有為転変


「大丈夫」
 天使の甘い声に、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。睡魔に似た気怠さが躰中を蝕み、呼吸さえ止めてしまいそうだ。
「ユルバン、ねえ」
 霞む視界にぼんやりと金色が映る。
 ああ、見事な金髪だ。美しい。天使たるもの、そうでなくてはいけない。
「しっかりして、ユルバン」
 乾いた音と同時に、右頬に熱が走った。
「つっ」
 反射的に上半身を起こし、頬を押さえる。五感が現実を取り戻してゆく。
 目の前の天使が、不機嫌そうにユルバンを睨んだ。
「もう。気を失うまで没頭しないで」
 天使は呆れたように言い、床に散らばった小物や紙を拾い始めた。
 視線を上げると、転げ落ちる前にユルバンがいたであろう、座り心地の悪そうな椅子があった。
 そういえば、何かが閃きそうな、何かが解けそうな、そんな感覚に我を忘れて解析書を紐解いていた気がする。
「……すまない」
 未だ靄のかかったような頭を整理しながら、ゆっくりと立ち上がった。額に手を当てる。
「あら、珍しい。あなたが謝るなんて」
 もう若いとは言えない金髪天使の名前が、ペラジーであったことを思い出し、ユルバンは深い溜息を吐いた。
「ひどいな」
 そうだ。何か。何かが頭の片隅に引っ掛かって、眠れなかった。だから――。
 ユルバンは、机に広げてあった数冊の本の中から、薄汚れた表紙のそれを手に取った。
「だって、いつもそうでしょう。ユルバン、あなたったら、私の忠告も、助言も、お願いだってきかずに、いつも自分勝手にああしろ、こうしろ、って命令ばかりで」
 振り向いたペラジーは、そこに誰もいないことに気づいた。
「あら」
 拾った紙束を机の上に置き、辺りを見回す。
「やだわ、私ったら、独り言が増えて。歳かしら」
 スカートを軽く叩き、鏡に写った自分の栗色の髪をそっと正した。






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