微睡んでいる。 夢うつつで、それでも慣れ親しんだ温度を探してシーツの中をもぞもぞと動いたら、 その温度はわざわざ向こうからやってきて僕を包むと、 すっかり決まり事みたいになったキスをした。 「ん、」 「おはよ、恭弥」 重たい目蓋を上げると、見慣れた甘い瞳が当然の様に目の前にある。 寝起きの乾いた喉で、おはよう、と返事をした。 イタリアに来て、もう3ヶ月程が過ぎていた。 ジャズバーの仕事は帰ってこいと言われるまでは休んでいて良いだろうと思っているが、 (そもそも帰りの航空券を渡されなかったからもう永住してこいという意味かも知れない)、 そういえばなんの連絡もしていない学校はどうしようと気付いたのは今朝仕事に行くあなたを見送った後、実に3ヶ月目にしてだった。 きちんと補修を受ければ進級出来るだろうかと他人事の様に考える。だって今焦ったってどうしようも無い。 というか僕は日本に帰るのだろうか。 イタリアが住み良いかと聞かれれば、それは20年近く過ごしてきた日本には遙かに劣る。 しかしそれを差し引いてもあなたの隣は離れ難かった。 あなたは仕事で留守にする時以外は四六時中僕を構い倒してくる。 休日には観光地やショッピングに連れて行き、 夜になれば頭がおかしくなりそうな程鳴かされる。 一夜限りどころか、もう両手の指じゃ到底足りないくらいに抱き合った。 ふと、昨夜のそれを思い出して頬が熱を持つ。 変な気分を振り払う為に外出する事にした。 あの人は夕食に、なにが食べたいだろうか。 「恭弥、日本に帰れるぜ」 結局自分の食欲を優先させてハンバーグの材料を揃えていたら、 帰ってきたあなたは僕に真っ先にそう告げた。 「なんで」 あなたは3ヶ月前に僕が言った言いつけ通りに手洗いとうがいを済ませると、 あのな、とキッチンに立つ僕を後ろから抱き締めた。 「恭弥と初めて会った時にあった商談、うちの会社を日本で展開する為のだったんだ。それで俺が日本の支社を任される事になった」 っていうか俺がやるって言った、と耳元で苦笑している。 あんまり優しい声色で囁くものだから、なんだか力が抜けてしまってふりほどく事も出来ず、 身体を密着させるあなたの好きにさせる。 耳元に優しくキスをされた。 「恭弥、待たせちゃったな。俺と一緒に、日本で暮らしてくれないか」 あなたは僕が、日本での仕事も学業も半ば捨てるみたいにしてイタリアに来た事に多少なりとも罪悪感を感じているらしかった。 別に僕は好きでこっちに来たのだから、 むしろ強引に押し掛けた僕の方が謝るべきなんじゃないかと思うのだが、 あなたはいつも自分ばかり謝った。 悲しそうな顔はどんな時だってして欲しくない。 あなたが悲しい顔をしなくなるのは嬉しい。 なによりあなたと一緒に居られるのが嬉しい。 「……うん、」 頬がじんわりと熱くなるのを感じていたらあなたに顔を覗き込まれた。 咄嗟に反らしたけどあなたは嬉しそうに笑って、火照った頬にキスをした。 それから数週間後、およそ4ヶ月ぶりに日本に戻ってきた。 早朝にイタリアを発ったのに日本に着いたのも早朝で、 機内で散々眠ったのに時差のせいなのか眠たくて仕方が無い。 あなたはそんな僕をいかにも恋人の手つきで撫でるから、 心地良い感触に流されそうになりながらも、外では駄目、とだけ釘を刺した。 「雲雀さん! おかえりなさい!」 とりあえず帰国した旨を伝えようと訪れた51階で、 沢田は相変わらずの屈託の無い笑顔で僕らを出迎えた。 そうだ学校には留学してるって連絡入れときましたよ、とさらりと言われて、 最早感謝するよりも先に恐怖を感じた。 僕らの話し声に気付いたのか、奥から獄寺も出てきた。 獄寺は僕の後ろに立っていたあなたをじとりと睨み付けると、 僕の腕を掴んで部屋の隅まで引っ張った。 何事かと思いながらも大人しく着いていったら、振り向きざまに僕に耳打ちした。 「…お前、あいつに泣かされんじゃねーぞ」 「どういう事、」 「そのまんまだ馬鹿!」 どうも年上ってのは胡散臭ぇからな、と獄寺は言うだけ言って再び控え室に引っ込んだ。 実を言うと毎晩の様に鳴かされているんだがどうしたら良い、と相談する間も無かった。 「獄寺君なりの心配なんですよ、あれが」 沢田は微笑ましげに言った。 よくわからない。 ふと振り向いたらあなたもそう言いたそうな顔をしていて、吹き出しそうになった。 沢田は部屋を用意するから泊まっていけと言ってくれたが、 馬鹿高い部屋に一室でも泊まらせてもらうのは申し訳無いので、 僕は自分の家にあなたを連れていく事にした。 家に着き、部屋の明かりを点けた。4ヶ月ぶりに帰る部屋だ。 4ヶ月前とは決定的に違う。隣にあなたが居る。 「わぁ、タタミだ!」 あなたの家や沢田のホテルに比べれば可哀想なくらい狭いひとり暮らしのアパートだが、 あなたはまるで子供みたいにはしゃいでいる。 畳でごろごろと転がるあなたに思わず笑っていると、 あなたは上体を起こし胡座をかいて、僕を手招きした。 素直に腕の中に収まると、例の恋人の手つきで僕の髪を撫でた。 外じゃなきゃ良いんだろ、と言うので、なに根に持ってるの、とたしなめる。 もう何百回繰り返したかもわからないキスをする。 僕の部屋にあなたが居る事に違和感を覚えずには居られない。 「んっ……、」 やたら早急だなぁとあなたを見たら、なんだか落ち着かなさそうな顔をしていた。 「どうしたの」 「だって、恭弥の部屋だぜ?」 「だからなに」 「お前にはこのロマンがわからんのかっ」 ふざけた事を言いながらも愛撫はエスカレートするばかりで、 僕はもうすっかり我慢する事を忘れてしまった大きな声を出した。 2人してはっとして、ぶつかりそうな程近くで顔を見合わせて笑う。 「なんだよ、いつもみたいに声出して良いぜ、恭弥」 「こんな壁の薄いアパート、あなたの家と一緒にしないでくれる」 「じゃあ我慢出来ないくらい気持ち良くしてやるよ」 「あなた、近所付き合いって言葉、知ってる?」 構わず有言実行するつもりらしいあなたに、 明日からどんな顔して過ごせば良いんだと文句を言ってやりたい。 それなのにやっぱりどうしようも無く声が出る。 だって大好きなあなたに触れられているのだから。 「……ディーノ、」 「ん、なぁに」 「…っ、もう、ちょうだい……」 余裕が無いくせに意地悪く焦らすあなたを急かしたら、あなたは満足そうに笑う。 目を閉じる。音も無く近付く唇が耳元に寄せられる。 触れそうで触れないもどかしい距離に肌が疼いた。 あなたは綺麗な声で囁く。僕の大好きな低い、掠れた声だ。 毒針は、糸を引き。 「恭弥。どこに刺して欲しいか、言って」 ♪ : 蝶 / Acid Black Cherry 120106. ← | → back |