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「た、たか、鷹島先生!?」

まさか、鷹島が現れるとは夢にも思わなかった葵。
驚くを通り越してテンパってきた。
なんで?とか、どうして?など同じような質問を慌てながらする葵を落ち着かせるために、両肩を支える。


「あー!落ち着け!見舞いだ、見舞い…」


ほらこれ、と肘にかけたコンビニの袋を見せた。
中には葵の好きそうなゼリーやらアイスやらが入っている。
それを見てやっと落ち着いた葵は、鷹島の姿をじろじろ見ながら、


「あざぁっす…!…えと、上がってきます?」


へらへら笑いながら、家に上がってほしいと遠慮がちに告げた。
何がそんなに面白いのだろうか、と鷹島は不思議に思いながらも、


「ああ…お前に見せたいものがあるから、悪いがお邪魔する」


家庭訪問気分で葵の自宅に上がった。
新築なのだろう、今時の小奇麗な家に鷹島はちょっとばかし羨ましくなる。
いつものスニーカーとは違う、綺麗な革靴を玄関にちゃんと揃えて置く鷹島。

それを横で見ながら、


「…なんか不思議だー」


と葵が呟く。
鷹島は何が不思議なんだと眉をひそめるが、不思議なものは不思議なのだ。
例え担任だろうと、教師の私服なんて見たことが無い。ましてや年中ジャージ姿の体育教師なんてスーツ姿すらも稀だ。

鷹島の私服は、彼に似合っている綺麗系。
いつもジャージなのに、私服はジーンズという所が更に新鮮だ。
股下が長い…というより足が長いのでジーンズもオシャレに感じる。
上のシャツも、黒と白の2枚で構成されていて黒の似合う鷹島によく合っている。
細いが、筋肉のある腕には腕時計。

そもそも、素材がいいからシンプルでもかっこよく思えるのだ。


「…ずるい!」

思わず口を尖らせる葵。
自分は背も低いし、顔も母親似なのでそういった男らしい服は浮くのだ。似合わない訳ではないが。


「何がだよ…つーか、お前寝てなくていいのか」


鷹島はいきなりよく分からない発言をする葵に呆れながらも、彼の体を心配する。
先ほど肩を掴んだが、やっぱり細かった。
倒れた時も危惧したが、何だか消えてしまいそうで。

葵は大丈夫、と言うが


「やっぱお前寝てろ。…お前の部屋ってテレビあるか」


「え?うん、あるけど…」


俺の部屋でテレビ見るの?と目を丸くして聞く。
2人でテレビ観賞もそれはそれで面白そうだが、と葵はちょっとワクワクした。
先ほどから鷹島が来ていてちょっと浮かれているのだ。おかげで、謝ることもお礼を言うこともうっかり忘れてしまうほどに。


「アホ、テレビくらい家で見るっつの!」

「そうですよね…」


しかし正論を言われて、とほほと葵は肩を落とした。
鷹島はこういうことには意外とドライなのである。
葵は特に部屋に入れたくないという訳ではないので、あっさりと許諾し部屋へと案内した。

ここです、と葵が先に入る前に鷹島はドアプレートを見てちょっと笑う。


「やっぱウサギか」

「あ!それは見ンなよ!いいから早くー!」

ウサちゃんのマスコットの横に「AOI」と書かれているプレートは、葵の趣味なのか母親の趣味なのか分からないが、確実に男子高校生らしからない。
鷹島にからかわれて恥ずかしいのか、葵は急いで鷹島を部屋へと引っ張り込んだ。



「へぇ、綺麗にしてンな」

葵のプライベートルームに入った鷹島は、思わずじろじろと辺りを見てしまう。
生徒の部屋に入ることもそれほど無かったし、葵の部屋というと何か変な気分。
男子高校生の部屋なんて、踏み場も無いイメージしか無いのだが、葵の部屋は小奇麗に整理整頓されている。


「あんま見ないでくださいよー、なんか恥ずいッ…!あの辺に座ってくださ…」

「お前、ベッドの下とかにエロ本とか隠してるだろ」

「ねーよ!!鷹島ちゃんセクハラだ!」


男相手にセクハラはねぇだろ、と言いながら鷹島はげらげら笑う。こういう気さくな所は嫌いではないが。
鷹島は葵に促された通り、小さなソファーに座った。
葵に寝ていろ、と促し持ってきた鞄から小さなビデオカメラを取り出した。

葵は不思議に思いながらも、ベッドに横になって鷹島の動きをじっと見つめる。
しゅるしゅる、とコードも取り出しビデオカメラと葵のテレビを繋げた。

何だか不安になる葵。
もしや、保護者会とかそういうので鷹島が教員を辞めさせられる記者会見だろうかと妄想し始める。
もしそうだったらどうしよう、と葵は唇を噛んだ。


「えーと、これはどこ押せばいいんだ…再生…?」

何やら四苦八苦している鷹島。
あまり機械操作は得意ではないらしい。
しかし、単純な操作だったためかすぐに鷹島のしたいことは映像となって現れた。


真っ暗だったテレビ画面に映ったのは、


「…!、水族館…!」

葵が行きたいと言っていた水族館の入り口。
思わず声を上げてしまった。


鷹島が撮影しているのだろう、少々手振れが気になるが葵は心底驚いた。
時々「ここは大水槽だな」と業務みたいな実況も流れる。それがおかしくて、葵は笑う。

たくさんの魚が水の中で躍るように泳ぐ。
大水槽はまるで海が切り取られたみたいだった。
あまりにも綺麗で、葵は思わずベッドから降り、テレビに近づく。

喜んでいてよかった、と鷹島はベッドから降りてしまった葵を咎めもせず「でかかったぞ」と感想を述べた。

撮影禁止な所もあったので、ちょっと飛び飛び。そのうえフラッシュは禁止なので薄暗い。


小さな水槽、カニなどの甲殻類の水槽などを巡る鷹島のカメラ。やけにエビを念入りに映していた意味が分からないが、どうやら鷹島のオススメらしい。

「手長エビって凄いよな」

「え?そ、そうかな?」

ツボが今ひとつ分からないが、確かにふよふよしていて面白い。これは実物をぜひ見たいと葵は思った。


そして、暗いトンネルをくぐった先には、


「あ!白イルカ!」

葵の大好きな白イルカが楽しそうに泳ぐ水槽。
しかし、映している鷹島は「うわっ」と驚いた声を発していた。
バンドウイルカが白いものだと思っていた男だ。
まさかこんな生き物とは思っていなかったのだろう。
驚きながらも、ビデオカメラを近づけた。
すると、他の客もビデオカメラを回しているというのに、


「…なんかいっぱい来てるー!」


葵はケラケラ笑う。
そう、なぜか鷹島は白イルカに大人気になってしまったのだ。
水槽の中から遊ぼう遊ぼうと言わんばかりに、鷹島に集まる白イルカたち。
時折内側から水槽を口で叩いてみたり、目の前でくるくる回ったりしている。

当の鷹島は「何か集まってるな」ぐらいの認識。
大体こういう興味の無い人に限って動物に好かれるのだ。


すると、


『お兄ちゃんすごーい!イルカいっぱい集まってる!』

子どもの声が聞こえた。どうやら隣で見ていたらしい。母親の「こらこら」というお咎めも、なぜか一瞬にして「本当凄いですね!」と明るい声に変わっているのは言わずとも分かるが。

白イルカはまだ遊んでほしそうにくるくると回る。

『お兄ちゃん、何でビデオ撮ってるの?』

子どもとの会話もまだ続く。
鷹島は一瞬ビデオカメラを床のほうに向けた。
可愛らしい女の子がピースをしている。
葵は思わずにこにこしてしまった。子どもは癒される。

『あー…ここにな、本当は一緒に来るヤツが居たンだけど』

鷹島は「ゲッ!」と声をあげた。慌てて早送りボタンを探し出す。けれど、彼と子どもの会話は止まらない。

『ちょっと体調崩して。だから映像だけでも見せてやろうって思ってだな』

『そうなんだ!』

『まぁ、本当は一緒に来たかったけどな』

すい、とビデオカメラが横に動く。
白イルカはビデオカメラに反応していると思ったのだろう。しかし、彼らはカメラではなく鷹島自身に反応しているので動かない。
俺がこの中で一番背が高いからか?と鷹島はひとりごちる。すると、そろそろ親子が行くのだろう。
母親の音声が入った。


『ありがとうございます、お話してくれて…その、大事にしてるんですねその方を』


ふふふ、と優しそうな笑みを浮かべて立ち去る瞬間、いきなり画面が早くなった。
今更過ぎる早送りである。やっと押せたのだ。
これ以上早送りにするシーンは無いので、鷹島はいっそ諦める。


鷹島の頬が熱くなった、何だか恥ずかしい。
まさかあの会話がばっちり入っているとは思わなかったのだ。
葵はひくだろうかと恐る恐る見れば、

鷹島を、泣きそうな顔でじっと見上げていた。


さすがの鷹島もぎょっとする。
あまりにも気色悪くて涙したのか、と危惧した。
話を逸らすために、「ほら、次はラッコだぞ」と画面に映る可愛らしいラッコ達を見ろと促す。
先ほどのイルカ同様、ラッコにまで人気な鷹島のおかげでたくさんのラッコ達が画面に映っていた。

しかし葵は、大好きなラッコも目に入らなかった。


鷹島が、わざわざ水族館に行って葵のために映像を撮ってきてくれたこととか。
それ以前に倒れた葵のために必死に色々してくれたこととか。
冬香や知らない親子に言われた『大事にされてる』とか。


それが全部混ざって、ひどく心を揺さぶった。
嬉しいとか、幸せとか、泣きたいとかそういう甘くて苦しい感情が葵の中をぐるぐる駆け巡る。


「齋藤…?」


鷹島の声が、こんなにも近くて。


葵は衝動的に、鷹島の胸に飛び込んでしまった。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
そればかりが頭の中をぐるぐる駆け巡り、鷹島の背中に手を回して必死にぎゅうっと抱きつく。
鼻腔いっぱいに香る鷹島の香りと、上半身に伝わる彼の体温とか。
葵の心拍数が、上がった。


しかし、いきなり抱きつかれた鷹島はただただ絶句。
今まで葵から触れてきたことは髪を触る、とか頭を撫でるとかなので、抱きつかれるなんて現実とは思えない。
けれど、葵の体温が熱くて。
そして少し震えていた。小さく葵の声が聞こえる。


「…ありがと、せんせ…」


鷹島の胸の真ん中がひどく締め付けられる。
とても愛しく思えて、宙をさ迷っていた両腕でそっと葵を包み込んだ。
壊れ物かのように、大事に。


テレビではイルカショーの騒がしい音が聞こえる。
外は小学生に向けた「5時になりましたので…」と寂しいアナウンスが響く。

それなのに、なぜか2人の間はとても静かに思えた。

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