「恭、弥?」


あなたはその端正な顔を勿体無い程にぽかんとさせて、
間抜けな顔で僕を見つめた。
え、え、と混乱を隠そうともしないあなたに、
念の為、幽霊じゃないよ、とだけ言った。



ようやくあなたの混乱が治まったと思ったら、
今度はぎゅうぎゅうと抱き締められて首が絞まりかけた。
周りで不思議そうな顔をしている黒服の男たちに、
あなたは慌ててイタリア語でぺらぺらと指示を飛ばした。
辺りに居た黒服たちが、僕にはさっぱりわからなかったその指示を受けて散り散りになると、
あなたはなぜか泣きそうな顔をしながら僕を振り向いた。


「おいで、恭弥」


あなたは数週間前と変わらない温度で僕を抱き寄せた。
イタリアでは男同士が抱き合っていても不審がられないのだろうか。
さっき駅で熱烈なキスをかましていたカップルの事を思い出して、
あれに比べればましかと思っていたら熱烈なキスをされた。
さすがにそれはおかしい。



あなたが社長息子だとは聞いていたが、まるで絵本に出てくるお城の様な建物を、俺の家、と案内されればさすがに驚いた。
ぎらぎらと目映いシャンデリアの下で、
落ち着けるはずも無く、きょろきょろと部屋を見回していたら、
ティーカップを2つ持ってきたあなたが苦笑混じりに言った。


「そんなきょろきょろして、子供みてぇだな、恭弥」

「目にうるさい部屋だね」

「うるさいって、なんだよ」


僕にソファを勧めると隣に座ってきた。
テーブルに置かれたカップからミルクティが香る。


「…なんでイタリアに?」

「沢田と獄寺が、」

「ゴクデラ?」


あなたはなんの話だと首を傾げた。

恥ずかしい話だが、あなたが居なくなったあの日から、なににもやる気が起きなくなってしまった。
だらだらと日中をカーテンを開けさえせず、
学校にも行かずに過ごしている内に週末になり、
そのまま仕事にも行かずに居たら、
無断欠勤に激怒した獄寺がとうとう自宅にまで乗り込んできた。
ぎゃんぎゃんとインターホンに怒鳴っていたくせに、
玄関から現れた僕を見るなり突然静かになって、
それどころか心配する様な言葉を掛けられて申し訳無いが正直気味が悪かった。
獄寺から報告を受けた沢田は、次の日の朝、僕の元を訪れた。何故か獄寺も着いてきていた。
そして僕に封筒を差し出した。


「それがこれ」

「イタリア行きの航空券……」


僕が鞄から取り出した半券をディーノはぽかんとした顔で見た、
きっと沢田にこれを手渡された時の僕の顔と良く似ている。
本当に怖いくらい勘の良い男だと思う。
もう勘が良いとかいう次元では無く、見通されていると言った方が正しいかも知れない。
にこりと、仕事はしばらくお休みにしますから、と言った。


「ついでにあなたの会社の住所も教えてくれた」

「それでエントランスに居たのか、お前」

「あと今気付いたんだけど、帰りの分が無い」

「片道かよ」


あなたは困った様に、ツナの奴やりやがる、と笑った。

目の前にある。
どうしようも無く惹かれていった笑顔が、
どうしようも無く欲しかった笑顔が、
どうしようも無く愛しかった笑顔が、今、目の前にある。
もう二度と会えないと思っていたのに、
こんなにも近くにある。


「ディーノ、」

「…ん、」


引き寄せられる様に唇を触れ合わせる。
優しい感触に頭がぼうっとした、
やっぱりこれは毒なんだろうか。
抱き寄せられて、暖かい腕の中で溺れた。


「……ほんとは格好良く迎えに行くつもりだったんだけどなぁ」

「嘘吐きがなに言ってるの」

「……すまん、」


あなたはばつが悪そうに目蓋をぱちぱちと叩いた。


「あの日、急に呼び出されちまって。せめて恭弥が起きるまで居れたら良かったんだけど、」

「起きたら居なかったから、ショックで泣いちゃったよ」

「まじで!?」

「嘘だよ」

「っ、お前なぁ……」


少しからかっただけで驚いたり脱力したり、くるくると表情を変えるあなたについ笑ってしまう。
本当は家に戻ってから少しだけ泣いたけれど、それは内緒だ。


「……怒ってる?」

「なんで」

「俺、絶対恭弥に嫌われたと思ってた」

「嫌いになったら今ここに居ないよ」

「そうだけど、嘘吐いちまったから」

「僕も今嘘を吐いたから、これでおあいこだよ」

「恭弥、」


果たしてあなたは僕の嘘を見抜けたんだろうか。
本当に申し訳無さそうにしているあなたが可愛くて、またキスをねだった。


「仕事は大丈夫だったの」

「あぁ、問題無ぇよ」

「そう、良かったよ」

「ありがとな、」


触れるだけのキスが心地良く、合間合間に囁く様に会話する。
ふとあの甘い匂いがして、すん、と鼻を鳴らした。


「あなたの匂いだ」

「あぁ、麝香な」

「じゃこう?」

「ムスクの事」

「……なんであなたに日本語教わらなくちゃならないの、」

「はは、確かに」


あなたの部屋はやっぱりあなたの匂いがしている。
甘い匂いだ。
あなたと出会ったあの日、店のフロアに溢れていた時は不快としか思わなかった匂いに、
今はまるで、糸にでも引かれる様に、惹かれている。


「…手繰り寄せちゃった?」

「手繰り寄せられちゃった」


おうむ返しにする僕にあなたはくすりと笑ってまた口付ける。
散々に指や腕や唇で音も無く伝え合っていた思いを、
あなたは音にして囁いた。この言葉を聞くのは2回目だ。


「恭弥、好きだよ」

「……うん、」

「恭弥は?」

「…好きだよ、ディーノ、」


擽ったそうに目を細めてあなたが笑う。
笑うな、とむくれていたら、その目に怪しげな光が灯った。
ぎやりと光るそれは、51階から見渡せる電飾のどれよりもきらめき、
誘蛾灯の様に僕を惹き寄せる。
まるで獲物を待ち構える毒蜘蛛の様だと思った。


「ようこそ、愛の巣へ」


あなたはうっそりと笑うと、今度は舌を絡めてきた。
あなたになら食べられてしまっても良いかな、
毒にやられた脳でぼんやりと思う。
目を閉じてあなたの舌を受け入れた。
テーブルの上でひっそりとミルクティが冷えていく。


命かげろう うたかたの恋 今さら失うモノなどない
いけないって わかっていながら 糸を愛夜盗り
また無邪気に笑いかけて 私を無駄に喜ばせないで
なんて言えないまま また今夜も
あなたに抱かれた 明日もまた明後日も

あなたに抱かれていたい




 蝶         









111229.  |



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