「返して!私の夫を返してよ!」


涙を流しながら床に座り込み、仰向けに倒れた目の虚ろな男を横に、叫ぶ彼女を眺めていた。

あれから何年も経っているというのに彼女は泣いていても相変わらず美しい。何故だろうか。だからか余計に彼女を不幸にしたかったのかもしれない。まあ理由なんてどうでもいいんだけどね。とにかく彼女を壊したかった。
久しぶりに会って話をしたくて彼女の家を訪ねてきたのだけれど、幼少時の僕を知らない彼女は、彼女の夫の親戚という僕を疑いもなく入れたのは面白かった。苗字も変わって結婚していたのは知っていたけれど高校生になる子供が二人もいて、円満な家庭なようなのは面白くなかった。そもそも子供が高校生なのはあからさまにおかしい。Vが生まれる前にはもう不倫していたのか。全く信じられない女だよ。
それにしてもX達を含め5人も生んだのに相変わらず細くしなやかな体つきだ。心も身体も壊したくなってきちゃったよ。


「ねぇ、今君の隣にいる人はさ、君のことなーんも覚えてないんだよ」

「なんで…なんで…こんなこと…」


彼女は僕の言ったことが分からないようだった。ただ子供のように泣きじゃくりながらも、僕のことを恐怖や怒りの色の浮かぶ瞳で睨んでいる。


「なんでそんなことって…君がいけないんじゃないか。そういえばさー、バイロン・アークライトって知ってる?」

「バイロン?バイロンってまさかあなたはあの人の…」


ああ。全くの見当はずれだ。彼女はどうやら元の姿の面影を残しているというのに僕にバイロンを当てはめることができないらしい。相変わらず馬鹿な女だ。X達の親権をやらずに本当によかったよ。


「まだあの人は私を許してなかったのね!だからこんなことをするのね…っ!」

「そうだね。バイロンはきっと君を許さない。一生ね。ところで、今の夫はどうだい?もしかしてバイロンとの離婚の原因になった愛人かな?」

「だからどうだっていうの!?私にはこの人しかいないのに!この人しか…!」

いつからか、彼女はあいつのことしか見てなかった。今も彼女は抜け殻同然のあいつを見続けている。僕に喚いていても心は常にあいつに向いている。それが全然面白くなかった。だから、こうしよう。こうすれば面白くなるはずだ。


「そんなに好きなら、君の夫との記憶以外、バイロンとの記憶共々食べてあげようか?それとも君の夫との記憶食べちゃおっかな〜」

「記憶を…食べる…?」

「うん。そうなんだ。彼の中にある君との記憶だけを食べたからあんなになっちゃったんだよ。だからさ、どっちか選んでよ」


彼女に近づき向き合った。白い顔の肌の底を真っ赤に染め上げ、その上に走った涙の跡をさらに大きな涙の粒が走っている。涙で赤くなった彼女の瞳は揺れ動き迷っているようにみえた。その瞳には皮肉にも真っ直ぐ僕を映し出している。
君なら当然夫との記憶を守りたいだろう。そう選択すればいいんだ。そうすれば、妻の記憶がない夫と夫の記憶しかない妻という面白い相関図ができる。それに彼との記憶なんて不味いものは食べたくはない。
だけど驚くべきことに彼女は彼を選ばなかった。


「バイロンとの記憶は…食べないで」

「何故だ?何故夫を選ばない!」


衝撃で子供のよえに振る舞う気もなく、声を荒げて聞いた。彼女の瞳は悲しそうに節目がちになり、長いまつげの先に透き通った涙の雫をためた。


「私はまだバイロンを愛しているから」

「嘘だっ!!!」


そんなことあるわけがない。そういえば許されるのだろうと思っているんだ。そう考えて紋章の力を使い僕に関連した記憶を取り込めば、僕の中に流れ込んだのはあまりにも受け入れがたい映像だった。寂しいという感情を湛え、家族の映った写真立てを前に涙する彼女、WとVを連れて研究室にやってきて僕に追い返されて嘆く彼女、僕と同じ髪色の子を養子にとる彼女、僕の名前を出して彼と喧嘩する彼女、全てが一瞬にして僕の中を駆け巡った。
はっ、と現に戻り彼女を見れば彼女はソファーに体を預け舌の回らぬ声で優しく僕の名前を求むるように呼び静止した。


「ねぇ…あのさー、起きてよ。起きなよ…、起きなよ…っ!」


揺すっても反応はなく、僕を映す瞳は瞼で閉じられていた。
彼女にとって僕が全てだったと悟ったときにはもう何もかもが遅すぎた。





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