよくわかんないから、出かけるのが怖い。この楽しい場所に、二度と戻れない気しかしない。だから、仕事も探せない。
言い訳みたいな本音がここにあった。
大体、彼にとっての綺麗なお金ってなんだ。私にとったらお金はみんな綺麗なのに。

考えは肥大し、苦しくなってくる。考えるのは苦手だ。行動の方が早い。私って、おかしいのかな。


そう思うと、怖くなってきて、目を瞑った。












ラーメンのすする音で目が覚めた。
よくソファから落ちなかったなと思いながら、体を起こす。すると、いつの間にか帰ってきていた若と目があった。



「…」
「お、おかえりなさい…」



しまった、夕食を準備し忘れた。
こちらをじいっと見る彼に、罰が悪くなる。怒ってたらどうしよう。そもそも、外食するのかと思っていたということにしておこうか。

そんな言い訳を考えていると、彼はインスタントのラーメンに箸を止めて言う。



「帰ってくるなりお前が床に転がってるから、自殺でも図ったんじゃないかと思った」
「えええ」



ため息混じりのその発言にびっくりする。
やっぱり床に落ちてるんじゃないか、私。自分で自分の寝相の悪さに唖然とするときもあるが、自殺なんて…。
よく知りもしない女を居候させた矢先に、その女が自殺を図ったのではないかとひどく焦っている若が目にうかんだ。


というか、その床に落ちてもなお起きない私が、今ソファの上にいる理由は一体。



「頼むから自殺するなら他でやれ」
「はあ…。というか、ソファにあげてくれたんですか」
「さすがに部屋まではやめたが。…にしても、案外軽いな、お前」



案外ってなんだ。これでも気にしてるんですけど。



「そんなさくらに土産だ」
「なんですか?」



手招きをされて彼に近寄ると、昨日助けてくれたときに持っていたのと同じ種類のコンビニの袋から黄色いカップを取り出した。



「わー!プリンだ!!」
「ただの朝飯と留守番の礼だ、騒ぐな」
「わー!ありがとうございます!!」
「話をちゃんと聞け」



キッチンから小さいスプーンを取ってきて、ラーメンをすする若の横に座り込む。そして、"とろふわプリン"と書かれたラベルをびりっとはがし、スプーンを立てて口に運んだ。うん、とろふわだ。



「うまし!うましですよ!とろぉーっとして、ふわぁーっとしてます!」
「…幸せな頭だな」
「はいっ!幸せですー!」



ラーメンを食べ終わった若は私に乾いた笑いを見せながら、水を飲む。
私はスプーンに山盛り一杯プリンをすくい、彼の口元へ持っていった。



「は?」
「食後のデザートですよ!ほら、あーんしてください!とろぉーっとふわぁーっとしてるんで!」
「くっつくな!」
「若にもこのとろふわ感を感じてほしいんですよ!ほら、さっさと口開けてくださいな」
「ちょ、おまっ…!」



若の隙を突いてにスプーンを口に忍ばせた。
慌てふためく彼は想像以上に可愛い。自殺未遂でもすればもっと慌ててくれるかな、なんて考えたが、さっき『しないで』と言われたばかりだったのでやめておくことにしよう。



「確かに…うまいな」
「でしょ!」



若がいると、私は楽しくて、当分はこの楽しさのせいで死ねないんだ。



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