vol.2
「先輩、お昼ご飯食べましょ」
ひょこりと入り口から顔を覗かせた後輩に、朋恵は顔を向けたまま暫く静止していた。
「……田嵜くん?」
朋恵に名前を呼ばれた凛は、それを合図に教室に入って来た。
昼食の入った袋を提げた凛を眺めながら朋恵は首を捻る。
真っ直ぐ近づいてくるけれど、やっぱりさっきの「先輩」とは自分の事だったのだろうか。
いまいち自信がないので黙ったまま。
「先輩は学食?」
「うんや、お弁当」
「じゃあどっか」
行きましょう、と廊下を指差した凛と共に教室を出た。
昨日まで一緒に食べていた友達は口を半開きにした状態で朋恵を見送っていて、あれは戻ったら怒涛の質問攻めにあいそうだと密かに苦る。
一人違う学年の教室に入ってくるのも物怖じせず、周囲の視線も物ともしない。
妙に肝の据わった凛を盗み見て、朋恵はどうしてこんな事になったんだっけな、と昨日の記憶を手繰り寄せた。
あれ、本気に取ったのだろうか。
朋恵と凛は学校の先輩後輩という間柄であっても、今まで顔を合わせたことも無かった。
凛など翌日ばったり会ったときに「先輩の名前って何?」と聞いてきたくらいだ。
これが冗談でなくして何だと言うのか。
誰もいない空き教室の更にベランダに座り「風が気持ちいいですね」なんて呑気な事を言う凛の隣で朋恵はお弁当を突付く。
「先輩、今日の放課後は?」
「部活」
「天文学でしたっけ。具体的に何するんです?」
「登山」
間髪入れず返してきた朋恵の言葉に凛は目を細めた。
「いやそれ何部? 登山部?」
「じゃあグランドゴルフでいいや」
「ゴルフ? え、グランド?」
「古風な言い方をするならゲートボール。だけどこれ公園でやってるおばあちゃま方に言っちゃ駄目だからね、もみじマークとかそういうシルバー的な言い回しに敏感な人が多いんだからね」
「あ……うん。ていうかそんな部ないよね」
じゃあとか、今適当に考えたのが丸分かりじゃないか。
どうしてかはぐらかそうとする朋恵から、意地でも聞きだしてやりたくなった。
隠されると余計に気になるものだ。
「どうして教えてくれないんですか」
「なら何でそんな知りたいの」
むぐむぐと玉子焼きを食べる朋恵の問いに、凛は動きを止めてぱちくりとした。
噛むの早いな。
そんなどうでもいい事も頭の端を過ぎったが、当然引っかかったのは違うところだ。
「そりゃ付き合ってるんですから。部活無かったら一緒に帰れるとか色々予定変わってくるでしょ」
「あー……やっぱ本当に付き合うんだ」
「冗談でこんな事しませんよ」
「私にはこの状況がすでに冗談と言うか……。言い出したのは私なんだけども」
歯切れ悪い朋恵に凛は眉を顰めた。
迷惑だっただろうか。
もしそうなら無理に付き合わせるわけにはいかない。
「めい……」
「うーんじゃあまあ、リハビリっつーか練習しますか」
迷惑ならこの話無かった事にします、と言おうとした凛だけど、それが実際に切り出される事は無かった。
「練習?」
「そ。田嵜くんに女の子との正しい付き合い方ってものをレクチャーして差し上げる」
ニッコリ笑う朋恵に凛もつられて表情を緩める。
「お礼にオレが男にフラれなくなる方法とか教えて上げられたらいいんだけど」
「田嵜くん……」
朋恵は少し切なげに呟いて手を伸ばした。
驚いたものの拒む理由が見当たらず凛は動かずに手が触れてくるのを待つ。
「まずはその正直過ぎる口をどうにかしましょうねぇ?」
力一杯、両頬を捻りを入れながら抓られた。
vol.3
コン、とペットボトルを床に置いた朋恵は壁にもたれかかったまま空を見上げた。
昼ご飯を食べ終わってのんびりとした時間を過ごしている。
後輩の凛とともに。
既にこの状況に慣れ出した自分の順応力が少しばかり憎い。
本当に付き合うか、と決めたのが昨日。
今日で二回目の昼食だ。
「ねむー」
足を放り出してずるずると身体を沈めた。
そんな朋恵を見て凛も少し体勢を崩す。
「先輩ってすごい上品そうなイメージあるからちょっと意外」
「ん?」
「清楚で物静かですごい気が利きそうで、男の後ろを黙ってついていく大和撫子って感じ」
「はっ」
凛が言えば、朋恵は口を歪ませて哂った。
あしらうように手をひらひらと振る。
「そんな女いるわけないじゃん。言っとくけどそれ売りにしてる女優だって絶対カメラ回ってないところだとこんなだから」
「どうなんだろう?」
みんながみんな朋恵と同じではないだろう。
実際にこういう性格の人もいるだろうに。
けれど、自らの性格を偽って見せる人もいるし、朋恵のように勝手に勘違いされる人も確かにいる。
「あーそうだ、昨日ね友達に私ら付き合う事になった経緯話したの」
「うん」
「そしたらさー」
身体を起こして、ずいと凛に詰め寄った。
「大っ爆笑された」
「……なんで?」
笑うポイントなんてあっただろうか。
凛としては当然の成り行きだった気がする。
あの子達ヒド過ぎ! と憤慨する朋恵は何故笑われたのか分かっているのか。
『まー田嵜くんがあんたの本性知ったらソッコーで別れようって言うっしょ』
『失恋続きの朋恵を憐れんだ神様からの贈り物だと思って数日間楽しんだら?』
『失恋の慰めでまた失恋ってどういう事よ』
『あはは! ほんとだ、あんた本当ついてねぇー』
「という具合に」
「へ、へぇ……」
「終いには賭けしだすしね、何日で破局かって」
実に楽しそうだった。
人の不幸は蜜の味かくそう
ちなみに彼女達の予想では5日しかもたないらしい。
やさぐれる朋恵はまた壁に凭れてだらけた。
「先輩の本性って何?」
「だから、これ」
自分の体を指す。
「行儀が悪いし、言葉も綺麗じゃないでしょ」
外見とのギャップがあるのがそんなにいけないのか。
この顔に産まれたのは不可抗力だ。
「どいつもこいつも勝手なことばっか言いやがってぇ。なんだ、私が吉野家で牛丼食べたらそんなに変か!」
「なにそれ!?」
そんな事言われた事あるのかと、思わず凛は吹きだした。
確かにちょっと似合わない気はするけれど。
「いいじゃないですかね、ゲテモノ食べてるわけじゃないんだから。俺は松屋も好き」
「よね、よね! 女の子だって肉食うってぇのよ、常に甘いものばっか食ってたら病気なるわ。くだらない野郎の妄想に付き合ってられっか。やっぱ男は包容力があってなんぼだわ」
力説する朋恵に凛はくすりと笑う。
彼の方がよっぽど上品だと思った。
「そんなので別れたりしないですよ」
面白いし。
一緒に話していてもいちいち意外で、それが可笑しい。
「うっわーちょーいい男! 逆にムカつく」
「え」
「うん、でも良かった。これで少しは長続きしそうだわ。奴ら五日以内って言ってたからね絶対それ以上保たす」
意気込む朋恵に凛はあれと首を捻る。
どうも彼女の言葉を聞いていると引っかかる事があった。
「俺がフる事前提なんですね?」
「あ、だって……え? ホントだ!! これまでフラれる経験しかしてこなかったから……しかも相手が田嵜くん。怖い! 先入観って怖い!」
「その方が俺は捨てられる心配しなくて楽ですけど」
「そんな心配した例しないでしょうが」
噂で聞く限り、それはもうぽんぽんと作っては捨て、作っては捨てをしてきた凛が何の心配をするというのか。
こつんと拳でこめかみを突く。
しかも、今回だってその必要がない。
「私からは多分ない。なんかね、田嵜くんと喋ってるの楽っていうか……うん、すごく楽だわ」
「みたいだね」
もうほとんどが寝かかった体勢の朋恵を見れば言われなくても分かる。
まるで家のリビングでテレビを観ているようなリラックス加減だ。
「リラクゼーション効果も持ち合わせてるなんてやるなぁ。これ女の子の心鷲掴みポイント5だよ」
「何段階なの?」
「100p集めたら、タラシ認定書ゲット」
「道程は長いな」
「欲しい?」
「まぁもらえるなら何でも」
「主婦の考えね」
何の店のか分かんないポイントカードだらけなのよーと母親が言っていたのを思い出した。
財布を整理しているのを手伝っていたら、これもう二度と行かないでしょというところのカードのなんと多い事。
こういうとこ親近感湧くな、と気付かれないように笑った。
「ところで田嵜くんって、これまで付き合ってた最長期間ってどのくらい?」
「えぇと、よ……3日?」
「……5日めっちゃ難易度高いじゃん」
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