じわり、と口内に鉄の味が広がった。じんじんする膝と手の痛みに耐えながら立ち上がり走ろうとするが、右足が思うように動かない。右足を捻ってしまったようだ。状況は絶望的であった。これでは逃げれるわけがない。しかし背後に迫る恐怖ばかりが頭を支配し、逃げれないとわかっても死に物狂いで右足を引きずりビルとビルの合間から漏れる月明かりを頼りに暗く狭い路地を進んだ。表には彼の仲間に封鎖されてでれない。例え表にでれても夜にこの‘眠らない街’で助けを呼んで救出してもらえるとは思えないけれど。このままどこか建物の中へ逃げ切るしかない。


「そんな足でこの俺から逃げれると思うのか?」


後方の少し離れたところからウルフの声が響く。楽しむような色を帯びた彼の低い声は益々私の恐怖を煽った。
私が転ぶ前からすぐ後ろにいるのに彼は決して追いつこうとせず、私のスピードに合わせゆっくりと近づいてくる。彼の固い足音も気配ももはや恐怖でしかなかった。
ウルフに恐怖を感じたことはただの一度もなかった。見た目は少しきつく見えるかもしれないが彼は常に私に対して優しかったし、とても大事に愛してくれた。しかしそれも二時間以上前までのことだった。
ただの役所勤めだと思っていたウルフが偶然裏の人だと知り、私は彼の正体を知らない振りをして別れ話を切り出したとたん殺そうとしてきた。彼の仲間がヘマをしたお陰で逃げることができ、今に至るわけだ。

息が苦しい。足がガクガクする。歩みを止めたら最後、もう歩くことさえできなくなりそうなくらい足が疲労しているのを感じる。
上を見上げれば今夜は満月のようだった。きれいな真ん丸の月なのに何故か不気味に思えた。
足音の間隔が急に早まり、ウルフが近づいてくるのがわかった。
焦り痛む足に耐えながら歩むスピードを上げたが、間に合わなかった。ウルフに捕まった。


「追いかけっこは終わりだ」

「は、離して!」


拘束された手首は強く引っ張られ体ごと背中から壁に叩きつけられた。余りの衝撃にきゅう、と息が詰まり、ズルズルと崩れ落ちそうになったけれど彼はそれを許さなかった。両肩を押さえつけられた。


「お願いだから、こ、殺さないで」

「殺しはしない。だが…」


彼は言葉をきり、私の頬を撫でそのまま顎まで指を滑らせ顎先を上にあげられた。否応なしに彼の瞳と目が合う。


「大事な獲物を逃す狼がいるか?」


月明かりによって陰を落とした彼の獣のような鋭い瞳を見た瞬間、私は決して逃げることができないのだと悟った。









月夜の狼




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