迷ったんだよ、と正直に言えば、 ディーノは堪えるみたいにちょっとだけにやっとした。 「迷ったんだ、」 「…なんで嬉しそうなの」 「俺の為に迷ってくれたんだろ?」 言いながらディーノは、声にまで嬉しそうなのを滲ませて後ろから抱きついてきた。 片手に熱湯の入ったティーポットを持っていた僕は内心焦ったのだが、 振り払ってもその拍子に湯がこぼれかねないので下手に動かない事にした。 「好き嫌いの無いあなたが悪い」 「ん?」 「嫌いな食べ物が無いのは良いけど、特別好きなものが無いっていうのは良くない。困る」 だから迷ったんだ、と今更な弁明を口にしながら温めたカップにポットを傾けた。 綺麗な赤色のダージリンをふたつの揃いのカップに均等に注ぐ。 「…俺、好き嫌い無くて怒られたの生まれて初めてだわ」 「22年生きてきて?」 「そう、23年目にして」 くっくと笑うと、相変わらず背中にひっついているディーノの動きが直接伝わってきて、僕まで笑っている感覚になる。 「参考までに聞くけど、なにケーキが1番好きなの?」 湯気の立つ紅茶が準備出来たところで、いよいよメインの品を出す。 光沢のある化粧箱の中からホールのショートケーキを取り出して、真っ白いデザートプレートに乗せる。 左耳の後ろ辺りで、今日またひとつ歳を取ったディーノはなんだか楽しそうだ。 僕が蝋燭を刺していくのを眺めて目を細める。 「…やっぱショートケーキは好きだぜ。王道な感じで」 「じゃあチョコレートケーキは邪道なの」 「や、チョコケーキも好き。うん、でもモンブランもミルフィーユも捨てがたい」 「…やっぱり決められないんじゃないか、」 どうせレアチーズもザッハトルテもフルーツタルトもみんな等しく平等に好きとか言うんだろ。 ディーノの上着のポケットに手を突っ込んでジッポを拝借する。 さすがに22本も蝋燭を立ててはせっかくのケーキが穴だらけになってしまうので、6本だけ刺した。 2足す4で6本だ。 「電気消す?」 「や、良いぜもう、そんな誕生日ではしゃぐ歳でもねぇし」 6本の蝋燭の先に火を灯す。 ディーノは僕の背後から少しだけずれて、左隣にぴたりと寄り添った。 深い考えがあったわけじゃなかったけれど、ただなんとなく、すぐ近くに頬があったのでキスしてやった。 「誕生日、おめでとう」 「ん、ありがと」 ディーノは照れ臭そうに僕の頬に返事をした。 蝋燭の火を二息目で消して、またちょっと困ったような笑顔で口をもごもごさせる。 誕生日なんかではしゃぐ歳じゃないとか言いながら、どうしても嬉しそうな顔をしている。 「とにかく、優柔不断は良くないと思うから、それを治すのが今年の課題だね」 「あれ、まだその話?」 「マフィアのボスが1番も決められないんじゃあ、格好もつかないだろ」 「俺の1番は恭弥だぜ」 「ケーキの話だよ」 「マフィアのボスが好きなケーキの選択迫られる事態なんて無ぇよ」 ディーノはとうとう声を上げて笑った。 別に今はケーキの話をしてるってだけで、きっと他の事でだってうまい事はぐらかして1番を決めないくせに。 「優柔不断な人は嫌いだよ」 「あれ、俺の事嫌いって言った?」 「さっきまでは好きだったよ」 「じゃあもう今は嫌い?」 「……どっちかって言ったら、好きだよ」 「おー良かったー、俺も好きだぜ恭弥」 抱き留められて、顔中にキスをされても心地良く思ってしまうから、 やっぱり僕はこの人が好きなんだろうなぁと思う。 迷ったんだよ。ショートケーキにするか、チョコレートケーキにするか、それとももっと別のなにかにするか。 きっとなにを選んだとしてもあなたは喜んでくれるだろうから余計に悩ましくって、 だけどどうせならやっぱり、とびきり1番の笑顔で喜んで欲しい。 パティスリーのショーウィンドウの前に居た時にはそれはもう深刻な悩みだったのに、 今となってはなんとも幸せな杞憂だったようだ。 ぎゅうぎゅうと抱き込まれながら、来年はチョコレートケーキにしようか、と思った。 その次はモンブラン、そのまた次はミルフィーユにしよう。 どうせこの先ずっと一緒に歳を取っていくのだから、毎年ちょっとずつ違った笑顔を見るのも悪くない。 蝋燭の独特のにおいがする。決して好ましいにおいじゃないけれど、今日が特別な日だと思わせてくれる。 「はい、どうぞ」 「ん、grazie」 フォークを差し出せば、最近になってよく聞くようになった異国の返事がした。 付き合いの浅かったうちは流暢な日本語でばかり話していたけれど、 無意識の習慣を晒すように、他愛の無い手癖を見せるように、 ディーノは次第に母国の言葉を僕との会話の中でも使うようになった。 理解出来る言葉の方が圧倒的に少ないのに、 何故か優越感に似たものを感じたりする。 この人の使ってきた言葉は妙に耳触りが良いから、 なにを言ってるのかわからないくせに、けっこう好きだ。 「あれ、恭弥、ナイフは無ぇの?」 「あぁ、ふたり用のケーキだし、突っつけば良いかなと思って。切った方が良いなら持ってくるけど、」 「いや、なぁ恭弥、ケーキ入刀しようぜ」 キッチンに向かおうと立ち上がりかけたけれど、 その言葉を聞いて、あたかも聞かなかった顔をして、再び席に着いた。 なんだよー、と恨めしそうな目でディーノは声を上げる。 手にしたフォークの柄で机を叩いていたので、行儀が悪い、と止めさせた。 「だってさ、せっかくケーキがあって、目の前には恋人が居て、あぁだったらってなるだろ普通」 「誕生日と結婚式を混同する人なんて初めて見たよ」 「そういう事じゃなくてだな。どうせケーキ切るんなら、ひとりよりふたりでやった方が楽しいだろ?」 「…楽しくはないと思うけど」 「あーわかった特別感! そうそれが言いたかった!!」 「はぁ、」 結局、よくわからない理屈に丸め込まれたふりをしてキッチンからナイフを持ってきた、 誕生日なのだ、この程度のわがままぐらい聞いてやろうという気になった。 蛍光灯を反射して鈍く光る、普段使い用のなんの変哲も無いナイフをふたりして握る。 大して長くもないそれはふたりで持つには少々窮屈で、 僕らの手は半ば折り重なるようにそれに沿えられていた。 「えー、健やかなる時も病める時も、これを愛し…うやまい? なんだっけ続き、」 「誓いの言葉は式でやる事だろ。ケーキ入刀の掛け声じゃないよ」 「なぁ恭弥、うやまいってどういう意味?」 「敬い、だよ。発音がおかしい、」 くだらない言葉を交わしながら、ショートケーキにナイフを入れる。 真っ白く丁寧に塗りたくられたクリームの膜を鋭利なナイフは容易く裂いた。 一種の芸術品くらい綺麗に完成されていたホールケーキを傷物にして、 ふたりしてやたら感心しながらナイフを置いた。 「…なんか、ケーキって儚いな」 「敬うは知らないのに、儚いの意味は知ってるんだ」 「どうだすげぇだろ」 「はいはい」 つれねー、とか言う割りには楽しそうだ。 中学生に誉めてもらいたがる23歳か、となんだか無性に微笑ましい。 周りに急かされるように大人になってしまったディーノは、時たま思い出したように子どもみたいになる。 フォークに手を伸ばして、いつまでもスポンジの見え隠れする傷口をまじまじ眺める横顔に声を掛ける。 「ほら、口開けなよ」 「え、なになに? あーんしてくれんの?」 「今日だけね、」 にやにやとだらしなく緩んだ口を間抜けに開いて、 まるで犬かなにかみたいに僕の次の行動を待っているからいよいよ笑えてきた。 右手のフォークで、到底口に入りきらないであろう量のケーキの塊を抉って、半ば強引に押し込む。 くぐもった笑い声が聞こえて、つられて僕も笑ってしまった。 ちょっと待った、とかなんとか聞こえたけど無視して、しかし噴き出されては面倒なので、唇で蓋をしてやった。甘かった。 「……っ、きょーやおま、でけぇよ馬鹿!」 「…絶対、吐き出すと思ったのに、っふ、ちゃんと飲み込むとは思ってなかった、」 「笑ってんじゃねぇよお前ー!」 笑いながら抗議するディーノに抱きつかれて、ふたりしてソファに沈み込んだ。 やめてよ、やめねぇよ、重いんだけど、これでも痩せたんだぜ失礼な、 わぁわぁと交わしていた文句はそのうちキスに取って代わった。 甘過ぎる唇はあまり好みではなかったけど、それも今日くらいは我慢してやろう。 「ちょっと、ほんとに潰れるんだけど、…ねぇ」 「お前こそもっと食えって。なに?」 「…なんだっけ、ボンコンプレアンノ?」 見上げた先の唇の端に付いていたクリームを指先で拭いながら、うろ覚えの言葉を思い出す。 ディーノはちょっとだけ目を見張った。と思ったら、急に噴き出した。 「恭弥…すげぇ嬉しいけど、すっげぇカタカナ発音…、」 「…うるさいな、伝わったなら良いだろ」 抱きついたままだから笑い声がすぐ耳元でしてこそばゆい。 いやほんと嬉しいんだぜ悪気とか無ぇんだけど、とかなんとか言いながら笑い続けているから説得力などかけらも無い。 なんて失礼な人だと髪やら頬やらを引っ張っていたら、 まだ肩を震わせていたその唇が、耳元でなにやら囁いた。 …やっぱり僕に聞き取れたのは「grazie」くらいで、 あとはもうなにを言っているのかさっぱりわからなかったのだけど、 流れ込むように聞こえる言葉が心地良いから、背中に回した腕に力を込める。 幸せになってね。 もしも叶うなら、この手の中でね。 僕にもこの人みたいに伝わらない言葉があれば良かったのに、 そんな事を思いながら目を閉じた。 ファ ー ス ト バ イ ト Buon Compleannno , Dino !! 120304. back |