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「マスター祝杯をあげたい気分だ。焼酎を一杯くれないか、ロックで」

 横を通り過ぎようとした店員を呼び止めた瑞貴の足に、凌は蹴りを入れた。
 愛想笑いを浮かべた店員は注文の部分だけを繰り返し、そそくさと厨房へ戻っていく。

 完全に酔っ払っていると思われたのだろう。

「馬鹿が」
「こっちのセリフだ! んな惚気話を素面で聞いてられっか。へーへー良かったですね幸せそうでぇ。その幸福オーラの八割を俺に寄越せ」
「ドブに捨てた方がまし」
「おっまえ、俺がどんだけ助言忠言してやったと思ってんだよ」

 知らん、そう言うと凌は来たばかりの焼酎を瑞貴が取るより先にかっさらった。

「そんな憎たらしい事ばっか言ってると愛想尽かされるぞー」
「あり得ん」

 このくらいで嫌になるなら、もうとっくに家に帰っているはずだ。
 侑莉は凌のマンションに居たいと言っていた。
 つい先日の話だ。

 照れもせずしれっとしている凌に、瑞貴はアホらしくなってきたと言わんばかりに身体を背もたれに投げ出した。

「で、いつ渡すんだ?」
「いつでも」
「まー俺等の努力を無駄にせず、せいぜい長続きさせてくれや」

 なんだかんだと言っても親友の事だから嬉しくはある。
 多少引っかかるところはあれど、これは瑞貴の素直な願いだった。





 瑞貴と別れてマンションまで戻ってきた凌は、部屋全体が真っ暗になっている事に違和感を覚えた。

 時間が時間なだけに侑莉はもう寝ているのかもしれないと思いな直す。

 けれどリビングの電気をつけた瞬間、首を捻った。
 帰ってきたときに部屋が暗いだけで違和感を感じたことなどない。

 凌の帰りが遅くて侑莉が先に寝ているなんてことは今までに何度もあったし、侑莉がバイトで凌の方が先に帰ってきている事もあった。

 ならばこれは何だろう。
 得体の知れないものを引き摺りたくなくて、侑莉に訊いてみる事にした。
 起こしたとなれば文句も言われようが、このままでは凌が眠れそうもない。

 そして一瞬視界に入って来たテーブルの上に物が置かれているのに気付いた。
 いつもはリモコンくらいしかない、リビングのローテーブル。
 それさえも今は侑莉が買ってきたリモコンラックに入れられているのに。

 あったのは凌の携帯電話とメモ用紙。そして封筒。

 メモ用紙に伸ばしかけたては、一行目に書かれている文のせいで動きを止めた。

『長い間お世話になりました』

 丁寧な字でそう書いてあった。

『鍵はポストの中に入れておきます』

 その下に追記されているのはそれだけ。
 事務的な言葉は、逆に事態の把握を遅らせた。

 意味が分からない。
 舌打ちをしながら横を向いて、はたと思い至った違和感の正体。



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