なんだか幸せそうね、と朝食を買いに出掛けた俺に、 パニーノを包みながら店主は言った。 街の住人とは大概顔見知りだが、 この店はしばしば通うお気に入りなので、 きっとこの立場が無くても顔を覚えられてるだろうなぁと思いながら、 そうかな、と返事をすると、そう見えるわよ、とトマトを一切れおまけしてくれた。 手渡された紙包みをふたつ、持つ。 礼を言って、自邸へ戻る足取りが無意識にスキップになりかけて、 あぁほんとだ、幸せそうだわ、と他人事の様に思った。 昼前の屋敷は静かだ。みんな出払っている。 部下が働いている一方で休みを貰ってしまった事を申し訳無く思いながら、 静かな廊下を抜けて、自室の扉を開ける。 ただいま、と言ったのは他ならない、この部屋に人間が居るからだ。 返事が無いのも想定内なので苦笑しながら、 二十余年も過ごしてきた自分の家で、なんだか浮き足だった気持ちになる。 歩み寄ったソファの上では恭弥が死んだ様に眠っていた。 朝食を買いに出て行く前に掛けてやった毛布はずり落ちて、 ソファの足下で毛玉みたいになっている。 今朝目を覚ましたら、だらしない事にふたりしてカーペットで雑魚寝していた。 昨日の夜の曖昧な記憶をつぎはぎしながら、 すぐ隣で眠っていた恭弥を応急処置的にソファへ寝かせたのが数十分前の事だ。 恭弥がイタリアで暮らす事になった。 ボンゴレ邸に大人しく住まうとも考えづらかったが、 聞けば案の定別にアジトを作っているらしい。 そのアジトが完成するまでのあいだ、うちに居候というわけだ。 いや居候とは余所余所しい、ここはやはり同棲と言うべきか。 ボンゴレに行かず、うちに来てくれた事がとんでもなく嬉しくて、 思わず電話まで掛けて自慢した弟分は受話器の向こうで、あぁやっぱりね、と苦笑していた。 昨日の夕方、イタリアに到着した恭弥を空港まで迎えに行って、 その足で適当な食材やらワインやらを買って、 ふたりでささやかに歓迎パーティをした。 日本酒は好んで飲む恭弥だがワインはやはり口に合わないらしく、 しかしなんだかんだでグラスは進み、2本目のボトルを開けたところまでの記憶はある(まぁ朝起きたら空のボトルは3本転がっていたのだが)。 しかし正直なもので、酔って目蓋をぱちぱちさせながら、 くたりとしなだれ掛かってきた恭弥だけはやたら鮮明に目蓋に焼き付いている。 そうだ、それででれでれしながらそのまま眠ってしまったのだ。 普段なら俺がベッドから出て行っただけで目を覚ますような子なのに、 寝顔を撫でようがキスしようがなんなら舐めようが目を覚まさない、 すっかり酔い潰れてしまったらしい。 お陰で口許は緩みっ放しだ。 可愛い。困る。困るくらい可愛い。 もう一度毛布を掛けてやって、このままソファに居させるのも良くないのでベッドに運ぼうかと、 シーツを整える為に寝室に足を向けたら、 すぐ後ろで鈍い落下音が聞こえた。 「……ぅ」 「おいおいおい」 振り返って、なんとなく予想は出来ていたが、 毛布にくるまったままの恭弥が、さっきより低い位置で呻いた。 普段の恭弥なら絶対にしないであろう失態に貴重さすら覚える。 「大丈夫かよ、しっかりしろ」 「…ん、Grazie、」 「お、」 もぞもぞと毛布から顔を上げた恭弥と目が合う。 なんだあなたかとでも言いたそうな目だ。 「お前イタリア語、勉強したのか」 「…これからイタリアに住もうとしてるんだよ」 「意外だな」 「なにあなた、全通訳してくれるの」 「はは、それは無理だわ」 落下した時に打ったらしい側頭部を撫でてやりながら、 不機嫌そうに歪んだ眉を親指で撫でる。 「どこ行くの」 「へ?」 「どこか行こうとしたろ、今」 「起きてたのか」 「ねぇどこ行くつもりだったの」 毛布から延びた折れそうに白い手首が目を引く。俺のシャツの裾を掴む。 潤んで赤らんだ目で言われてハートを撃ち抜かれた気分だ。 まだ酔いが残ってるらしい。 「どこも行かねぇよ」 「ほんと、」 「おー、ここで恭弥とねんねするかな」 「ふぅん」 もそもそと動いて擦り寄ってくる。 堪らずキスをしたらやっぱり酒臭い。 んー、といつになく唇を寄せてくるものだから、さっきからハートは蜂の巣だ。 「じゃあ、そのうち恭弥とイタリア語で喋れんのかぁ」 「それは日本語で良いでしょ」 「そりゃあ俺だって自分とこの言葉で恭弥と話してみたいさ」 「…どっかのクローム髑髏みたい、」 毛布と一体化したみたいな恭弥に覆い被さられて、 毛布おばけに取り込まれた気分になる。 「恭弥、パニーノ食べねぇ? 俺のおすすめ、」 「食べる」 「冷めちまうと美味しさ半減だしな」 「食べる」 しかし乗っかる毛布おばけは微睡んだ瞳をうとうとしている。 「…言行が一致して無ぇけど」 「わお、難しい言葉使えるんだね」 「伊達に日本人の恋人持ってるからな」 「あのね、そういう時はね、持ってない、になるんだよ」 「そうなの? 持ってるのに?」 「そうだよ」 葡萄の匂いの残る唇が口角を上げてひっついてくる。 好きにさせておいたら唇にくっついてそのまま離れなくなった。 絶対朝食なんて食う気無いだろ。 うっかり喋れなくされてしまって、その上乗っかられてるものだから身動きが取れない。 しかし全身が細胞レベルで浮かれているのがわかった、 今なら空でも飛べる気がする。 触れ合う肌からじんわり滲む熱になんだか幸せな気持ちになる。 あぁほんとだ、俺幸せだわ。 「…なぁ、このままずっと一緒に暮らさねぇ?」 合わせたままの唇を動かしたら、もごもごとくぐもった音にしかならなかった、 しかしこれだけ近い距離に居たらちゃんと伝わるとわかっていた。 考えとくよ、なんて言ったけれど、ほんとはそんなつもり更々無いのにまったくひどい奴である。 それでも恭弥は離れる素振りを見せない。 ずっとこんな可愛い姿を見せていて欲しい。 アジトなんて完成しなきゃ良いのになぁ。 これはさすがに、口には出さなかったけれど。 ま だ 君 が 落 ち て い る 部 屋 で お題お借りしました。 >>神は恋を知らない 120418. back |