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「きゃあっ」

 混乱し我先にと逃げ惑う人に押し退けられ、行列から弾かれてしまった。マリコさん達が何処にいるのかもう分らない。こけた拍子に擦りむいた手の平がじくじくと痛みを訴える。

 見上げると魔物はまだ威嚇するように耳障りな唸りを止めていなかった。
 早く、早く逃げなきゃ。

 恐怖に縺(もつ)れそうになる足を叱咤し立ち上がると、私は全速力で逃げようとした。
 でも視線の先に途方に暮れたように立ち竦む小さな男の子を捉えてしまって。

 しかも魔物の視線も完全にその男の子に絞られているのを確認してしまった。

「走って! 逃げて!」

 聞こえるか分かんないけど、あらん限りの声で叫んだ。怖いなんて言ってられない。
 全速力でダッシュして男の子の所まで走る。バサリとまた羽ばたく音がした。

 ヤバい、来る!
 一か八か地面を蹴って、男の子に体当たりするように突き飛ばした。勢いで身体がざあっと滑る。慌ててさっき男の子がいた所を確認すると、魔物の爪が地面を抉っていた。

 血の気が失せる。当たってたら、なんて考えたら震えて何も出来なくなるから思考を中断した。

「大丈夫!?」

 近くに倒れていた男の子を抱き上げて少し揺するとうっすらと目を開けた。良かった一応は無事みたいだ。
 
 グワアアアアアッ
 
「ひっ!」

 すぐ至近距離からする魔物の咆哮。見なくても分かる。標的は私達だ。男の子を抱く腕に力が入った。

「まったく、気を付けるのは貴女の方じゃないですか」

 ズダアンッとまた物凄い音を立てて魔物が崩れ落ちるのと同時に、その巨体の向こうからディーンの姿が現れた。

 剣を振って付着した血を払い落とす聖剣士様は息一つ荒げずにいた。

「ディーノ!」

 私の前まで来るとディーノはしゃがんで顔を覗き込んできた。

「お怪我はありませんか」
「うん、大した事はあああああーっ!!」

 言っている途中に叫びに変わり、そのまま両手を伸ばしてグワシッとディーノ顔を鷲掴みにした。

「ディーノの顔に傷が! 何て事なのこんな綺麗な顔が傷物とかあってはならない!」
「お、おちつ」
「これ舐めればいいの!? ソレスタさんそう言ってたよね、あいつそれで私の治したよね!?」
「いやあれは彼の魔術」
「だったらソレスタさんに舐められたいの!?」
「そんなわけないでしょう!!」
「ていうかソレスタさんに出来て私に出来ないなんておかしいじゃない、私の方が本物の女なのに!」
「性別の問題では……兎に角落ち着いて下さい、俺は大丈夫ですから」

 ディーノの顔を挟んでいる私の手を更に掴まれた。その手の温かさに自然と入っていた力が抜ける。
 身体ごと彼に乗り上げる勢いだったので、そのままずるずると崩れ落ちてディーノに凭れ掛かった。難なく私の身体を支えてくれたディーノは安心させるように背中を擦ってくれる。

 うう、大人の心遣いが沁みる。
 胸に頭を預けていると心臓の音が聞こえてきた。

「お帰りディーノ、無事で良かった……」
「俺は無事ですよ。ただ誰かさんが俺のいない所で勝手に危険な目にあってるから肝が冷えましたが」
「ごめんちゃい」
「心がこもって無い」
「ごめんなさい」

 何気に躾けが厳しいディーノ聖騎士様はご健在でした。

「お二人はそういう御関係でしたの」
「あ、姫様もう少しそっとしてあげても……!」

 はっ! しまったラヴィ様達の事すっかり忘れてた!
 そっちの方に気を取られてて、言われた内容が脳に伝達されるまでに数秒を要した。

 そういう御関係ってどういう御関係だ? 私とディーノはユリスの花嫁と聖騎士で護衛ってだけだけど。
 などとディーノに身を預けながらぼんやりと考えたわけで。

「ぎゃああっ!! 違う違うよラヴィ様これは生還を祝う儀式、え、なに儀式って!?」
「ハル、混乱し過ぎです」

 頭がパーンってなりそうです! いやだって往来のど真ん中で座り込んで何やってんだ私達!?
 しかもすぐそこに魔物の巨大な死体があるんだよ、どんだけシュールな絵になる事か。

 大慌てでディーノから離れようとして、私はまた大きなミスを犯したのだと気付きました。
 
 男の子の存在もすっかり忘れてた。
 ディーノの顔に傷が出来てるという衝撃の事実にパニックになって手を放して……。

 ゆっくり身体をディーノから離してみると、私の膝の上に丸まってる物体があった。
 抱きつぶされてたらしく、ぐるぐる目を回してしまっている黒の物体が。
 
 気を失ってしまっているそれは、真っ黒い子犬でした。
 あれ、男の子は?
 



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