「これはいったいなんですか」 思わず英語の教科書の中のマイク少年みたいな事を言ってしまうくらいには異様な光景だった。 いつもの並中、いつもの時間。 1日の授業が終わった夕方の応接室で、 いつもなら涼しい顔をしてソファに居る部屋の主の頭のてっぺんを、 真っ赤なリボンが堂々と飾っていたのだから。 「知らないよ、」 でかいリボンの真下で恭弥が吠える。 釣り上がった目に睨まれたが、恥ずかしいのか頬が赤いせいで、いまいち迫力は無かった。 「僕がやったんじゃない」 「うんまぁそうだろうな」 「見てないで、外してよ」 どうやら赤いリボンは頭の飾りだけではなく、後ろ手で両手首を、ソファの脚ごと足首をぐるぐる巻いて、 恭弥はそれで身動きが取れず、不本意な格好のまま座っているらしい。 「最近の中学生の遊びって、斬新だな」 「遊びじゃないし、もう、早く取って」 恭弥が顔を動かすと、頭のリボンも釣られてひらりと動く。 こんな事を最凶の風紀委員長にしてしまえる人間なんて限られているので、 犯人なら容易に予想が付いた。 「骸も暇な奴だなぁ」 「了平も共犯。後で咬み殺す」 「お前らほんと仲良いんだな」 「良くない、断じて」 窓際の特等席に近寄って、ラッピングされた恭弥を間近で見る。 見れば首にも細いリボンがぴたりと巻かれていて、 まるで猫の首輪に見えてうっかり喉元を擽ってやりたくなった。 いつでも構ってやれるわけではない教え子が、 ただでさえ友人なんて作りたがらない性格なので、 こうして同級生と仲良くしているのは教師として素直に嬉しい。 だが同時に嫉妬を覚えるのも事実だった。 俺と居る時でも滅多に笑ってはくれないこの子は、 もしかしたら彼らの前では年相応に笑ったりするのだろうか。 同年代の友人のがもちろん心は開きやすいだろう、 自分には見せてくれない表情を、彼らには見せたりするのだろうか。 この子の事となると、途端に大人気無くなる自覚は大いにある。 もやもやした思考のまま、赤いサテンを撫でる。 「解いてよ」 「どうしよっかな」 「なにそれ」 「俺、心狭いな」 「は?」 綺麗に形作られたリボンの片足を指先で弄ぶ。 焦れる恭弥が下から睨み上げてくる、 なんでも良いから解けとでも言いたそうな顔だ。 しかしこちらも喜びと嫉妬と自己嫌悪で忙しいのだ。 解くでも無しに頭のリボンをいじくっていると、 とうとう恭弥が痺れを切らした。 「じゃあもう良いから、ちょっとこっち来て」 「こっちって、」 こっちもなにも恭弥は目の前だ。 困っていると、もっと、と凄まれる。 いったい何事かと思いながらも顔を近付けたら、 不自由な身体を目一杯動かした恭弥の唇が、ぶつかった。 そのぶつかりようはと言えばさながら事故だったが、 しかし確かに唇と唇が触れた。 恭弥からのキスに違いなかった。 「え、」 「え、じゃないよ。僕からはそんなのしか、あげれないから」 「なにが?」 「え?」 今度は恭弥が首を傾げた。 互いに違いに首を傾げて、なんとも妙な構図である。 「だって、誕生日」 心の中を、もやもやをなぎ払って喜びが走り回る。 恥ずかしいくらい顔が熱を持つのを感じた。 自分自身の年齢さえたった10年ちょっとで数えるのを放棄するような人だ、 まさか自分の誕生日を覚えていてくれただなんて。 「…覚えててくれたのか、」 「覚えてるよ、それくらい」 その上さっきよりも頬を赤くして、 消え入りそうな程小さな声で言われればもう心臓は鷲掴みだった。 「だいたいあなたのせいでこんな変な格好なんだからね」 「なんで俺のせいなんだよ」 「プレゼント、」 恭弥は少し躊躇ってから、プレゼントなにが良いかなって骸たちに相談したら、とごにょごにょ言い淀む。 まったく骸という男は本当にあほみたいな事ばかり思い付く。 だが今はそんなあほにすら、思わずありがとうを言ってしまいそうなのだ。 「もしかして悩んでくれたのか?」 「なんで僕があなたの事で悩まなきゃならないの、ただちょっと聞いてみただけ、」 「んな事しなくたって、恭弥は最初から俺のだけどな」 「勝手にあなたのにしないで」 喚く恭弥の頬にキスをする。 デコレーションされた可愛い恋人をなんだったらこのまま持ち帰ってしまいたかったが、 さすがにソファごと持ち上げるのは難しそうだ。 恭弥を拘束する両手足のリボンを解く。 しゅるしゅると音を立てて広がる長い長いリボンが床を赤く占領していく。 やっと自由になった恭弥を堪らず抱き締めた。 その頭の上では依然大きなリボンが羽根を広げていて、 だって似合い過ぎていて取ってしまうのがあまりにも勿体無い。 だからそのままリボン付きの、いつにも増して可愛らしい恭弥を愛でる。 その事に不服そうに頬を膨らかしていたが、 誕生日効果なのか、取ってしまったりはしなかった。 動くようになった両腕を、ゆるゆる、背中に回してくれた。 「なぁ恭弥」 「なに」 「プレゼントおねだりして良い?」 「…ものによる」 上目で睨まれたけれど、嫌がっている風では無かった。 「もっかいキスして」 「さっきしただろ」 「さっきは心の準備が出来てなかったから」 正直20を過ぎて、その上また新たに歳を重ねておいて、 こんな風に甘えた声を出すのは我ながら気味悪いもんだと思う。 でも目の前の子の真っ直ぐな目がゆらりと揺らぐから、 つい良いかな、と思ってしまうのだ。 こんな大人気無い顔を見せられるのは、この子だけだ。 「…しょうがないな」 そしてこのように効果覿面なので仕様が無い。 嬉しい気持ちを目一杯頬に乗せて擦り寄ったら、 こっち向いて、と恥ずかしそうに叱られた。 きっと今、地球上の誰よりも締まりの無い顔をしていると思う。 そんな俺を真正面から見据えて、 柔らかい唇が遠慮がちに触れた。 心臓で酸素がつかえて死んでしまいそうなくらい苦しい。嬉しい。 もし恭弥もこんな風ならもっと嬉しい。苦しい。苦しい程愛しい。 痛いぐらいに恋をしている。 触れ合う唇の温度が世界を支配していた。 「…ん、」 「恭弥、もっと…」 「うん…」 ちゅ、と短い音が絶え間なく続く。 触れ合うだけの唇は、だけど触れる度にどんどん心臓を蝕んでいく。 本当に、この子が好き過ぎてどうにかなってしまいそうなのだ。 「…今日くらい、」 「ん?」 もごもごとくっついたままの唇を恭弥が動かす。 前屈みがしんどくて膝立ちになった俺は恭弥よりも低い位置に頭がある。 俺を僅かに斜め上から見つめる瞳が潤んで、宝石かなにかの様に見えた。 「今日くらい、わがまま聞いてあげるよ」 「ほんとに? 1年分甘えて良い?」 「好きにしなよ。1年分甘やかしてあげる」 背中に回された腕を引いて、 恭弥は俺をぎゅうと抱き締める。 いつまで経っても容量が増えたりしないのだ。 この子が俺だけになみなみと注いでくれる愛情は、 いつも俺のキャパシティを越えてしまって、大洪水を起こしている。 なにせすぐくだらない嫉妬をしてしまうくらいには余裕が無くて、 でもその度に、そんな大人気無い嫉妬を洗い流さない勢いで、 俺の心臓が飽和するのも構わず、これでもかとときめきを流し込んでくる。 お陰でいつだって心は満たされていて、 でもやっぱりこの子の思いはすべて受け取めたくて、 もしも神様が今日という日にプレゼントをくれるなら、 俺はきっともっと大きな、海みたいな余裕が欲しいとお願いする。 この子がひっそりと、唐突に、大胆に、 俺に向けてくれる愛情を一滴残らず許容してしまえる様な。 「…なに考えてるの」 「んー?」 拗ねたみたいな声色で恭弥が俺を呼ぶ。 つん、と尖った唇に思わずくっついた。 「俺は恭弥の全部が欲しいなぁって」 「…さすがにそれは」 「今日だけ。駄目?」 首を傾けて伺えば、承諾こそしないものの否定もしない。 意地っ張りだから言葉で良いよ、などとは言えない子だ、 そんな無音の言葉を理解出来るのがささやかな自慢で、 そんな無言の優しさがなによりも大好きで、 反らされて泳いだ視線を遮ってキスをする。 いつだって、自分を愛してくれる以上に愛しく思っている。 床に散らばっていたリボンを一筋掬う。 恭弥の左手を恭しく取って、その指先にひとつずつキスを落とし、 それから真っ赤なリボンを、薬指に蝶々の形に結い留めた。 「なぁにこれ」 「いつかほんとに、俺のものにする日の予行練習」 「なぁにそれ」 呆れた物言いで、しかし恭弥は柔らかく笑う。釣られてこっちも笑顔になる。 「…今日だけだよ」 言うなり、薬指から延びる長いリボンのもう一端を引っ張り上げて、 その細い指と同じように俺の左薬指と結んで、繋げた。 急に恥ずかしくなってくる俺とは対照的にそのまま恋人繋ぎなどされてしまって、 あほ面、と笑われたけれど言い返すだけの余裕がやっぱり無い。 すっかり溺れてしまって、ぱくぱく、上下した唇を、 恭弥が意地悪げに塞いで酸素を奪っていく。 満たされた心臓が跳ねて、表面張力が崩れる。 それでも、失った分はすぐさま、この子が注ぎ足してくれるのだ。 「誕生日おめでとう、ディーノ」 真っ赤な糸が微かに揺れた。 オ ー ヴ ァ ー フ ロ ー Buon Compleanno , Dino !!!!\(^o^)/ 120204. back |