緑たなびく並盛の、大なく小なく並が良い。 おはよう、恭弥。 …うん。 それが僕の1日の始まる合図だ。 7 時 間 先 を 生 き る 人 『いつもどんな気分なの』 「あ?」 『1日の仕事を終わらせて、へとへとで、辺りが真っ暗闇で、それでおはようって言うの』 「そんな事言ったら、お前だって」 恭弥が学校へ向かう準備をする音が小さく聞こえる。 俺らのあいだに存在する7時間が壁の様に目に見えるものだったなら、 そんなもの俺が全身全霊ぶっ壊してやるのに。 7時間の分厚い壊せない壁の向こうに居る恭弥の本日の朝食はトーストらしい、 ちん、とトースターが高い音を立てた。 「むしろお前のが気分悪くねぇ? 俺は今から寝るのに、お前は学校行かなきゃならないんだぜ?」 『僕は学校が好きだから平気だよ』 「おー、そうだったそうだった」 恭弥がトーストをかじる。7時間先の世界で。 俺らの7時間差を繋ぐ唯一の電話回線から、 機械処理を施された恭弥の声がする。 この距離にもすっかり慣れてしまったのだ。 『僕は、平気だよ』 「…そっか」 恭弥はもう一度そう言った。なにに対しての平気なのか、それは言わなかったけれど。 寂しい思いをさせているのではと、気が気でないのだ俺は。 本当に利口で、優しくて、愛しい人だ。 「恭弥、まだ詳しくはわかんねぇけど、ナターレには間に合うようにそっちに行くつもりだから」 『そう』 「おぅ、だからクリスマス、予定空けといてな」 ほぼ無意識に片目を瞑ったら、 恭弥が呆れた様に、ふん、と鼻を鳴らす。 なんでばれたんだ、と苦笑する。 『…予定入れちゃおうかな』 「え」 『赤ん坊と戦いながら迎えるクリスマスも悪くないかも』 「おいおい、ちょっと」 『嫌なら、早くおいでよ』 お前なぁ、思わず溜息を吐く。 でも受話機の向こうで笑う恭弥に、釣られて俺も口元が緩む。 愛してるよ、それがこの頃口癖みたいになってきている。 最近の恭弥はそれに、はいはい、と適当な返事をする。 ぞんざい過ぎる照れ隠しが可愛い。 それでまた俺は愛の告白をしてしまう。 かちゃんと鍵の掛かる音が聞こえた。 恭弥はそろそろ登校の時間だ。 俺が電話を掛けて恭弥を起こす、 それから恭弥が家を出るまでのあいだ、7時間を埋める甘い電話回線は繋がれる。 電話片手の準備は大変だろうと思ったが、 恭弥曰くもう慣れてしまったそうだ、 本当に利口で、優しくて、愛しい人だ。 「忘れ物無いか?」 『無いよ。舐めるな』 「はは、悪ぃ」 バイクのエンジンが掛かる。 低い振動音をバックに、恭弥の声が聞こえる。 『早く来なよ』 「おー、頑張る」 『僕の為なら頑張れるでしょ』 「良く知ってんな」 『あなたの事ならね』 ふふ、と恭弥は笑う。 「じゃあ恭弥、俺がもっと頑張れる言葉も知ってる?」 『知ってるけど、言わない』 「なんでだよ、」 『…今日はもう寝るって、約束出来るなら』 心臓が止まりそうな程ときめいた。 俺の体調を気に掛けてくれる恭弥にうっかり涙が出そうになって、 うんうんと恥ずかしげも無くすごい勢いで頷く、 向こうには見えてないのだとかそんな事はすっかり頭に無かった。 それなのにまるで目の前で俺を見てるかの様に小さく笑った恭弥が、 受話口に向かって俺の口癖を、そっと囁いた。 胸に溢れる愛しさと同じものを、 7時間先の世界で恭弥も持っている。 このこそばゆい感覚を昇華する為に、 俺は壊せない7時間の壁を飛び越える、 そうして恭弥に会いに行く。 互いの愛しいを重ね合わせて、 もっと互いの事を好きになる。 このどうしようも無くささやかな仕合わせが、 俺にはどうしようも無い程、幸せだ。 おやすみ、ディーノ。 行ってらっしゃい、恭弥。愛してるぜ。 はいはい。 それが俺の1日の終わる合図だ。 7 時 間 を 越 え る 人 111218. back |