突然だが、獄寺隼人14歳、ただいま重大な任務に就いている。 俺の唯一の主君にしてボンゴレ10代目、沢田綱吉公が、 昨晩夜なべしてまで完成させた英語のノートを英語科職員室に届けるという名誉ある任務だ。 獄 寺 隼 人 の 名 誉 あ る ふ た つ の 任 務 現場主義なのか、それとも俺に気を遣ってくださっているのか、 どうやら彼は自らの手でそれを届けるつもりだったようだが、 なにせ10代目ともあろう方、多忙の身だ。 放課後のチャイムと同時に颯爽と現れたリボーンさんとともに、 彼はボスになる為の修行に出て行ってしまった(無論、俺はそんな事をしなくたって彼は十分立派なボスの資質をお持ちだとは思うのだが、どこまでも志しの高い、そんな姿勢も素敵っす10代目)。 ところが、まるでリボーンさんに追い掛けられるように慌ただしく教室から出ていった彼は、 大事な英語ノートを机の上に置いたまま忘れていってしまったのだ。 10代目が寝る間を惜しんで完成させたノートである、なんとしてでも今日中に受理させねば、 そしてその任を完遂出来るのは、間違いなく10代目の右腕であるこの獄寺隼人ただひとり。 こうして今、俺は英語科職員室を目指している。 どこか、この廊下の窓から見えるのと同じ空の下で、修行に励む10代目に思いを馳せた。 大丈夫っす、ノートは必ず、俺が命に代えてでも届けてみせます、 だからどうか自らの修行に集中してくださいね、10代目……! 「――ちょっと君、」 10代目への溢れる思いを胸に、より一層任務に集中しようとした時だ。 抑揚の無い声に呼ばれて振り向けば、風紀の腕章のなびく学ランが目に入った。 「げっ、雲雀…!」 「アクセサリー類は校則違反だよ。そんな事もわからない奴は、」 金属音とともにギミックを展開させたトンファーが閃く。 近年稀に見る戦闘狂の雲雀は、相手の事情など全く考えずに襲いかかってくる。 しかし今はこいつの相手をしている場合ではないのだ、 万が一、ノートに危害が及んだりしたら! 「咬み殺――」 「待て雲雀っ、今はお前に付き合ってる場合じゃねぇんだ!」 「は? 校則違反の分際で僕にたてつくなんて、良い度胸だね」 「俺にはこのノートを英語科職員室まで無事に届けるっていう大事な任務が……!」 「英語科?」 そこで雲雀はふと気が付いた顔をした。 「…よく見たら獄寺隼人じゃないか。なんだい君、英語科に行くの?」 別にこんな奴に顔を覚えられても嬉しくもないが、しかし少なからずいらっとした。 一応にも、数多の死線をともに潜り抜けてきたファミリーである。 「そうだ、10代目からお預かりした大切なノートだ。だから右腕である俺が10代目に代わって……」 「ふぅん。ねぇ、それ僕が代わりに持って行ってあげても良いよ」 「…は?」 さっきまで凶器を握っていた手を差し出して雲雀は確かにそう言った。 なんというか、雲雀には人に向かって手を差し伸べる動作があまりにも似合わないなと思った。 「…いやっ、てめぇ話聞いてなかったのか! 10代目の大切なノートだぞ、お前みてぇな危なっかしい奴に任せられるか!」 「別にノートはどうでも良いんだよ、英語科に出向く口実さえ出来れば」 「なお任せられるか!」 雲雀の平坦な口振りがよりいらいらを募らせる。今日の雲雀はいつにも増して日本語が通じない。 まさかこんなところで思いも寄らぬ足止めを食らおうとは、 さすが10代目自ら出向こうとしていた任務、容易にはいかない。 「つーか、なんの用があんのか知らねぇが、英語科でもなんでも勝手に行きゃ良いだろ、風紀委員長さんよ」 「…僕はそのつもりなんだけど、あの人が用も無いのに来るなって言うから」 「あの人?」 この町で雲雀に口出しが出来、そして当の雲雀がそれを大人しく聞き分ける人間が居るとは到底思えず無意識に聞き返した。 すると雲雀は無表情を徐々に歪め、瞬く間に不機嫌に曲げた唇で独りでに喋り始めた。 「前までは僕が来るなって言っても来たくせに、こっちに移って来てからはさっぱりだし、なのに僕が出向くとあっち行ってろとか意味わかんない事言うし、その上他の草食動物どもとは平気で群れてる。あの人は僕の獲物なのに。ほんとむかつく」 「……は?」 「第一ほんとに自分勝手でさ、お前は俺のもんだとか言うから僕もその気になってあげたのに、いざこうやって近くに居る時に限って人の事放っておいて、でも文句を言ったってどうせ、ごめんなって言うから結局許しちゃうんだろうし。ほんとなんであんなきらきらしてるんだろ、あぁもう」 こんなにも饒舌な雲雀はいっそ不気味だ、 それもその意識がひとりの人間に向いているなどらしくないも甚だしい。 そしてなにも確信的な単語は出てこなかったが、頭の中には何故か金髪のイタリア人がみるみる浮かび上がってきていた。 「…というわけで、」 言うだけ言って満足したのか知らないが、雲雀はまた手を差し出した。 「ディーノに会う良い口実になるから、それ頂戴」 「…いや、いやいやいやいや、渡すわけねぇだろ!」 思わずノートを背中側に隠す。 もし雲雀が強引に奪いに来たらどう動くか、 考えねばならない計画はあったがしかし、それよりも言いたい事が山ほどあった。 「っていうか、お前はボンゴレの守護者だって自覚をいい加減持て!」 「ボンゴレ? なにそれ、なんで僕が君たちと群れなきゃならないの」 「ボンゴレの人間が同盟とは言え他のファミリーの人間にほいほいたぶらかされてんじゃねぇよ! しかもあんなへなちょこ野郎に!」 「僕はへなちょこなところも嫌いじゃないよ」 「うっせぇ聞いてねぇよばか!! つーか不純交際も校則違反だろうが!」 「不純じゃない、僕は至って真面目にディーノの事が、」 「あぁぁぁ!! やめろそれ以上言うな!」 やばいやばいやばいぞ、なにが孤高の浮き雲だ完全に陥落してんじゃねぇかどうすんだおい。 ボスの右腕として、ここはこいつを説得するべきだと頭の中を引っ掻き回して言葉を探しながら、 ふと近くにあった教室の時計を見て、はっとした。 17時47分。各科の職員室は18時で職員は完全撤収し、施錠されてしまう。 こんな面倒臭ぇ奴に付き合わされている場合ではない。 どうする、考えろ、考えろ獄寺隼人。 「…あ! あんなところに跳ね馬が!!」 「え、」 我ながら古典的過ぎるとは思いながら、窓から校庭を指さした。 いっそ心配になるほど簡単に引っかかってくれた雲雀を置いて、英語科職員室を目指して韋駄天の如く駆ける。 校庭をきょろきょろ見回している雲雀を後ろに感じながら、 次の任務はこれだと頭が痛くなってきた。 「そっか、それでお前がわざわざツナのノートを届けてくれたのか。ツナの奴、良く出来た右腕持ったなぁ」 「けっ、お前に言われるまでもなく俺は誰より10代目の…って違ぇ! お前には言いてぇ事が山ほどあるんだ!!」 「お、なんだよ。先生は生徒の思いを受け止める仕事だからな、なんでも言えよ」 生徒をたぶらかしておいてなにが先公だ、 全く悪気も邪気も無い爽やかな笑顔を浮かべる跳ね馬を睨む。 確かにこんな顔をずっと見ていたら、雲雀が変な気を起こすのもわからんでもない。 無事に英語科職員室にノートを届ける任務は完了した、 しかし目の前には次なる課題が控えている。きっとたぶんこれも一筋縄ではいかない。 「とにかく雲雀を説得しろよ、お前のせいでなんかおかしな事になってんだよ」 「へ? 恭弥? 恭弥がどうかしたのか?」 「それが駄目なんだよばか! 今後一切恭弥呼び禁止!」 「おいおい禁止って、なんでだよ隼人、」 ぐ、と喉の奥から変な声が出た。 俺とせいぜい十も変わらぬ男だが、その声はやたらと色気があっていけない。 そんな声で、普段呼ばれ慣れてない名を呼ばれてみろ。 「…はっ、隼人も禁止だばーか!!」 「えー、堅い事言うなよー」 駄目だ駄目だ、冷静になれ獄寺隼人、 ここはボンゴレデーチモのナンバー2として、キャバッローネのあほにがつんと言ってやらねばならんのだ。 「とにかく、うちの守護者に変な真似すんじゃねぇよ!」 「変なとは失礼だな。俺は世間知らずの可愛い一番弟子に、世のなんたるかを教えてやってるだけさ。で、そのついでに恋愛指南をだな」 「なにがついでだよ、お前は俺のもんだとか言ったらしいじゃねぇか」 「あー、まぁ本職は聖職とは真逆なもんでね。心配すんなよ、この格好してるあいだはちゃんとみんなのディーノ先生だぜ」 朗らかに笑って、ウィンクまでして、跳ね馬は度も入っていないであろう玩具みたいな眼鏡を持ち上げてみせる。別になんの心配もしてねぇからもうお前イタリア帰れよ。 あの雲雀を手懐けたという事には素直に感心するが、俺の記憶が正しければ家庭教師も臨時英語教師も生徒を誑かしては即刻懲戒免職を喰らう職種だったはずだ。 「仮にもマフィアのドンが、ひとりの中学生に執心なんて呆れた話だぜ」 「はは、マフィアのドンが狙った獲物を逃すわけ無ぇだろ?」 「そういうせりふは女に使えよ」 「別に女に魅力を感じないわけじゃねぇけど、……や、だって恭弥だぜ? あんなに打算も裏も無く好きって言われると、さすがの俺でも照れるっつうか…」 「知らねぇよ気持ち悪ぃ顔すんな」 にやにやと唇を歪ませて、俺には想像したくもないなにかを思い出して跳ね馬は口元を押さえた。 なんかもう、ここまで来ると年端もいかない東洋の子どもにぞっこんに惚れているボスを持つキャバッローネの連中が可哀相だ。 「…で、なんか事情はよくわかんねぇけど、もし恭弥に伝言でもあるんなら預かるぜ? 今日このあと会うからな、」 「いや、だからそれをやめろって言ってんだよ! 学校外で会うのも禁止! 不純交遊禁止!!」 「不純じゃねぇよ、俺は至って真面目にきょ――」 「黙れ天然好色野郎!」 もうやだこいつら。 俺の戦意が折れかけたその時、背後の扉が音を立てて開いた。 「…やっぱりここに居たんだ」 扉に手を掛けて、窓から射し込む夕日に目を細めるのは件の雲雀だ。 そういえばすっかり陽も傾いた、 …もしかして、あのあとずっと跳ね馬を探していたんだろうか。 「恭弥! お前、用も無いのに来るなって何度も、」 「違うよ。そこのチンピラがあなたを探してるようだったから、協力してやってたのさ」 「は? おい俺そんな事頼んで…」 言い返しながら見やった雲雀はそれはもう、刃物、強いて例えるならギロチンのような視線を俺に向けていて、 雲雀を怖いと思った事など今まで一度も無かったが、ただそのあまりの気迫に押されて黙った。 「あーそうだったのか。隼人の用事はちゃんと済んだからな、もう大丈夫だぜ」 「…ねぇ、また僕を追い出そうとしてる?」 出入り口の敷居を挟んで、ふたりのあいだになにやら不穏な空気が漂い始める。 跳ね馬が閉めようと手を掛ける扉に、雲雀も手を伸ばして力を込める。 「なんなの? 僕が居ると都合の悪い事でもあるわけ?」 「そういうんじゃねぇけど、」 「だったらなに。そのチンピラの事も随分親しげに呼ぶじゃない。どういう関係なの」 「どうって、先生と生徒だよ」 「…僕の事もただの生徒だと思ってるの?」 雲雀が跳ね馬を睨み上げる。 その目が潤んで見えるのは、窓から差す夕陽のせいなんだろうか。うんきっとそうだ。 ていうかなんで俺は先生と先輩の修羅場に立ち会っているのか。 「あなたは僕の獲物だって言った。僕もあなたの一番だ」 「あぁ、お前は俺の初めての弟子だよ」 「弟子じゃない、もっと違うのが良い」 「わがままだなぁ」 跳ね馬の指が、ドアを掴む雲雀の手を取った。 不穏な空気だ。先ほどとは違う意味で。 「なんで恭弥にだけ、ここに来るなって言うと思う?」 「…知らないよ」 「ほら。お前には自覚が無いからだ」 雲雀の指先を口元に誘い込んで、啄むように跳ね馬は唇を当てる。 それとは逆の手で腰を抱き寄せて、 雲雀の身体はいつの間にか敷居を越えて室内にあった。 「お前を見ちゃうと、俺は無条件で触りたくなっちゃうの」 「…触れば良いじゃない」 「ここじゃ駄目だろ。中途半端で満足出来るほど、俺はお子さまじゃあないんです」 「半端にしなきゃ良い」 「ばぁか、だからここじゃ駄目だって、」 跳ね馬の背中に隠れて良くは見えないのが幸いだったが、 駄目だとかなんとか言いながら明らかに教師と生徒の距離感を破って密着するふたりは完全に自分たちの世界に入ってしまって、蚊帳の外という言葉の意味を不本意ながら身を以て実感する。 よくよく思い出さなくても、ここは健全な学生たちが勉学に励む教育機関であって、 決して繁盛期の観光スポットなどではないのだが、目の前のふたりは当然みたいに恋人然としていて、 なんか俺の方が空気読めてないみたいになってるけどどういう事だろうか。 そもそも奴らは勤勉が義務である学生たちを取り締まる立場の人間である、 そりゃあ俺もちょっとヤニ吸ってたり上級生とタイマン張ってみたりとまぁ一丁前に注意出来る立場とは言えないが、 いやでもだからってこれはおかしいだろう誰も文句言わねぇから帰って家でやれよ。 一刻も早くこの場を立ち去りたい俺だが、部屋から出るには彼らが突っ立っている扉か背後の窓しかない、 ここは4階だったがこのままここで痴話喧嘩の顛末を見ているぐらいなら飛び降りた方が幾分ましに思えた。 土産にダイナマイトでも置いていってやろうか、その方がボンゴレ、そしてキャバッローネ、ひいては人類の未来の為になると思うのだ。 校門を潜ったところで、向こうから走ってきた10代目に声を掛けられた。 まだ職員室開いてるかな、なんて心配げに息も切れ切れ言う彼に、 ひとつ目の任務の事などとうに忘れていた俺は、 ただふたつ目の任務に失敗した事を、情けなくも泣きつきたくなった。 130110. back |