暗涙logoc
「はじめまして」
オレの挨拶に彼女は大慌てで隣にいた女友達の背に隠れ。
おずおずと顔だけを覗かせながら、耳を掠めるだけの小さな声で「はじめ…まして」と返した。
大学に入学したばかりのオリエンテーションで偶然席が近かった奴等となんとなくご飯を食べに行く事になって、その中にいた女の子が「じゃあこの子も一緒に」と高校からの友達だと引っ張ってきたのが朝比奈 律(あさひな りつ)だった。
小柄で、ふわふわとした長い髪、不安げに伏せられている事が多い顔。
偶に挙動不審で、不意打ちで話し掛けると物凄く吃ったりする内気な子。
朝比奈は女子中・女子高と同性ばかりが集う環境に長年浸っていた事と元来からの人見知りのせいで極端に男への免疫がないらしい。
だからオレに対する態度だけが可笑しいのではなく、男なら誰にでも同じ反応を返している。
当然のように女子大に進もうとしていた朝比奈の将来を危惧し「あんたそんなで社会人になってからどうすんの!?」と説得に説得を重ねた結果、共学であるここに決めたらしい。
その友達が一緒だからこそ受ける気になったのだろうが。
「喜多くん、おはよう」
「はよ、あれ一人?」
いつも一緒にいる友達の姿が見えない。
ちなみにオレの友達も一人同じ授業を選択しているんだけど、二日酔いが酷いから休むってメールが来ていた。
「今起きたって慌ててたよ」
控えめに笑った彼女は目だけをきょろきょろと左右に動かしてから、躊躇いがちにオレを見た。
「と、となり、いい?」
いっつも一緒に授業受けてんだからわざわざ断る必要もないのに。
「どーぞ」
椅子の上に置いていたカバンを退けた。
ほっと安心した朝比奈はオレの隣、を一個空けて座った。
カバン退けた意味は?
と思わなくも無い。
けどまぁ、それが的確にオレ達の距離感を示しているんだろう。
大学生活始まってから二週間半。じきにゴールデンウィークがやってくる四月下旬。
最初に比べれば大分ましになったであろう朝比奈の態度。
それでも面識の無い奴に話しかけられた時なんかは、やっぱり怯えている。
オレはと言うと人見知りってのは大変なんだな、とその都度呑気に傍観するばかりだ。
大抵はお目付け役があしらって終わり。
「……えと、なに……?」
朝比奈が困り果てたと眉を下げて情けない顔をしていた。
どうやらずっと彼女をぼんやりと眺めていたらしい。
そりゃ黙ってガン見されたら困るわな。
「あー先生遅いね」
「う、うんそうだね」
朝比奈から目を逸らしたら何となく目に入って来た時計を見れば、もうチャイムが鳴ってから十分は経っていた。
「げっ! 休講じゃん」
ふいに前からした声に、どちらともなくそっちを向いた。
前の席に座ってた奴等が携帯電話を覗き込みながら文句をぶつぶつと言っている。
休講情報は携帯からも見られる。
朝家を出るときに確認したけど、その中にはこの授業は載ってなかった。
急遽決まったんだろう。
見渡してみると、ちらほらともう席を立って出て行っている学生がいる。
マジか。
「最悪。二日酔いと寝坊が得するなんてやってらんねぇ」
ずるずると前に沈む。
くすりと笑った朝比奈は友達にメールを打ってるみたいだ。
休講だった事を教えてやってるんだろうな。
オレなら絶対しない。
「どうする、食堂でも行って時間潰す?」
弾かれたようにオレを見た朝比奈は数秒固まっていた。
よっぽどオレからの誘いが意外だったらしい。
この流れで、じゃあなとコイツを置いてさっさと出て行くのも変じゃないか。
ふらりと単独行動を取ったりも、確かに良くするけど。
基本的に一人好きだし。
「行かない? 一緒に行ってくれんならジュース奢るけど」
別に一人でいて寂しいなんて思わない。本当に。
けどまぁ、誘ってみようかなって、なんとなく。
何気に二人になるのって初めてだから、そのせいかもしれない。
朝比奈は考えるように目を伏せて、でもすぐに彼女らしい控えめな笑みを浮かべて頷いた。
ああ、なんとなくだけど。
「オレそれ好きだわ」
次の授業ではオレの方から隣の席に座ってやったら朝比奈はどんな顔をするだろうか。
困って焦って、それでもオレが好きだと思ったあの笑みを返してくるようにしてやろう。
そのくらい近づいてやろう。
距離なんて感じさせないくらいに。
*
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