1ヶ月振りに会う恋人は酷く不機嫌そうだった。
俺の滞在するホテルに初めて自ら出向いてくれた事に感激するあまり、
溢れる愛しさに身を任せ、駆け寄って力一杯に抱きしめてから、
しまったご機嫌斜めじゃ殴られるかも、と一瞬思ったけれど、
腕の中の人は得意のトンファー裁きはおろかこれっぽっちの反抗もしないで、
それどころか上目遣いに頬染めのオプションまで付けてこちらを潤んだ瞳で見つめていた。


「…なんで迎えに来ないの」


拗ねた様な顔でぽつりとこぼした可愛い言葉に苦笑混じりに答える。


「前の来日の時、お前が来るなって言ったんじゃねぇか」

「言ってない」

「言った」


言った。その証拠に、透き通った見透かせない黒曜石の瞳が泳いだ。
可愛い。可愛い。意地を張って、そんな風に頬を染めて。本当に可愛い。
思い切りぎゅうと抱きしめたら、苦しいのか、心地良いのか、両方なのか、
猫みたいに目を細めて胸にうずくまってきた。


「言ってないよ」

まだ言うのか。

「じゃあ俺の勘違いかもな」

折れる事にした。

「次来なかったらぐちゃぐちゃにするよ」

理不尽な恋人。

「悪かった、もう恭弥を寂しがらせたりしねぇよ」

可愛い恋人。


仲直り、と言う意味で瞳を覗き込んで、
閉じられた瞼を了承と受け取って、
薄紅色の綺麗な唇に口付ける。
舌を入れたらすごい勢いで押し返されて吃驚した。
それからちょっと、いや、かなりへこんだ。


「きょ、恭弥…?」

「あなた、コーヒー飲んだ?」

「あぁ、さっき」


後ろの机の上のカップを指さすと、もう恭弥の顔は不機嫌に支配されていた。


「苦手だったか、コーヒー」

「やだ。嫌い」

「悪ぃ、お前がそんなコーヒー嫌いだなんて、知らなかったよ」

「もうあなたとはキスしない」

「は?」

「コーヒーなんて飲むあなたとはキスしないって言ったんだ」

「待て待て待てって、そりゃないだろ恭弥」

「やだったらやだ。コーヒーが好きならあなたも嫌い」

「分かったから、もう金輪際コーヒーなんて飲まねぇから」


なんで浮気がばれた時みたいな言い訳をしているのだろうか。
仲直りのキスが新たな喧嘩の種になるだなんて、
いつもこの子の機嫌を取る必殺技が原因になろうとは皮肉な話だ。

なんとか傾ききった機嫌を水平に戻して、
でも結局それから1週間はキスをさせて貰えなかった覚えがある。




1ヶ月振りに会う恋人は酷く機嫌が良かった。
ボンゴレに出向いたついでと頑なに言い張ってキャバッローネ邸にやってきた恭弥は、
執務机の豪奢な一人掛けのソファに座る俺の膝に乗り上げて、
不敵で、あまりにも美し過ぎる笑みを俺に向けた。
左手を俺の頬に当てて、右手で俺の首筋の刺青を官能的に撫でる。
艶やかな黒曜石で見下ろしてそんな事をされれば、
こっちだって大人しくしていられない。


「ディーノ、」


呼ぶ声は掠れて情欲にまみれて、浮かべた笑みが消えると少しずつ余裕も無くなっていく。
いつからこんなに色っぽくなったのか、苦笑混じりに応える。


「何だよ」

「ひと月振りに会って、何だよ、じゃないでしょ」

「言ってくれなきゃ、分かんねぇぜ?」

「…ねぇ…してよ、」


言った。10年前だったら絶対に言えなかっただろう言葉だ。
可愛い。可愛い。いじらしく、そんな風に瞳を潤ませて。本当に可愛い。


「素直で良い子だ、恭弥」

「ふ…、」


待ち望んだ官能の幕開け。
耳元で囁くと細い身体が身じろいで、待ちきれないとばかりにキスをされた。
薄紅色の綺麗な唇と口付ける。
舌を入れられついすごい勢いで押し返してしまった。
恭弥はちょっと、いや、かなり不審がっていた。


「なに、どうしたの」

「…恭弥、コーヒー飲んだ?」

「あぁ、さっき」


思い出す様な顔で、ボンゴレアジトで、と付け足す。


「苦手じゃなかったか、コーヒー」

「いや。別に」

「嘘だ、お前10年前、コーヒーなんて大っ嫌いだって言ってたじゃねえか」

「言ってない」

「言った」


言った。絶対言った。
俺が今コーヒーを飲めないのはすべて10年前のお前の言葉が原因だ。
あの日からしばらくの間、右腕が薫り高いコーヒーを淹れる度に、
俺の心臓はびくりと跳ねて、またあの愛しい子に拒絶されるのではと気が気で無かったのだ。
結局俺は恭弥の思惑通りにコーヒー断ちし、
それどころか立派なアンチコーヒー派にまで生まれ変わってしまったのだ。
覚えが無いとは言わせない。


「言ってないよ」

言ったって。

「じゃあなんで俺が、コーヒー飲まなくなったと思う?」

納得がいかない。

「知らないよそんなの」

理不尽な恋人。

「絶対。絶対、言った」

最早色気もくそも無い恋人。


「コーヒーなんて飲む俺とはキスしないって言ったんだ」

「待って、そんなわけ無いだろ」

「言ったったら言った。コーヒーが好きなら俺の事嫌いとも言った」

「おかしな事言わないで、馬鹿じゃないの」


なんで俺が悪いみたいになっているのだろうか。
10年間の味覚の移り変わりが新たな喧嘩の種になるだなんて、
いつも互いの機嫌を取る必殺技が使えないとは厄介な話だ。

珍しく折れない俺に恭弥は少し驚いている様でもあった。
それもそうだろう。正直この子との喧嘩でここまでむきになった事など無い。
しかし今回ばかりは俺が悪かったなどとは言えない、
こちらからすれば軽いPTSDなのだから。
何より本人に全く覚えが無さそうなのがたち悪い。


恭弥は息を付くと、俺の目をじっと見つめてきた。
切れ長の宝石を涼やかに細めて、薄い唇をつんと歪ませて、目尻をしゅんと赤くして。
頬染めのオプションまで付けてこちらを潤んだ瞳で見つめてきた。


「じゃあなに、もう金輪際僕とはキスしないつもり」


拗ねた様な顔でぽつりとこぼした可愛い文句に固まる。
そ。


「そんなわけない」


そんな顔で言われたら、折れるしかないじゃないか。
考えるより先に膨れ面の恋人を抱きしめた。


「そんなわけない。そんなの無理。死ぬ」

「僕とキス出来なくなったら死ぬでしょ」

「あぁ、恭弥不足で死ぬ。耐えられねぇ」

「じゃあコーヒーと僕、どっちをとるの」

「そんなの」


…あぁ、俺ってほんと甘いよなぁ。
返事は合わせた唇の中でした。
トラウマ味の恭弥の口内に侵入する。
10年振りに思い出した味が、恋人の甘さと混じる。
わざとらしく唾液を送り込んでくる事には文句のひとつくらい言っても良いだろうか。
長い長い口付けの後で、恭弥は俺を見て微笑んだ。


「じゃあ僕が、あなたのトラウマを克服させてあげる」


いやだからお前のせいなんだって。




 ト ラ ウ マ キ ッ ス         









15はコーヒー嫌いそうだけど、
25はブラックが似合う不思議。









110822.



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