幻聴かも知れないと思ったけどとりあえず携帯に手を伸ばした。 もたつく指で折り畳まれたそれを開いて、 当てずっぽうに押したキーが受話キーで良かった。 耳元に持って行く。底抜けに明るい声がした。 『よぉ恭弥。今こっちに着いたとこ。応接室か?』 あぁそういえば日本に来るとか言ってたな。 脳裏に浮かぶ笑顔に何故か泣きそうになる。 『恭弥ー、聞いてる?』 ぼんやりと応答せずに居たら苦笑混じりの声が受話口から聞こえてきた。 何か言わなければと思ったけれど、思考が纏まらない。 「家…」 『家?』 「家に居る、今…」 『…恭弥? どうした?』 訝しげな色をはらんだ声が遠くなる。 ご丁寧に携帯だけはしっかり握ったまま、 僕は意識を手放した。 目が覚めると、暗かった。 もう夜なのかと寝返りを打とうとして、 それだけの力も出ずに、目を閉じる。 寝ているのに目眩がする。 なんとか意識を繋ぎ止めようとするのに、 とうとう遠くからあの外人の声まで聞こえてきた。 あぁもう駄目かも。あの人の事考えながら死ぬなんて馬鹿みたい。 そう思って開けた目にまで見慣れた整い過ぎた顔が映ってうんざりした。 「恭弥、」 「…?」 額にひやりと冷たい物が当てられた。 金髪が近付く。頬に掛かってくすぐったい。 「ディーノ…?」 そこで幻覚じゃないと気付いた。 「大丈夫か?」 甘い色の目を不安でいっぱいにして覗き込んできたから、 なんだか悪い事をしている気分になる。 「…ここ、どこ」 「ホテル。わりぃ、お前突然返事しなくなったから、草壁にお前ん家教えて貰って、連れてきた」 「そう…」 額に乗せられていた濡れタオルがどかされて、 代わりにディーノの大きい手のひらが当てられた。 「すげぇ熱じゃねぇか」 「そうかも、」 「そうかもって…」 タオルが元通りにされる。 冷たいそれは気持ち良かったけれど、ディーノの手が離れるのは名残惜しかった。 「お前、家族は?」 「…居ない、」 「居ない?」 「居ない」 …あ、やばい、朦朧としてきた。 ディーノは何か言いたそうだったけれど、 結局何も言わずに頬を撫でてきた。 戻ってきた手のひらに擦り寄る。 そうすると不思議と、苦しくて堪らない呼吸が楽になった気がした。 「…恭弥、今度からは俺呼べよ」 「うん、」 「俺はお前の味方だからな。かてきょーで、恋人で、未来の旦那なんだからな」 「うん、」 「お前はなんでもかんでも、ひとりでなんとかしようとするから、」 「うん、」 「俺にだったら頼ってくれて、頼りまくってくれたって、良いんだからな」 「…あなた、泣いてるの?」 ぼんやり見上げた先に居るディーノは目を潤ませて鼻を真っ赤にして、 そう指摘したら慌てた様子でそっぽを向いた。 「ばっ…か! 泣くわけねぇだろ!」 あぁそんな、袖で乱暴にごしごし擦ったら、ほら余計赤くなってるじゃないか。 そうしながらもう、涙はぼろぼろと溢れ出ていた。 「…大丈夫?」 「俺が、お前を、心配してんだよ。なんでお前に、心配されてんだ」 それは僕も知りたい。 「ディーノ、泣かないで」 「泣いてねぇって」 「びっくりするくらい、嘘だね」 「…お前が、お前が心配なんだよ、俺は」 「僕が?」 「お前は痛くても痛いって言わねぇし、苦しくても苦しいって言わねぇし。誰にも、俺にも頼らねぇし。俺は、そんなに頼りねぇ?」 もうしゃくりあげてるじゃないか。 僕を心配してるなら、 僕に心配される様な事はしないでよ。 そうは思ったけど、目の前の人は余りにも愛おし過ぎた。 僕の為に泣くのなんて、あなたくらいだ。 「ディーノ…治すから」 「え?」 「風邪、治すから。心配掛けないから、ちゃんとあなたの事、頼るから」 「うん…」 「だから、泣かないで。僕よりも僕の為に、泣かないでよ」 「分かった。分かったから…あ、あんま見んなよ」 あなたの顔は、泣いたのと擦ったのと恥ずかしがるのとでもう、これ以上無いくらい真っ赤だ。 僕は子供みたいなその頬を意地悪く見つめたまま、あなたの手を引く。 あなたは不思議そうにしてたけど、拒まず居てくれたから、その手は僕の思惑通り、僕の頬に辿り着いた。 涙に濡れた手は生温くぺたりと張り付いて、 とても気持ち良くは無かったけれど、 何故だかさっきよりずっと心地良い。 そのせいなのか、先程とは打って変わって、 意識はどんどん混濁していく。 「あなたは、頼りなくなんか、無いよ」 「恭弥?」 あれ、僕なに言ってるんだろ。 「僕は、あなたしか、知らないんだから…」 微睡む唇はそれ以上は動けず、かろうじて瞬いた瞳が、 あなたの涙でぐちゃぐちゃの笑顔を映した。 あぁ、やっと笑ったね、あなた。 あなたの両手が僕の両頬を包む。 手放し難いその温もりに、 僕はもう信頼を通り越して、 依存すらしている事に、 あなたはまだ、気付かない。 君 依 存 。 110822. back |