このまま…朽ち果ててしまっても、構わなかったんだがな。

深傷(ふかで)を負って帰還した自分を見て、泣き出しそうな表情で慌てて駆け寄る名前に目も合わせず口を吐いた言葉。
この言葉は彼女を酷く傷つけた――


山姥切国広


パシッ!!

「っ―?!」

一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
突然のことに驚き目を見開くと、名前がぽろぽろと泣きはじめたので山姥切国広の息が詰まる。

「どうして…っ?!」

涙とは裏腹に強い憤りを見せる名前。
ピリピリと熱を持ち痛む頬。刀傷とはまた違う小さく深い痛み。
そこでようやく彼女に頬を叩かれたのだと理解した山姥切は顔をしかめた。

「…思ったことを口にしたまでだ」
「っ―!!」
「あ、主さん! 落ち着いてください!」

反抗的な態度の山姥切に再度振りかざされる名前の右手。
その右腕を慌てて制したのは、山姥切とともに戦場から帰還したばかりの堀川国広だ。

「兄弟も悪気があって言ったんじゃないんです」

堀川のいうとおり、彼の卑屈な発言は今に始まったわけではない。山姥切が『写し』であることに強いコンプレックスを抱いていることも承知している。
それでも名前は先ほどの言葉が許せなかった。

なぜなら、彼は「このまま死んでしまっても良かった」と言ったのだから。

「……」

悔しい。まるで今まで過ごしてきた時間をすべて否定されたようで。

名前の腕から力が抜けたことで離れた堀川の手。
しかしその目は山姥切から()らされることはなく、彼女は涙の浮かぶ瞳で睨み続けた。
そんな名前に山姥切もまた鋭い眼差しを向ける。

一触即発。その険悪なまでの雰囲気に居合わせた刀剣たちは固唾を飲んで見守るしかない。

「…堀川、山伏。あなたたちから先に手入れ部屋へ」

しばらくして、鋭くぶつかり合っていた視線を先に逸らしたのは名前だった。

名前は頬を流れる涙を荒々しく手の甲で拭うと、山姥切の兄弟である堀川と山伏国広へ手入れ部屋へ向かうように指示し彼へ背を向ける。
普段はあまり聞くことのない厳しい口調。
背中を向けられたことで彼女の表情を確認することができなくなった山姥切は、なぜかいい知れぬ不安に襲われた。

「えっ、でも――」
「相、分かった」

負傷したとはいえ、軽傷にも満たない浅傷(あさで)で一番に手入れだなんて。
重症である山姥切を無視して名前から指示された内容に堀川は言葉を詰まらせる。
何を考えているのだろう。未だ険しい表情を浮かべる彼女にただただ困惑するしかない。

そんな堀川の言葉を遮って、二つ返事で頷いたのは山伏だ。
彼は堀川の腕を掴むと引きずるようにして手入れ部屋へと向かった。
それに合わせるようにして事の次第を見守っていた刀剣たちもその場を離れていく。

すると自然に名前と山姥切だけがその場に取り残された。

「……」
「……」

互いの間に続く沈黙。
もう既に叩かれた痛みは引いたはずなのに、熱を持ったままの頬が山姥切の心に荒波をたてる。
いつまでも自分に背中を向けたままの名前に募る苛立ち。思わずため息を零せば、彼女はギュッと拳を握り震わせた。

あぁ。また怒らせただろうか。
それとも泣いているのだろうか。
そしてふと思う。


――そういえば、彼女が泣くのを初めて見た。


山姥切が名前と出会って随分経つ。
ともに過ごした時間はこの本丸にあるどの刀剣たちよりも長い。それは、彼女にとって彼が『初期刀』と呼ばれる初めての刀剣男士であるからだ。

最初はこんな女が自分の主だということが受け入れられなかった。

喋りだしたら止まらないし、女のくせに恥かしげもなく大口を開けて笑う。男のように胡坐をかき、強い酒を好んで(あお)る。
(やかま)しい。お節介。無神経。お人好し。
そして…――誰よりも優しい。

「……」

本当はわかっている。彼女が怒る理由。彼女が泣く理由。
出会った当初から耳にたこができるほど何度も言われた言葉。

「あなたは、私の大切な家族なのに…」
「……」

自分のことより刀剣(オレ)たちのことを一番に考える名前。家族なのだから当然だ、と彼女は笑って言った。
自分への批判は鼻で笑って返すくせに、刀剣たちのこととなるとムキになって声を荒げる。
そんな名前だからこそ、あの言葉はどうしても許せなかったのだろう。

「……悪かった」

やっとの思いで音となった言葉はどうにもぶっきらぼうな一言。これが山姥切の精一杯だ。
それでも名前には山姥切の想いが届いたのか、ゆっくりと振り向いたその表情は鋭い目つきではあったが先ほどよりも優しさに和らいでいた。

「もう二度と、あんなこといわないで…っ!」

喧嘩腰な口調に思わず苦笑いする山姥切。
名前の頬を濡らす涙を拭おうと手を伸ばす。

「あんたの命令なら」

指先に触れた涙の雫がほんのり暖かく感じた。


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