応接室にも屋上にも居なかった尋ね人は、
まさか、と足を運んだ校舎裏の空き地に居た。
そこには1本だけ、大きな染井吉野がある。
満開の桜が容赦無く降り注ぐその幹に寄りかかる、
黒くて細い身体が春の明るい空気の中浮いて見えた。


「……、」


正直呆れていた。だからそんな色の溜息が出た。
俺の足音に気付いたらしい、恭弥は緩慢な動きでこちらを振り返る。
身体を起こそうとしたが、上体を支えていた腕がかくりと折れて、横向きに地面に倒れ込んだ。


「恭弥!」


慌てて駆け寄る。崩れた身体を抱き上げてやると、恭弥は素直に体重を預けてきた。


「お前、桜苦手なのになにやってんだ…」

「苦手と嫌いは別物なんだよ」


腕の中で恭弥が言った。僅かに呼吸も苦しそうだ。


「…にしたって、花見の割りにリスクが高過ぎだ」

「それを犯してでも、見たかったから」

「ならそうやって俺に言えよ。ちゃんと連れてってやるから」

「…そうだね」


真っ黒い髪に桜の花びらが落ちてきた。
ぶるりと身体を震わせたのが可哀想で可哀想で、
俺は花びらを払いついでにその髪を撫でてやる。


「実はね、あなたを待ってたんだ」

「俺を?」


聞けば恭弥はうっすらと笑みを浮かべる。今日の彼はなんだか儚げだ。


「動けなくなっちゃった」


壮絶な秘密を打ち明ける様ないたずらな笑顔で、自嘲染みた溜息を吐いた。
体調に反して機嫌の良さそうな形の唇を親指の腹で撫でる。
ぺろりと舌で舐められた。こんな時にじゃれてくる余裕の意味がわからない。


「だったらせめて、どこに居るから迎えに来い、くらい連絡くれよ」

「あなたなら、僕を捜し出せるでしょう?」

「自信過剰過ぎんだろ」

「嫌なの?」

「嫌なわけ無ぇさ」


満開の桜の下、風が吹くとハートみたいな姿の花びらが俺たちを取り巻いた。
踊り狂ういくつもの花びらに目眩を起こしながら俺を見上げる可哀想な恋人に、
とうとう堪えきれなくなってキスをする。
こうして彼に覆い被さって、花びらの豪雨から守っていれば、
少しくらい彼の苦しみを減らせたり出来ないだろうか、
あぁでもこうしてしまうと桜が見えないに違いない。
もどかしく思いながら唇をくっつける。
この唇を伝って、彼を苦しめる病気が俺に感染ってしまえば良いのだ。


「ん、」


鼻にかかった声がする。俺の頬に添えられた指先まで震えていて悲しくなった。
桜が大の苦手で、桜が大好きな彼だ。
大好きなものの近くに行く事が出来ないのは、きっととても苦しいに違いない。
それでも、ふらふら、倒れそうになりながらも、
この桜の木の下まで辿り着き、結局動けなくなってしまった哀れな細い身体を抱き締める。
俺だってもし、この子に触れると息が出来なくなる呪いをかけられたとしたってこの子を抱き締めに行くだろう。
この子の気持ちも良くわかる。
だからもっと頼りにして欲しかった。


「…恭弥、」


名残惜しく、唇を離す。
春風が煽り、生じた熱を奪っていく。


「もっと俺を頼りにしてくれよ」

「……」

「勝手に居なくなったり、しないでくれ」


重たくなってしまった俺の声色を、恭弥は軽く笑って切り裂いた。


「…あなたは、自信無さ過ぎ」

「嫌か、」

「嫌に決まってるでしょ」

「…すまん」

「嫌いじゃないけどね」


くすくす、笑う恭弥はとても顔色が良いとは言えなかったけれど、
俺の背後で両手を広げて1年分の美しさを振りまく大樹よりも、
ずっと綺麗で、儚くて、美しかった。


「あなたこそ、もっと僕を信用して」


居なくなったりしないよ。
掠れた声に心臓がぎゅうと痛んだ。
思わず噛んだ唇を、恭弥の指が辿々しくなぞる。
やがてその手もぱたりと地面に落ちる。
不安定な呼吸で、だけど半端に開いた目蓋の中で瞳孔は俺だけを捕らえて揺らぎもしない。
戻ろう、と抱き抱えようとすると、力無く首を振って止められた。
もう少し、と小さな声が聞こえる。もう少し、このまま、と。
恭弥は俺からぴくりとも視線を外さない。
それから、何度目かの風が吹いた頃、
恭弥が満足げに歪んだ唇を開いた。


「今、大好きなものが、一緒に見えてるんだ」


そう言って目を閉じた。
俺はありったけの愛しさを込めて、力の入らなくなった細い身体を抱き締める。
無限に思われる程に降りかかる綺麗な色をした不幸を浴びながら、
戻ろう、と言ったのにはもう返事も返ってこなかった。




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120408.



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