人の恋の算段

 放課後、笹岡 朋恵(ささおか ともえ)はこれでもかと言うほど肩を怒らせて校舎を大股で歩いていた。
 それはすれ違う生徒達が朋恵を避けたり振り返って二度見したりするほどに。
 切り揃えられた長い黒髪も、力の入った歩行にいつもよりも大きく揺れている。
 
 つい先程入って来た恋人からのメールが原因だ。

 "ごめん別れて"

 たった一文だけの、さっぱりとした内容。

「何よ原因はなんなのよ! ていうかせめて直接言えこんにゃろぉーっ!!」

 感情のままに大層な独り言を叫び、そしてやっとここがどこで自分が何を口走ったのかを自覚した。
 気が付けば玄関のど真ん中。

 近くにいた生徒達に奇異の目で見られているのだが、当の本人は全く気にしていない。

 靴を履き替えようと靴箱に手を入れたまま呆然としている生徒と目が合って、何か文句でもあるのかと睨む。
 さっと顔を逸らした相手にふんと鼻を鳴らした。

 見ず知らずの生徒に当たっても仕方がないのだが、どうにも気持ちを抑えられない。
 これ以上居ては本格的に誰かに当り散らしそうだ。
 
 それはさすがに拙いと、180度方向転換した。
 すると、とんと真正面から誰かにぶつかった。
 「うわっ」と後ろから慌てた声がして眉を寄せながら目を閉じた。

 ああもう最悪! 舌打ちしそうになる。

「すいません」

 短い返事に顔を上げると、そこにはよく見知った顔があった。知り合いというわけではなく朋恵が一方的に知っているだけなのだが。

 一年生の田嵜 凛(たざき りん)と言えば入学直後からの有名人で、他学年にまでその名は知れ渡っている。
 カッコいい子が入ったとクラスの女の子達も騒いでいたものだ。

 そして彼の名前とともに、ある噂も広く伝わっていた。

“恋人と絶対に長続きしない”

 彼がフリーのときに運よく告白すれば、その場で諾と返事が返ってくる。その代わり数日と待たずに別れを切り出されるのだとか。

 理由は毎回決まって「本気になれそうもないから」というもの。

 それでも見目の良い顔と、彼の知名度故に告白してくる子は途切れない。別れてはその日のうち、ないし翌日には別の子と付き合っているという。

 またすごい人物にぶつかってしまったものだと、怒りもしばし忘れて朋恵は内心全く関係の無い事を思った。

「……先輩」
「ん?」

 もう行こうと足を出そうとしたとき、遠慮がちに呼び止められた。

「あの、これ」

 凛がゆっくりと右足を持ち上げると、その下からさっきまで手に持っていたはずの朋恵のものと同じ携帯電話が姿を現した。自分の手を見てみてもそこに携帯はない。
 
 という事はやはりそれは朋恵のものという事で。

「ぎゃぁーっ!」

 どうやらぶつかった拍子に落とし、更にはタイミング悪く凛が踏みつけてしまったらしい。
 取り上げて丁寧に制服の袖で汚れを拭った凛はそれを朋恵に渡した。

 「本当にごめんなさい」と再び謝罪して立ち去ろうとした後輩の肩を掴む。

「ちょぉ待てや兄ちゃん、ごめんで済ます気かい? それはちょっと誠意が足りんのと違うか。拭いたらいいっちゅーもんじゃないだろうが、ああん?」

 完全なる難癖を付け始めた朋恵に凛は呆気にとられて何も言い返せなかった。

 ガラの悪い輩のような口調が、朋恵の外見のイメージからは想像もつかず、こんな人なのかと意外に思えたのだ。彼女には似合わなさ過ぎた。

 先ほど叫んでいたにも拘らず、それでも和風で清楚で上品な雰囲気を損なわない見た目が邪魔をする。
 勝手な思い込みなのだが、騙されたと言えなくも無い。

 そのギャップが可笑しかった。

「ちょっと何笑ってんのよあんた」
「す、すいませ……でも先輩が……っ」
「天誅ぅ!!」

 たった今返って来た携帯で凛の頭を小突いた。
 周囲で見守っていた女の子達から悲鳴が上がったが、朋恵はまるで聞こえていないかのように平然としている。

 それよりも、携帯が今度こそ何か不具合が起こったかもしれない。その方が気にかかった。
 むしろ今の衝撃で或る一名だけのメモリーが消えてくれていないだろうか、などと無駄な希望を抱く。
 だが少しいじってみても異常はなく、データもきちんと残っていた。

「ちっ、無傷かよ……壊れてたら弁償してもらおうと思ってたのに」
「そんな確信的な事されても弁償しませんよ」

 もはや詐欺の手口だ。
 
 何なんだろうこの先輩は。
 
 やっている事が無茶苦茶だ。一人で叫んでいるわいきなり殴りつけてくるわ、あげく自分で壊そうとした携帯電話を弁償させようとまでする。
 
 ただ凛は嫌いではなかった。これまで周囲にはいなかったタイプの人だが、言動に予測がつかないのが見ていて飽きない。
 多少注意は必要な所があるにしても、好きかもしれないと思った。
 だからだろう、話を続けた。

「先輩さっきの、彼氏にフラれちゃったんですか?」
「え? あはは田嵜くんってばいい趣味してるなぁ」

 未だ生々しい傷を抉る気かと、またも力一杯腕を叩く。
 痛みに顔を顰める凛に気を収めた朋恵はニコリと笑った。
 その表情だけを見れば、やはりたおやかな女性なのだけれど。
 
 目は完全に「てめぇぶん殴るぞ」と語っている。
 
 やばい、この人面白い。
 
 凛は内心を隠して申し訳なさそうな表情を作った。

「すみません、オレもさっき別れたばっかだから同じだなと思って」
「ああ……でもフるのとフられるのとなら、アマガエルとガマガエルくらいの差があるのよ」
「どっちもカエルじゃないですか」
「そうだけど遭遇したときのショック度が天と地ほど違う」
「初めからその表現で良かったと思うんですけど」
「そう?」

 解り易くしたつもりだったのに。
 変だなぁと顎に手を添えて考え込む朋恵は凛が思っていた十倍は可笑しい。

「まぁなんだ、勝ち組と負け組みたいな。……ああ段々田嵜がアイツに見えてきた。ねぇ殴っていい? ビンタでも可」
「嫌です」
「やっぱりかダメかぁ、くそー。大体田嵜もさぁ、次から次へと女の子食い散らかして良いとでも思ってんのぉ?」

 がばりと凛の肩に腕を回して引き寄せた。

「ノリが酔っ払いの絡み辛いオッサンみたいになってますよ?」

 八つ当たりを始めた朋恵に凛は呆れもせず笑いながら返す。
 ここまで徹底してかわされると、この子の処世術は半端じゃないと素直に感嘆せざるを得ない。
 
 これが女の子の反感を買わない理由なのだろう。
 だが、最高潮に心がささくれ立っている朋恵は尚も続けた。

「あれじゃないかな、いっつも告られる側だから有り難味が欠けちゃってるとか。一度くらい自分から告白して付き合ったらもうちょい長続きするかもね」

 そう言って朋恵は思案するように凛を頭から足先まで見渡す。
 暫く考えていたかと思うと、閃いたとばかりに目を輝かせた。
 
 こういう表情をすると、驚くほど綺麗だ。

「うんよし! 付き合おうか」
「は?」
「え? 田嵜くんって告白されたら即オッケーなんじゃなかったっけ?」
「今の告白だったんですか!? てかどういう流れ」

 これまで幾度となく女子生徒から告白されてきた凛だけれど、こうも適当かつ脈絡のないものは初めてだ。
 そして今までの女の子達との決定的な違いは凛に向ける感情だろう。
 
 付き合ってほしいと告白してきた女の子達は、半ば盲目的に凛に好意を寄せていた。
 だが言葉一つ態度一つ取ってみても朋恵は凛をどうとも思っていないのだと分かる。

「田嵜くんって本気で好きになれないから、いっつもすぐに別れちゃうんでしょ? だったら最初から好きになった子に田嵜くんから告白して付き合えばいいのよ。だから、好きな子が出来るまで私が虫除けになったげる」
「虫って」

 女の子に誠実であれと説く人が、その口で同性を虫呼ばわり。

「どうせだからこの機会に超モテの田嵜くんに愛されテクでもレクチャしてもらおうかなって思いまして。ついでに彼氏も出来て一石二鳥?」

 ニッコリ笑う朋恵に凛もつられて表情を緩める。
 だが内容は、彼が言えた義理ではないのだが、不誠実極まりない。

「いやあの先輩……」
「じゃあまた明日ね田嵜くん」
「え、だから」
「というわけで私そろそろ行くわ」
「えええぇー」

 一人で喋って勝手に完結させた朋恵は本当にそのまま歩き出してしまった。
 まだ返事もしていないのに、彼女の中ではもう付き合う事になったらしい。
 そしてそうなったにも拘らず、しかもここが放課後の玄関だというのに一緒に帰る気は無いときた。
 
「帰らないんですか?」
「部活」
「何部?」
「天文学部」
「え、そんなのウチあったんですね」
「さてどうだろうか」

 更々まともな答えをする気がないように適当丸出しだ。
  背を向けた朋恵を見送る。
 
 もうどうにでもなれ。どうせ現在フリーであるのは事実なのだし、良い暇つぶしにはなるだろう。
 一つ年上の彼女との会話はあれでなかなか面白い。
 
「私を泣かせる可能性のある男この世から全員消えろ! まず片山死ね!」
 
 そんな叫び声が向こうの方から聞こえてきて、耐えきれずに吹き出してしまった。
 
「片山って誰」
 
 多分、フラれた相手なのだろう。
 まだ怒りは収まっていなかったらしい。
 
 明日会ったら慰めようか。そんな事をすれば余計に怒らせるかもしれない。
 
 それはそれで楽しそうだ。
 
 奇妙な経緯で付き合う事になったけれど、今度こそ長続きしそうな予感がした。
 

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