空調の行き届いた取引先のビルから一歩外に踏み出した途端、身震いした。
まだ秋すら来ていないってのにまるで冬みたいだ。
昼間の気温に合わせて上着を持って来なかったから、
慌てて捲っていた袖を下ろし、腕に冷たい風が纏わりつくのを防ぐ。
道を行き交う女子高生の剥き出しの素肌なんて見ている方が寒々しい。
彼女たちとじゃれる様に数人の男子生徒が駆けていく。
真っ黒い制服の後ろ姿を見送る。

あぁやっぱり学ランを、あんなに綺麗に靡かせるのは、あの子しか居ない。




「明日、」


はやる気持ちがつい口に出た。
自分ひとりだけのだだっ広い部屋に、響く事も無く消える。
ホテルの寝室、間接照明と窓からの夜景を光源に、カレンダーの日付を愛おしくなぞる。
時刻はもうすぐ深夜0時、日付が変わろうとしていた。
もしかしたらあの子は覚えてなんていないかも知れない、
自分の誕生日すらあやふやな子なのだから。
でもそれならあの子が忘れるその度に、
俺が思い出させてあげれば良い。
平日色の14の文字をもう一度なぞり、橙色の照明を落とした。
ベッドに潜り込む。ふたりでも広いのだから、ひとりだとそれはもう広い。
この街に居ながら、あの子と過ごさない夜なんて、随分久しぶりだった。
目蓋を閉じる。知らず、いつかの明日が思い浮かんだ。
あの日は確か、晴れ渡った青い空が目映い、秋らしい日だった。




1日の授業の終わりを告げるチャイムを聞きながら、並中の廊下を歩く。
擦れ違う生徒たちに不思議そうな視線を向けられながら、
その視線に応えたり応えなかったり、とにかく意識だけは応接室へ一直線に延ばした。
辿り着いたスライド式のドアの前で、ひとつ息を吐く。
あの時は躊躇い無くドアを開けたな、
そしてあれから一度だって、この扉を開けるのに躊躇した事なんて無い。
だってこの向こうに居るのは誰より愛しいあの子なのだから、
迷っている暇があるなら一秒だって早く会いたいじゃないか。
扉に手を掛けて、もう一度深呼吸した。
俺なんで緊張してんだろ。
指先に少し力を込めただけで、扉は軽い音を立てて滑った。


「部外者は立ち入り禁止だって、何度言えばわかるの」


ドアを開けた途端に言われた。
俺はまだ部屋の中の様子を見ていないどころか、
扉を明け切ってもいないのに。
顔を上げたけど、ソファで足を組む彼の顔は逆光でまるで見えなかった。
でもわかる。彼が誰であるのか、今は確認なんてしなくても、わかる。


「雲雀恭弥」

「なに」

「いや、」


そんな真面目な口調で返されても困る、
苦笑していたら、どうやら彼の気に障った様だ。


「戦いなよ」


立ち上がり、腕を振ると、折り畳まれていたトンファーが鋭利な音を立てて延びた。
あぁなんにも変わってない。


「待てって恭弥、今日はそんな戦う気分じゃねぇんだ」

「…いつもの群れは一緒じゃないの?」

「あ? あいつらなら今日は留守番してるぜ。なんで?」

「じゃあ、良いや」


つまらなさそうに呟くとトンファーをソファに放り投げた。
なんだか良く分からないが戦意を失ってくれたらしい(珍しい、本当に)。
ソファに腰掛けた彼を少し離れたところから見下ろす。


「なんだよ、あいつらに会いたかったのか? 嫉妬しちゃうぜ?」

「そんな事言ってない。弱いあなたには興味無いって事だよ」

「弱いって失礼だな、俺はお前のかてきょーだぞ」

「そっちが勝手に決めた事だろ」

「…なぁ恭弥。今日なんの日か知ってるか?」


恭弥が少し顔を上げてこっちを見た。
依然、その表情は見えないままだ。


「知らない」


案の定の答えにうっかり笑いそうになる。
抱き締めてしまいたい気持ちで一杯だ。
果たしていつかの今の自分は、目の前の子にこんな感情を持つ事になると知っていただろうか。


「俺が恭弥の先生になった日。俺と恭弥が、運命の出会いをした日だ」

「ふぅん」


目一杯格好付けて言ったのだが、
全く興味の無さそうな声色で返されて、苦笑するしかない。


「どうでも良さそうだな」

「どうでも良いね」

「まぁ、俺と恭弥が出会えた事実に変わりは無ぇからな」

「…だったら、」

「いや、だからこそ」


その時秋風がカーテンを揺らし、逆光が遮られた。
一目見た時から変わらない、壊れ物の様に綺麗な子供の顔とようやく目があった。


「だからこそ、一緒に居たい」

「なにそれ」


恭弥の声に不機嫌さが滲んだ。
恭弥は再び立ち上がると、俺との僅かな距離を一気に縮めた。
目の前に剣呑な瞳がある。
初めは少し近付いただけでトンファーの餌食にされていたのに、
いつの間に恭弥自ら、俺を彼の領域内に招き入れる様な真似をするようになったのか。
俺はこの子の縄張りに入る事を許されたのだろうか。
感慨に耽っていたら頬を思い切り抓られて、現実に引き戻された。


「いだだだだだ」

「その言い方、まるで今日さえ会っとけば良い、みたいに聞こえる」

「な、そんなわけっ、」

「僕は記念日とかそんなのどうだって良い。そうやって祭り上げる奴に限って毎日を無駄にしてる」


痛みで冴えた脳に、恭弥の言葉は滑る様に入ってくる。


「ほんとに運命の出会いだって言うなら、毎日一緒に居るべきだ」

「恭弥」

「でも僕はこの街の風紀を守るので忙しいから、だから、いつかあなたがこの街に越してくるまでは、我慢してあげる」


ふん、と鼻を鳴らした恭弥は仕上げとばかりに指先を90度回してから、音を立ててソファに座り込んだ。
痛みといえばとんでもなかったが、
それよりもプロポーズ級の告白にすっかり呆けていた。


「恭弥、こっち向いて」

「…やだ」

「なぁ恭弥、キスさせて」

「やだ、って」


ソファに乗り上げてそっぽを向いている顎を取り、こちらを向かせる。
薄暗い部屋の中でも分かる程、白い頬は真っ赤になっていた。


「恭弥、真っ赤」

「うるさいよ」

「自分で言っといて、恥ずかしくなっちゃった?」

「うるさいって言って、…っ」


可愛くない事ばかり言う唇を塞ぐ。
照れて目を潤ませてしおらしくなってしまえば恐ろしい程可愛いのだから。
半ば押し倒す様にしながら口付ける。
叶うならずっとこの甘い唇を啄んでいたい。


「いつか絶対、お前をイタリアに連れてく。そしたら毎日一緒な?」

「違う、あなたが並盛に来るんだよ。僕はイタリアなんて行かない」

「毎日一緒なんてわくわくすんな」

「人の話聞きなよ」


不服そうに唇を尖らせたのをキスしてって意味かと思って舐め上げたら、
調子に乗り過ぎ、と髪を引っ張られた。
それでも口付けを深くすればするだけ見る見る力は抜けていって、
最早縋るみたいに髪を掴む子が堪らなく愛おしい。


「恭弥、この後のご予定は?」

「委員会があるって言ったら?」

「終わるまで待ってる」

「朝まで街の見回りって言ったら?」

「大人としてついてく」

「…ほんとはあなたが1番取り締まらなくちゃいけない人かも知れないよね」


ぽつりとこぼした後に、試す様に俺を上目で見た。
なんて恐ろしい子だろうか、背筋はぞくりとしたけれど、
反して体温は急激に上がった様に感じた。


「…取り締まってみろよ」


熱っぽい瞳がらんと輝いて、
恭弥が俺の頬を両手で捕らえた。
誰も知らなかった恭弥の顔。
俺しか知らない恭弥の顔だ。


「良いよ、朝までかけて、咬み殺してあげる」


まるで新しいおもちゃを見つけた子供みたいな目。
初めてこの子と出会った時の目。
その美しく凶悪な笑みが俺にだけ注がれる。

あぁなんにも変わってない。
この人は、俺の愛した雲雀恭弥だ。




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少なくとも1年は経ってるはずなのにナチュラルに中学生なのは、
雲雀クオリティという事でひとつ。
2人とも、出会ってくれてありがとうおめでとう!









111014.



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