だだっ広いホテルのリビングで、ソファに座って待ちぼうけ。 待ち人は仕事だとかで、ここから少し離れたビル街に行ってしまって、まだ帰っては来ない。 学校からまっすぐここにやって来て、 預かっていたスペアキーで室内に踏み込んだら、 ローテーブルに下手くそな、日本語っぽい言語の置き手紙があった。 そこには突然仕事が入った旨と、ひたすら「ごめん」っぽい字が書き綴られていた、 (あの人はほんとに「ん」の字が苦手だ)。 それを見つけてすぐは苛立ちとむかつきで、 帰ってきたらぶん殴ってやろうと思っていたのに、 1時間、2時間と過ぎる内に、それは違う感情に変わっていた。 胸の中がもやもやして、なにかが足りない様な感覚。 その足りないなにかは間違い無くディーノが持っていて、 というかディーノそのもので、 とにかくディーノに会いたくて仕方が無くなった。 でも仕事中の携帯電話に電源が入ってるはずが無くて、 ディーノがテーブルに残していった覚束無い日本語達すら愛おしくなってくる。 メールの受信履歴を眺めて今まさに言葉を投げ掛けられてる気持ちになってみたけど虚しいだけで、 落ち着かず、部屋を見回して、ディーノが日本での毎日を過ごす空間をぼんやり見つめた。 壁に掛かるハンガーから抜け出し、主と一緒に外出中のスーツに良く分からない嫉妬をする、 この僕を差し置いてあの人にくっついて、今も一緒に居るだなんて。 ソファから立ち上がり、少しでもディーノを感じられる何かを探して部屋を歩き回る。 もしもいやらしい本でも見つけたら叱ってやろう、 その分いやらしい事を今日はいっぱいして貰おう。 ふと鏡台の上に置かれた透明の小瓶に目を留めた。 あの人の香水。あの人が纏っている匂い。 この僕を差し置いてあの人のお気に入りで、いつも付き纏っているなんて、 香水相手にまた良く分からない嫉妬をするくらいには、虚しさは限界だった。 キャップを外したら、仄かに香りが立ち昇って鼻腔を擽る。 まるで肌を透き通って染み込んでくる様な、 間違いなくいつもディーノからする匂いだ。 特に何も考えていなかった、ただなんとなく手の甲に一吹きしてみた。 ぷし、と小さな音を立てて、しかし香りはぶわりと大きく舞い上がった。 ディーノの匂い。僕に触れる、甘い色の肌から香る、僕を煽る、官能的な匂い。 途端に身体が変な感じになった。 なんだかそわそわして、皮膚が体温を求めている。 全身が疼いて、濡れて、熱を持って、どうすれば良いか分からない。 あぁしまった、下手な事をするんじゃなかった。 慌てて香水瓶を元に戻したところでなにかが変わるわけが無く、 洗面所で洗い流そうとすればする程、匂いは舞い上がる一方で、 どうしようも無くリビングに戻って、大人しく元居たソファに座る。 でもどうしても左手の甲から漂う香りが気になって、気になって仕方が無くて、 身体中の熱という熱がどんどん身体の中心に集まってきていて、 もうこうなったら自分でなんとかするしかないと覚悟を決めて、 寝室に向かう扉を開けようとしたら、 それは向こうから独りでに、開いた。 「…恭弥ッ! 悪ぃ、突然仕事入っちまって! すっげぇ待たせたよな、ごめん!」 自動ドアの正体は、待ち焦がれた愛しい人は、姿を現すなり、 息を切らしながら早口でわーわーと喋り出した。 単語と単語の間に「ごめん」を挟みながら、 折角来てくれたのに待たせちまって、と困った様な顔をしていた。 …ほんとだよ。ほんと、こんな、こんなにさせて。どうしてくれるの。 「…あれ、恭弥? お前、俺の香水ふった?」 誰かさんがいつまで経っても帰ってこないからね、ふと思い立ってね、 そしたら飛んだ目に遭ったよ。遭ってるんだよ。なんとかしてよ。 なんでか涙目になってしまって、 それを押し隠そうと俯いたら、 ひたすら眉を下げたディーノがしゃがんで覗き込んできた。 なんで隠してんのに見るんだよ馬鹿。 「ごめん、ごめんって、泣かないで…恭弥ぁ…」 あなたまで泣きそうにならないでよ。 あなたはただ僕の身体を元に戻してくれればそれで良いんだよ。 しゃがみ込んで、ぎゅうとディーノに抱きついた。 首筋に顔を埋めると、汗の混じった、左手と同じ匂いがした。 あぁディーノの匂いだ。 触れ合う皮膚、そこから伝わる体温、鼓動、あなたの匂い、 一層濡れる身体、呆けてないで、早く、 「 な ん と か し て よ 、 」 111205. back |